285【台湾紀行】オランダ人に建てられた、元台湾全島の最高行政機関『赤崁楼(チーカンロウ)』

台湾(Taiwan)
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台湾といえば日本からも近く、色々とつながりの深い場所です。
しかし、そんな台湾の歴史について私たちはどこまで知っているでしょうか。
なんとなく、日清戦争後の台湾統治時代といった近代についての歴史は知っているかもしれませんが、その前はどのような状態になっていたのかはなかなか知らないかもしれません。
もちろん、歴代中国王朝とのつながりが深かったことはもちろんですが、それ以外の国とも関わりがあったのです。

台湾の別称であるフォルモサという名前も、台湾に到達地したポルトガル人によってつけられたものです。

そして、

台湾を一時期統治していた国としてはオランダがあります。
あまり台湾からオランダとつながらないかもしれませんが、そのような時代が38年間あったのです。

では、そんな台湾とオランダとの関係については、その当時台湾政治の中心地であった台南にあるこの赤崁楼(チーカンロウ)を知ることによって理解することができるのです。
まさしく歴史を知る醍醐味が味わえる建造物なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 一つの建物の中に統治者が変わっていった歴史が凝縮されている赤崁楼(チーカンロウ)を見に行こう。

台湾の台南に関する記事です。

249【台湾紀行】台南でも発見!?ガジュマルの絡みつくラ〇ュタの世界『安平樹屋』
台南中心地から西に行ったところにある港町である安平は、台南発祥の地といわれている場所です。ノスタルジックな雰囲気が漂う町である安平には、町中に突然現れる、元々倉庫だった建物にガジュマルの樹が絡みついた奇怪な様相を示している『安平樹屋(アンピンシューウー)』があります。

赤崁楼(チーカンロウ)

赤茨樓(チーカンロウ)/紅毛城は、台湾台南市中西区にある歴史的建造物です。
元々は、1653年にオランダ人によって建てられた普羅民遮城(プロヴィンティア城)でありましたが、当時から漢人達の間では赤崁楼/紅毛楼と呼ばれていました。

赤茨樓が建築された当時の台湾は、オランダによる台湾統治が行われていました。
オランダ(オランダ東インド会社)は、17世紀前半に台湾の西にある澎湖を拠点として貿易活動を始めようとしていました。
ところが、そういったオランダ勢力による上陸に対して、当時の大陸にあった明朝とオランダとが澎湖を巡って小競り合いが起こりますが、最終的に両国間で講和が成立し、オランダは台湾の領有権を認められます。

1624年にオランダは澎湖を放棄し、台湾南部に上陸して、ゼーランディア城(現安平古堡)が築城され、ここを拠点として台湾統治が始まります。

しかし、オランダ人による統治下では、漢人や台湾原住民であった平埔族に対しては厳しいものであり、産業の低下や、重税などにより漢人の不満がたまります。
その結果、1652年に当時の台湾を統治していたオランダ人と、そんなオランダ人たちのやり方に不満をためていた郭懷一を中心とした漢人が衝突する事件が起こります。
この事件後に、オランダ人によって軍事的な城砦として1653年に建てられたのが普羅民遮城(プロヴィンティア城)でした。

その後1661年、軍人であった鄭成功によってオランダ統治に対する反乱がおこります。
普羅民遮城(プロヴィンティア城)を攻撃し陥落。
その後、ゼーランディア城も攻略し、38年間に及んだオランダ統治を終焉に導くことに成功します。。
鄭成功は新たに台湾統治の拠点として赤崁楼に東都承天府を設置しますが、その半年後に鄭成功は病死します。
そして、承天府は廃止され、火薬貯蔵庫となります。

その後は、地震で楼閣が全壊するなど、移り変わる政権による改築や取り壊しを経て、オランダ統治時代の遺構は失われていっていきますが、
19世紀後半になると、赤崁楼の跡地に往時の建造物が再建されていき、日本統治時代には病院や医学生の宿舎として利用されました。
また、1921年にオランダ統治時代の堡門や砲台跡が発掘されています。

アクセス

台鐵台南駅前よりバスに乗り、赤崁楼にて下車です。

赤崁楼(チーカンロウ)へ行ってみた

それでは赤崁楼(チーカンロウ)へ行ってみましょう。

鄭成功議和圓

敷地内に入ると、台湾の英雄である鄭成功の像が建てられている広場があります。

広場からは赤楼(海神廟)が見えています。

特徴的な円形の門をくぐると、赤楼エリアに入ります。
もちろんどちらの楼閣にも上ることができます。
楼閣から、周辺の台湾の古き良き町並みを眺めることができます。

海神廟

こちらは海神廟と呼ばれる楼閣であり、「赤嵌樓」と書かれた扁額が掲げられています。

海神廟から鄭成功議和圓を見下ろしてみました。

お隣に建つ文昌閣の精巧な屋根作りも間近に見ることができます。

文昌閣

こちらの楼閣は文昌閣であり「赤茨樓」と書かれた扁額が掲げられています。

赤崁楼(チーカンロウ)の基礎はオランダ統治時代のものです。
文昌閣の基礎を見るとその様子がとてもよくわかるレンガ造りになっています。

文昌閣には両赤樓の修復に尽力した日本統治時代の台南市長であり、日本統治時代最後の台南市長である羽鳥又男市長の胸像が飾られています。

赤崁楼主岩遺跡

文昌閣の裏側には赤レンガ造りの城壁が残っています。
これらはオランダ統治時代の城壁は日本統治時代に発掘されました。

普羅民遮城稜(プロヴィンティア城)堡残跡

文昌閣裏側には、発掘されたオランダ統治時代の普羅民遮城(プロヴィンティア城)堡門・城壁跡が残されています。

入り組んだ作りになっており、実際に階下まで降りて間近に見ることができます。

蓬壷書院古蹟/大士殿

赤崁楼(チーカンロウ)敷地の北西端には、蓬壷書院及び大士殿があります。
こちらは学問を学ぶ場枠割を果たしていました。

いかがだったでしょうか。
なかなか知るすべのなかった、世界のいろいろな地域の歴史も、こういった遺構を見ることで深く理解することができるのです。
これこそが、旅の醍醐味の一つでもありますよね。
特に台南には、この赤崁楼(チーカンロウ)をはじめ、鄭成功時代に台湾の中心地として整備された古きよき町並みが残っています。

赤崁楼(チーカンロウ)以外にも、祀典武廟や大天后宮といった寺廟があちこちにあり、その時代の面影を残しています。
また、永樂市場や神農街などがあり、歴史やグルメ、カフェなど町歩きも楽しい、ぜひ多くの人に知ってもらいたいエリアです。