291【愛知紀行】今ここに残っている奇跡。川沿いにそびえたつ『犬山城』

百名城/続・百名城(Castle)
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今回は愛知県に残る現存十二天守の一つである犬山城を紹介していきたいと思います。
この周辺となると、名古屋城をはじめ、岐阜城や大垣城などに比べると、その規模は小さくはあるのですが、江戸時代以前からこの地に現存する天守ということで、現在は国宝にも指定されている天守です。

この犬山城は、犬山城に近づいていくにつれて、木曽川沿いの小高い山の上にそびえたつ天守が、徐々に近づいていく様子を楽しむことができることと、天守に上ってから木曽川や犬山という天然の要害に囲まれた天守からの眺めを楽しめるという、両方の楽しみ方があります。

しかし、これほどの趣を残す城が、一国一城令、廃城令、大戦、それらにくわえ地震や台風などの自然災害をすべて乗り越え、今ここにあることは奇跡といってもいいかもしれませんね。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 小規模ながらも現存天守の雰囲気たっぷりの天守を擁する犬山城に行ってみよう。

愛知県に関する記事です。

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犬山城

犬山城は、愛知県の木曽川に面した標高80mある通称「犬山」を中心に城郭範囲とした平山城です。
旧国名で言うと尾張の国と三野国の境という、何やら歴史的にも主要な場所に位置しています。
犬山城本丸北端にある天守は、現存十二天守のひとつであり、その中でも天守が国宝指定されている天守の一つです。
国宝に指定されている5つの天守の中では最も古い天守でもあります。

現存十二天守の記事については以下をご覧ください。

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天守の構造としては、石垣に入り口があり、入ると地下二階となっています。
そして、石垣より上の部分は三重の四階構造となっています。
望楼型の独立天守で、高さは24mあります。
小高くなった山の頂点に本丸を構え、本丸南側に杉ノ丸、桐ノ丸、樅ノ丸、松ノ丸といった曲輪があり、その間を本丸に向かう大手道が通る壮大な構造になっていました。

犬山城の始まりは、1469年に織田広近が砦を築いたのが始まりといわれていますが、現在の犬山城天守につながる建造物は、天文六年(1537)に織田信長の叔父である織田与次郎信康によって造られました。
小牧・長久手合戦(1584)の際には、豊臣秀吉がこの城に入り、織田信雄・徳川家康陣営と戦いました。
江戸時代に入り、1617年までは幾度か城主が入れ替わるが、尾張藩の付家老だった、成瀬正成が城主となり、その後は成瀬家が代々城主となり、明治維新をむかえます。

明治4年(1871)九代藩主 成瀬正肥のときに廃城となります。
犬山城はこの際に、天守を除く建物はほとんど取り壊されました
また、各所にあった城門は寺院の山門などに移築されます。
明治24年(1891)の濃尾地震では、天守東南角にある付櫓が壊れました。
この濃尾地震のあと、再び犬山城は成瀬氏所有となり、2004年まで日本唯一の個人所有の城でありました。

また、昭和34年(1959)伊勢湾台風などでも大きな被害をうけます。
昭和36年(1961)からは4年間をかけた解体修理が行われました。

アクセス

名鉄犬山線・小牧線の犬山駅か、名鉄犬山線犬山遊園駅より徒歩15分で到着します。

犬山城へ行ってみた

それでは犬山城へ行ってみましょう。

遠く、木曽川沿いの小高い丘に犬山城天守が見えてきました。
この川沿いに建つ天守の雰囲気、よくないですか?

それでは天守に向けて大手道を歩いていきます。

黒門跡

天守に向けては登りが続いていきます。
途中にはかつて城門があった礎石跡が残されています。
こちらは黒門があった礎石があります。

鉄(くろがね)門

鉄(くろがね)門という、現在はチケットカウンターになっているもんです。
ここは再建されたものです。

櫓門になっているために、上に上がることができます。
上がった先にある犬山城管理事務所で、百名城スタンプを入手しましょう。

犬山城 天守

天守にやってきました。

このように天守入り口は石垣にあります。
そのため、入館するとそこは天守の地下二階にあたります。

なによりも天守からの眺めがおすすめです。
こちらは天守から城域を見ています。
天守は回縁(まわりえん)がめぐらされており、外に出て一周して、全方位をながめることができます。

こちらは木曽川をながめたところです。
天守から見下ろすと、直下に木曽川があるかのように見えます。

天守内には9代続いた歴代藩主成瀬氏が展示されています。

明治以降の、犬山城の保存に貢献された成瀬家代々の当主の写真も飾られていました。

天守内にも展示物が点々と置かれていますが、基本的には現存天守の雰囲気を存分に味わえるようになっています。

いかがだったでしょうか。
やはり現存天守。写真からもわかるように観光客に大人気の城です。
実際行ってみるとコンパクトではあるのですが、何よりも天守からの眺望が印象に残る城でした。
このエリアにはほかにもたくさん城や城跡が残っているので、上手にルートを組んで、行ってみてもらいたい城でした。