289【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選⑥

百名城/続・百名城(Castle)
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日本百名城・続日本百名城のピックアップ第六弾です。
今回はピックアップした5つの城は、その城下町に特徴があるお城です。

お城巡りに行くときはまずはお城をしっかりと見て回ることが第一になるとは思いますが、それだけでも十分に楽しめるのはもちろんですが、あわせて昔ながらの雰囲気が残る城下町を一緒に巡ることができると、その楽しみ方は倍になりますよね。

実際に行ってみるまではどのような城下町があるかはわからないところもあるとは思いますが、予想していたよりも賑わった街並みを目にしたときは、城巡りがより一層楽しくなります。

今回も、これまでに行った百名城(43/100)及び続百名城(27/100)の中から、城下町も非常に楽しめる城を5つピックアップして、ダイジェストの形で紹介してみたいと思います。

おいおい、個々に紹介する記事も書いていきたいなと思っています。

【今回のわきみち】
  • 城下町巡りが楽しい!一粒で何粒も楽しめる百名城を今回も5つピックアップしてみました。

百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

071【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選①
日本には数多くの城や城跡があります。どれも個性的であり、その城が存在していた年代を感じさせる作りのものがほとんどです。今回は、自分が訪問した百名城・続百名城の中で、印象深かったところを5つピックアップし、書いてみました。
113【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選②
日本にはまだまだ数多くの城や城跡があります。行ってみて初めてその広大さや特色に気づき、強烈に印象付けられる城もたくさんあります。今回は、そんな自分が訪問した百名城・続百名城の中で、後々まで印象が残っているところを5つピックアップしました。
145【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選③
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第三弾です。今回は、現存十二天守をはじめ、真田幸村ゆかり城など、バラエティに富んだラインナップになっています。その中でもやはり現存天守はその内部の様子が歴史を感じさせるものであり、その他の天守と比べると年月をとても実感することができます。
214【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選④
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第四弾です。今回は、日本で有名な城は?といわれると一般的にぱっとは出てこないかもしれませんが、どこも渋みと歴史的な重厚感のある城をピックアップしてみました。
252【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選⑤
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第五弾です。今回は、どれも歴史の中で重要な位置を占めた城であり、今までに聞いたことのある、その時歴史が動いた城を5つピックアップしてみました。

出石城・有子山城(続日本百名城)

どこにあるの

兵庫県豊岡市出石町町分にあります。

どんな城

出石城・有子山城は、元は但馬国出石にあった城です。
続日本百名城では、有子山城とそのふもとの出石城を2つをセットで登録されています。

天正2年(1574)に山名祐豊によって標高約300数十mの有子山山頂を天守とする有子山城は築かれました。
しかし、織田信長による西国への支配がのびるなか、毛利氏方であった山名氏は第二次但馬征伐で羽柴秀吉によって落城させられます。

関ヶ原の戦い後、慶長9年(1604)、新たにこの地域を治めていた小出氏により有子山城山上天守は廃されます。
その際に、有子山城山麓の曲輪と館を出石城とします。
出石城は、堀で囲まれた三の丸、下郭、二の丸、本丸、そして城主の館も造られ、この際に城下町も整備されました。
その城下町は現在の出石の城下町につながっています。

その後は城主が何度か変わり、明治の廃藩置県まで仙石氏の居城となりました。
明治時代の廃城令で出石城は取り壊されますが、辰鼓楼、堀、石垣などはまだ現存しています。
また一部の建造物は復元もされており、多くの観光客でにぎわっています。

おすすめポイント

有子山城跡地へも登ることができ、石垣や曲輪などの様子を見ることができます。

出石城下町は、碁盤の目のような区割りがされた、小京都としても有名な往時の雰囲気が残る城下町です。
その中でも出石のシンボルでもあるのがこの辰鼓楼という時計台です。
明治4年(1871)旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されてから約140年間出石の町を見守り続けています。
現在の時計は3代目なのだそうです。

何よりも忘れてはいけないのは、出石そばですね。
50軒以上も立ち並ぶそば屋の食べ歩きでも有名ですね。

篠山城(日本百名城)

どこにあるの

兵庫県丹波篠山市北新町にあります。

どんな城

篠山城は1609年に徳川家康の天下普請(※江戸幕府が全国の諸大名に命令し、土木工事を行わせること。)によって、築城の名手だった藤堂高虎が設計を担当し築かれた城です。

織田信長時代に明智光秀によって平定されたこの地域ですが、引き続き豊臣家一族の影響力が強い地域でした。
そのため、残されていた豊臣家一族をはじめ、西国の大名を抑制・監視する城として、山陰道の要衝、丹波篠山盆地中心部の丘陵に築かれました。

本丸と二の丸を高い石垣で囲い、それを三の丸と水彫りで囲った、単純ではあるものの防御力の高い平山城です。
明治の廃城令にて建物のほとんどは取り壊され、大書院も消失していました。
その後は敷地内に小学校が建てられたりしていましたが、近年では大書院が復元され一般に公開されています。

202【兵庫紀行】西国へ向かうための要所に建設された『篠山城』
篠山城は1609年に徳川家康によって築かれた城です。江戸期に造られた城ということで、大規模な天守があったわけではなかったのですが、西国監視と篠山の町を治める城郭として、まとまった縄張となっています。

おすすめポイント

篠山城城下町の古き良き雰囲気は今もなお残されています。
道路が敷設され、建物も立てなおされているところもありますが、その中に昔ながらの武家屋敷や民家、蔵などがまだまだ残っています。

また、食材や食べ物でも有名な場所ですので、伝統的にこの地に受け継がれてきた食べ物がまだまだ販売されています。
近年では、その古き良き町並みと、そこに残る古民家などを改装したりして、若いアーティストや、創作系のレストランなどの新しい試みを目ざして移住してくる人々が多くなってきているのだそうです。

古いけれど、新しい。
そんな体験が待っている城下町です。

178【兵庫紀行】古くからの武家屋敷が立ち並ぶ『御徒士(おかち)町武家屋敷群』
兵庫県丹波篠山市にある、篠山城城下町には、江戸時代に造られた築200年の武家屋敷群が残されています。これらの武家屋敷群は、御徒士町武家屋敷群として、一般公開されています。江戸時代の武士の生活とは、どのようなものだったのでしょうか。
168【兵庫紀行】伝統的な酒蔵見学をいつでもできる『鳳鳴酒造 ほろ酔い城下蔵』
丹波篠山の地には、今もなお昔ながらの酒造りを続けている製造元『鳳鳴酒造』があります。そんな鳳鳴酒造は、昔ながらの清酒造りを気軽に見学できる築200年以上の江戸時代からの建物を利用した施設『ほろ酔い城下蔵』を2001年から公開しています。
126【兵庫紀行】古き城下町丹波篠山の町中にある『大手食堂』 ここでしか食べられない絶品メニューが!
『食』の名産地丹波篠山にある食事処『大手食堂』。一見するとただの食事処な佇まいではあるのです、提供されるメニュー一つ一つのクオリティが非常に高い食事処なのです。有名なぼたん鍋や丹波篠山牛、山の芋など、ここだけで、丹波篠山のウマいものが堪能できますよ。

八幡山城(続日本百名城)

どこにあるの

滋賀県近江八幡市宮内町にあります。

どんな城

八幡山城(近江八幡城)は、滋賀県近江八幡市にあった山城です。
豊臣秀吉の甥であった豊臣秀次の居城として知られる。

本能寺の変で安土城が灰燼に帰したのち、近江八幡の地は豊臣秀次に与えられ、もともと安土城があった隣地に天正13年(1585)八幡山城を築き、安土城の建物や城下町を移築しました。
この八幡山城ができたことで、豊臣秀吉による近江の国支配は万全なものとなります。

しかし築城からたった10年の文禄4年(1595)に八幡山城は廃城となります。
現在の本丸跡には、豊臣秀吉の姉であり秀次の母であった日秀尼が開いた瑞龍寺が昭和38年(1963)に移されています。

おすすめポイント

八幡山城へはロープウェーで登ることになります。
そこの周辺には賑やかな城下町が広がっています。
元々は、安土城の城下町の町民だった人々をこの八幡山の麓にを移して町づくりを始められました。
八幡山城下町には、多くの商人や職人が集められ、非常に商業面でにぎわった城下町であったといわれています。
安土城下町と同様に八幡楽市楽座も引き継がれ、特権階級による支配が及ばないような自由な活動が行われる町だったといわれています。
このことによって近江商人が出て全国で活躍する基礎になりました。

八幡山城自体はたった10年の歴史だったものの、その城下町は、今もなお往時の城下町の雰囲気が残る街となっています
琵琶湖に続く町の中心を流れる八幡堀の両岸には、新たな店などもたくさん出店し、賑わいを見せています。

萩城(日本百名城)

どこにあるの

山口県萩市堀内にあります。

どんな城

萩城は、関ヶ原の戦いで敗軍の将となった毛利輝元がこの地に移され、1604~1608年に新たに築いた平山城です。
日本海に突き出し、三方向を海に囲まれたつくりとした天然の要害をいかした城となっています。

本丸には五重の立派な天守があり、毛利家13代の居城でした。
天守などは、明治の廃城令によって1874年に解体されました。

日本海に囲まれた城ということで、萩城の東にある潮入門跡から一歩外に出ると、日本海の海岸線が現れます
海運の面でも非常に都合のいい立地だったのかもしれませんね。

おすすめポイント

萩城城下町はこれまでも当ブログでも数多く取り上げてきたように、かなり見どころの多い城下町です。
明治維新の立役者を数多く輩出したということで、そこに由来する名所が数多く残っています。

命じの偉人たちの道しるべとなった吉田松陰に関する史跡。
明治維新で新政府の重鎮として活躍した偉人たちにまつわる史跡。
欧米列強に対抗するため、藩を上げて試行錯誤したことがわかる史跡。
などなど、あまりに多いため一日で回りきるのは難しいことでしょう。

また、
・萩反射炉

035 【山口紀行】明治日本の熱意を感じる世界遺産 萩反射炉とは
山口県萩。明治の時代歴史の中心の一つだったこの地には、世界遺産に登録された遺構が残されているのです。その中の一つ今回は紹介します。

・恵美須ヶ鼻造船所跡
・大板山たたら製鉄遺跡
・萩城下町

120【山口紀行】よくこれだけの小さなエリアにつめこんだものだ…『萩城下町』
山口県の萩。そこにある萩城と萩城下町。この小さな町になぜこれだけたくさんの名所や歴史的な人物が関係しているのか。世界遺産にも登録されている萩城下町は、見て回れば回るほど興味がわいてくる城下町です。ぶらぶらと歩いて、そのたくさんの遺構を巡ってみましょう。

・松下村塾

158【山口紀行】こんな小さな場所から時代が動いた『松下村塾』
山口県萩の町は、小さなエリアの中に数々の遺構が残されている世界遺産を有する町です。この町には、松陰神社という神社があります。ここは、明治維新の中で重要な働きをした多くの人々に影響を与えた教育者である吉田松陰を祀った神社であり、境内にかの有名な松下村塾を有する神社なのです。

に関しては、『明治日本の産業革命遺産』として、世界文化遺産に登録されています。

217【山口紀行】これまでにも数々見てきたけれど、まだまだあった萩の町
幕末から明治に渡って時代の変革期に名を遺した人物を多数輩出している萩の地には、伊藤博文が暮らしていた旧宅や別宅、吉田松陰が生誕した地、そして名だたる人物たちが眠る墓所などがあります。今回はこれらの場所をピックアップし、ダイジェストの形で紹介していきたいと思います。
196【山口紀行】長州藩毛利家代々の菩提寺『東光寺』
現在の山口県萩市、古くは長州藩であったこの地ですが、藩を治めていた毛利家一族が祀られていてる菩提寺『東光寺』というお寺があります。ここには、歴代の半分ほどの藩主の墓が並べられており、その墓所の規模にも驚かされます。

大阪城(日本百名城)

どこにあるの

大阪府大阪市中央区大阪城にあります。

どんな城

大阪城といえば、太閤豊臣秀吉の城として有名ですが、現在建っている天守は秀吉時代のものではありません。
実は大阪在住の人でも知らない人が多かったりします。

現在の天守は3代目であり1931年に建てられた鉄筋コンクリート製のものです。
しかも、歴史に忠実なものではなく、秀吉時代の大阪城の要素や、江戸城の要素などが取り入れられた天守です。
皮肉なことに、この3代目天守が最も長い歴史のある天守になっています。

初代天守は秀吉によって建てられたものでした。
現在の物とは外観は全く異なり、一回り小さく黒色の外観でした。
しかし初代天守は1615年の大坂夏の陣で焼失します。

その後、徳川の時代になり、二代目将軍秀忠によって二代目天守が建造されます。
その際に秀吉時代の遺構は全て埋められ、その上に覆いかぶさる形で現在の縄張りが出来上がります。
そして、天守台の位置も現在の位置に移されました。
この二代目天守も40年後に消失します。

そんな大阪城天守ですが、実は現在の大阪城公園内には、豊臣秀吉時代の石垣が発掘されていたり、江戸期から残る櫓や焔硝蔵、金蔵、千貫櫓や乾櫓といった13の建物が今もなお残っています

租の石垣や堀も有名であり、本丸東側の石垣は日本一の30mもの高さを誇ります。

また、大阪城のある場所は、安土桃山時代に大阪城が建てられるまでは、織田信長と長い戦いを繰り広げた石山本願寺があった場所でもありました。
そのため、現在でも石山本願寺が建っていたと思われる場所には碑が建てられています。

おすすめポイント

大阪城の見どころの一つが計画的に作られている城下町です。
武家屋敷エリア、商家のエリア、寺社仏閣のエリアと、計画的に秀吉時代に町づくりが始められ、江戸時代に大阪城代であった松平忠明によって、現在に続く商都大阪の原型が造られます。

特にこの古くから続く大阪らしさを感じる町が、大阪城の西から南西に広がる『船場』のエリアです。
江戸時代頃に区画された町並みがそのままの形で残っており、一本の通りごとに町名が異なるという全国でも珍しい町割りがされています。

また、
・天然痘対策で考えられた種痘法で有名な、福沢諭吉も輩出した尾形洪庵の適塾
・秀吉時代に整備され、現在もまだ使われ続けている太閤下水
・明治大正と歴史を感じさせる現存する建物
などの史跡が多数残っており、町散策が非常に楽しくなるエリアです。

いかがだったでしょうか?
今回もこれまで訪れた日本百名城・続日本百名城の中から、その時歴史が動いた5つの城をピックアップしてお伝えしました。

まだまだこれら以外にもおすすめしたい城はたくさんあります。
第7弾以降もご期待ください。