290【台湾紀行】大通りから一歩わきみちに入ってみると、いい雰囲気でした『淡水』

台湾(Taiwan)
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多くの日本人が訪れる台湾。
その中でも最も人気なのが台北ですよね。
買い物でも観光でも、食巡りでも占いでも(?)。
ほとんどの台湾が、ここ台北で楽しめるかと思います。

しかし、何日も滞在しているとやはり少し郊外にも出てみたくなりますよね。
そこで台北とセットで訪れるのをお勧めするのが、台北近郊、台北の北西15kmほどのところにある淡水です。

元々は台湾島を代表する港であったため、スペインやオランダ東インド会社などの影響、中国本土や日本などの影響を多く受けている地域です。
しかし、現在では大型船の入港が困難になってしまったということもあり、静かな漁村に戻っています。

しかし、様々な他国からの影響や、観光地として開発されているリバーサイドなど、台北の大きな都会に飽きたときにはほっと心休まります。
そして、この淡水をぶらぶら街歩きすると、その雰囲気の良さにハマる人もたくさん現れそうです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • まずは淡水の街をぶらぶらとみてみましょう。気になるところがだんだん表れてくるはずです。

台湾の淡水に関する記事です。

383【台湾紀行】台北北部の古い港町淡水にある、もとは異国の勢力によって築かれた『紅毛城』
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台湾北部にある九份に関する記事です。

047 【台湾紀行】九份の夜を堪能するなら、九份のホテルに宿泊です!
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淡水

淡水は台北の北西15kmほどのところにある港町です。
かつては冨尾と呼ばれ、台北にまで流れる淡水河と海とがつながる河口に開けた町です。

台湾を代表する港町であったことから、様々な国による影響も大きかったところでもあります。
その歴史は古く、17世紀にはスペインが上陸し占領。
その十数年後には、オランダ東インド会社がスペインを駆逐し上陸します。
台南と同様にオランダ式の要塞が建てられます、。
この時建てられたのが現在の紅毛城であり当時はサン・ドミンゴ要塞と呼ばれていました。
17世紀後半、鄭成功によってオランダ人の駆逐に成功しますが、その後はしばらくして清朝の領土となります

19世紀中ごろになると、淡水は清仏戦争の講和条約である天津条約によって開港されます。
この頃に紅毛城横にはイギリス領事館が設置され、様々な国の商館が集まり、19世紀後半には台湾最大の港湾となります。
このころの建物が今も多く残っているため、今でも異国情緒が漂う町並みを見ることができます

20世紀に入り、日本の統治時代になると、河口入り口にある淡水の港には砂が堆積してしまい大型船が入りにくくなってしまったため、台湾を代表する港は基隆へと移されます。
そのため、淡水の港機能は漁師たちが残るだけの小さな漁港となります。

しかし、台北捷運淡水線が開通し、その終点駅が置かれたことで台北中心部から淡水へのアクセスが容易になり、今では多くの観光客が集まる港の街として賑わいを見せています。

アクセス

台北捷運淡水線の終点、淡水駅下車すぐです。

淡水へ行ってみた

それでは、淡水へ行ってみましょう。

淡水駅

淡水駅へやってきました。
台北からは乗り換えなしで約40分で到着するというアクセスの良さです。

大都會廣場

駅前にある大都會廣場はいわゆるデパートです。
台北中心地のショッピングセンターなどに比べると小ぶりですが、淡水で生活をするとなると重宝しそうです。

BK-20 蒸気機関車

駅前には蒸気機関車の展示がありました。
同タイプの機関車が日本本土で使い勝手が良かったため、当時日本の外地であった台湾総督府の鉄道部によって購入されたのだそうです。
当時は淡水線を運航していたのだそうです。

淡水老街(タイシュラオジェ) 中正路

淡水老街は淡水河沿いの環河道路と、一本北にある中正路に延びる老街(清朝以降につくられた歴史ある古い街並み)です。
多くの食べ物の屋台が並び、そのようすは毎日がまるで縁日のようでもあります。

この中正路から北に入る小道の雰囲気が、かなりおすすめポイントです。
一揆にタイムスリップしたような雰囲気がありませんか。
台湾ぽくもあり、西洋の要素もあり、どこか懐かしい日本の要素もある。
どこかほっとする不思議な光景です。

滬尾偕医館

滬尾偕医館は、台湾初の西洋病院施設です。
当時淡水を中心に台湾へキリスト教の布教をしていた、宣教してもあり医者でもあったジョージ・L・マッケイ(台湾では、「馬偕」または「馬偕博士」と呼ばれている。)によって、1879年に創立されました。

台湾現代医学の発祥地とされています。
その建築様式は、台湾式の様式に西洋の造りが融合されたものとなっており、現在その内部には当時の機材や家具が展示されています。

台湾基督長老教会淡水教会(淡水禮拝堂)

滬尾偕医館の隣には、同じく馬偕博士が建てた教会、淡水禮拝堂があります。
ゴシック風の教会です。

なお、さらに西に進んだところにある真理大学も馬偕博士によって造られたのだそうです。
この淡水の地で、布教から医学、教育とあらゆる方面に多大な影響を与えた人物だったようです。

紅毛城(ホンマオチョン)

元はオランダのサン・ドミンゴ要塞であった、紅毛城の入り口です。
ここを右に進んでいくと先ほど紹介した真理大学があります。

紅毛城は、淡水の中でも高台の上に建てられた赤れんが造りの城(要塞)です。
最初は1629年にスペイン人によって建設され、その後はオランダの手に渡ります。
鄭成功がオランダを駆逐した結果、紅毛城を改修し、淡水統治の拠点となりますが、後に廃墟と化します。

ところが、天津条約によって淡水が開港されることになると、各国が商社や領事館を設置することになりますが、この紅毛城の場所には英国領事館が置かれ、イギリス人が居住する場所となります。
日本統治時代には一時期日本軍により接収されますが、戦後再びイギリスに返還されます。

1972年にイギリスが中華人民共和国を承認した古都に伴って台湾と断交し、イギリス領事館は撤退し、1980年に台湾政府に返還されました。

1984年からは現在のように一般にむけて開放されています。

前清英国領事官邸

紅毛城隣の同敷地内には、英国領事官邸が残されています。

淡水駅からこの紅毛城までがだいたい1.5kmほどの道のりになります。
ではここから折り返して淡水駅に戻っていきたいと思います。

百葉温州餛飩

淡水ではいろいろと食べ物の名物もあります。
老街での食べ歩きも楽しいのですが、このときは、百葉温州餛飩というワンタンのお店で食事をしました。

淡水老街 環河道路

ここからは淡水河沿いの環河道路を歩いて淡水駅に戻ります。
とても雰囲気の良いリバーサイド通りです。

写真のように屋台店が立ち並んでいます。
遊戯屋台などもあり、歩いているだけでも楽しくなる通りです。

淡水観光の目玉は夕日の観賞なのだそうです。
その様子は『台湾のベニス』ともいわれるほどだそうです。

なお、今回は紹介していませんが、淡水老街から渡し船で対岸にある八里(パーリー)に渡っても老街が広がっており、淡水老街に負けないほどの賑わいを見せているのだそうです。

中正路から環河道路と環状になっているため、往路と復路で異なった老街を楽しめます。
そうこうしているうちに淡水駅に戻ってきました。

いかがだったでしょうか。
今回は夕日の時間までは滞在しなかったのですが、夜になってくるとまたその雰囲気がよく、台北からも多くの観光客がやってきます。
台湾の古き良き港町の雰囲気を存分に楽しむことができる淡水は、台湾旅の一幕にぜひ訪れてみてください。