304【大阪紀行】その高低差はくじけそうになるほど…。南北朝時代の城『千早城』

百名城/続・百名城(Castle)
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わずか800足らずの軍勢で、その100倍以上もの敵と相対したらどうしますか?
まあほとんどの場合は勝ち目はないでしょう。
しかし、歴史の中にはそのような戦力でこれほどの大軍を蹴散らした軍勢があるのです。

それが大阪の南、千早赤阪村に残る千早城です。
ここは、鎌倉末期から南北朝時代にまでの時代に活躍した楠木正成によって築城された山城です。
現実的に、冒頭のような戦力で勝利することは非常に難しい・・・と思いがちですが、四方を天然の要害に囲まれた地形を生かした戦法や、藁人形を使って軍勢をカモフラージュするような奇策など、様々な戦法を駆使して大軍を追い返すことに成功した城なのです。

おのため現在では『落ちない城』として、あらゆる方面で有名であり、そのご利益を求めてやってくる人も絶えない城なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 実際に行ってみると難攻不落なことも頷けるほどの過酷な登山道。だからこそパワースポットとして現在も輝き続けるのです。

大阪の城に関する記事です。

314【大阪紀行】羽柴秀吉の紀州征伐の拠点。近隣には謎の古城も『岸和田城』
今回紹介している岸和田城も大阪を代表する名城であり、日本百名城の選考過程でも終盤まで残っていた城なのだそうですが、日本百名城には大阪からは『大阪城』と『千早城』が選ばれたため、惜しくも落選してしまいます。
216【大阪紀行】天然の要害である三好山から見下ろす戦国時代の山城『芥川山城』
今回紹介するのはそんな大阪の地にあった芥川山上という城です。以前紹介した飯盛城が、実は三好長慶による三好政権の中心地であったように、芥川山上もその三好長慶が飯盛城に移る前に居城としていた、大坂の地にあった城の中でも最も大規模だったといわれている城なのです。
176【大阪紀行】最後は、畿内の有力大名だった三好家の居城『飯盛城』
かの有名な戦国の三英傑である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が、天下を統一していったことは有名ですが、実は信長よりも前に転嫁を取った天下人がいたのです。その人物は、三好長慶であり、その三好長慶が拠点とした城が今回紹介する飯盛城なのです。

千早城

大阪南部にある千早城は、鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した建武中興の原動力となった難攻不落の名城です。
『落ちない城』というパワースポットとして、実は隠れた人気スポットである山城であり、千早神社で手に入る『菊水家紋の御守り』は『落ちないお守り』として、受験・選挙・企業業績祈願で大人気のパワースポットなのです。

そんな千早城が築城されたのは1332年であり、楠木正成が構築した楠木七城(千早城/下赤坂城/上赤坂城(小根田城・桐山城)/烏帽子形城/龍泉寺城/金胎寺城)の一つです。
標高約660mにある千早城は、北・南・西側の三方は千早川の渓谷を利用した急斜面であり、東側だけが尾根伝いに金剛山の山頂に通じるまさしく天然の要害です。
麓の参道入り口から四の丸まで五百数十段の急な石段が続きます。
大体20分ほど登ると四の丸に到着し、そこから約300m進むと本丸に到着します。
現在は本丸手前の二の丸跡に千早神社が建てられています。

千早城の戦い

元々ここは1333年の千早城の戦いで楠木正成が鎌倉幕府の大軍をけちらし名を上げたことで有名な城です。
その千早城の戦いとは、後醍醐天皇方から反幕蜂起の命を受けた楠木正成が、わずか800人足らずの兵で千早城に籠城し、鎌倉幕府と対時した戦いです。
しかし、相対する鎌倉幕府の北条軍の軍勢は十数万。
そのような大軍を、千早城、下赤坂城、上赤坂城を拠点とした楠木正成は迎え撃ったわけです。
圧倒的兵力の差を埋めるためには、少数の軍勢は大軍を迎え撃つために、周囲の急峻な崖、城の高低差など地形を熟知したゲリラ戦、藁人形などを用いた奇策などを展開したのだそうです。
楠木正成は、用意周到に戦いに備え奇策と知略で幕府軍を撃退していきます。
100日間にもおよぶ戦いの結果、楠木正成率いる千早城側は鎌倉幕府軍を退却させることに成功し、千早城を一度たりとも落城することなく、守り抜きました。
鎌倉幕府はこの戦いのため手薄となっていた鎌倉が新田義貞によって攻め落とされ、千早城の戦い後わずか12日後に滅亡します。
このような経緯から千早城は戦いの城として発展していき、現在でも曲輪や空堀、堀切などが残っています。

建武の新政以後は、南朝方であった楠木氏の居城となりますが、明徳3年(1392)に北朝方だった畠山基国に落城させられます。

2006年には日本100名城に選出されました。

アクセス

南海および近鉄 河内長野駅下車、バスで移動し金剛登山口で停下します。

千早城へ行ってみた

それでは千早城へ行ってみましょう。

今回はスタンプを先にもらいに行く関係で、千早城北側にある駐車場に止めてから、スタンプ設置場所である『金剛山麓 まつまさ』へと最初に向かいました。
ちなみに、千早城への登頂は西側参道まで移動してから入り、下山するとこの金剛山麓 まつまさのそばにある裏参道に出てくるようになっています。

金剛山麓 まつまさ

千早城のスタンプは、千早城北側にある金剛山麓 まつまさに設置されています。
お土産や食事を楽しむこともできるお店です。
下山後に寄ることもできますよ。

表参道

今回千早城へは、駐車場から200mほど南にある705号道路沿いにある表参道から入りました。
初っ端からいきなりの急な登りです。
約20分間急激な登りが続きますので覚悟しましょうw

最初からこれなので心が折れます。

緩急ある階段を上っていきます。

広場(四の丸跡)

しばらく上ると、千早城の城域内に入りました。
最初に到着したのは四の丸跡です。

現在四の丸跡には茶屋が残っていますが、営業はしていないようです。

なかなかに荒れ果ててきています。

現在は二の丸跡にある千早神社の域内となるため、鳥居などが建てられ、神社に向けて参道は整備されています。

社務所(三の丸跡)

三の丸跡には千早神社の社務所があります。
上の写真はその社務所の向かいにある史跡 千早城址の碑です。

千早神社(二の丸跡)

そして、現在は千早神社の建つ二の丸跡に到着しました。
四の丸入り口からここまでが約300mほどです。

千早神社は、千早城本丸跡にもと八万大菩薩を祀って創建されました。
後に、楠木正成・正行などを合祀して楠社と呼ばれていました。
明治7年に再建し、同12年には祠を縦、千早神社となりました。

本丸跡

二の丸跡からさらに裏手に進むと本丸跡があります。
こちらには展望台らしき建物が建てられています。

裏参道

三の丸跡と四の丸跡の間に分かれ道があり、裏参道へとつながっています。
帰路はこちらを通りました。

裏参道を通ると、金剛山麓 まつまさにの前に出てきます。
こちら側に車を停めていると帰りが非常に楽です。

いかがだったでしょうか。
かなり過酷な立地に建てられた城なので、難攻不落だったことも頷ける城跡でした。
城の遺構よりも千早神社として整備されてしまっている点が少し残念な気もしましたが、城巡り突いてでに『落ちない』ご利益までいただけるとあらば、行かない理由は無いですね。