307【妄想紀行】21世紀初の独立国家。しかしその独立多くの犠牲の上に成り立つ『サンタクルス墓地』

妄想紀行(Delusion)
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今回の妄想紀行は、21世紀最初の独立国家としても有名な東南アジアの東ティモールです。
この東ティモール、非常に小国であり、同国のあるティモール島は西半分がインドネシア領であることもあり、なかなか目立たない国です。
そのため、日本からも訪れたことがある人がほとんどいないのではないでしょうか。
実際に何を目的に行くかとなると、観光スポット的なところも少なく、小国の後発発展途上国の割りには、数々の品々を輸入に頼っているせいもあり、物価もそこまで安くはないなど、なかなか『行ってみよう!』とはなりにくいかもしれません。

しかし同国には数多くの自然が残っていたり、東南アジアの植民地時代を経てきた歴史の傷跡が残っていたりと、東南アジアの国々が辿ってきた歴史を学ぶ機会があると考えると、実は見どころのある国であったりします。

残念ながら2020年のコロナ禍により、同国へ行く手段がほぼなかったり、隔離期間が設けられていたりと、今現在の入国は厳しいものがありますが、いずれは訪れて見たい国の一つであります。
だからこそ、さあ今回も行ってみましょう!妄想で!!

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 植民地時代を経たインドネシアとの数々の争いの跡、サンタクルス墓地。そこから何を学ぶのか。

これまでの妄想紀行です。

277【妄想紀行】日本から一番近くて一番遠い外国『サハリン』
今回は、ロシアの極東にある島、サハリンの妄想紀行です。今から70年ほど前までには日本の一部だったこともあるこの島。現在もまだ、当時の日本をほうふつとさせる建造物も残っていたりします。
254【妄想紀行】負の遺産「旧奴隷市場」がある、残虐で非人道的な状況を深く学ぶことができる『ザンジバル島のストーン・タウン』
タンザニアの東に浮かぶ群島であるザンジバル島には、今もなおこの島を語るときに外すことのできない『奴隷』の貿易が行われていた旧市街ストーン・タウンがあるのです。。今回は、妄想紀行でタンザニアの世界遺産『ザンジバル島のストーン・タウン』へと行ってみましょう。
195【妄想紀行】トルクメニスタンで50年燃え続ける『ダルヴァザ~地獄の門~』
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183【妄想紀行】その歴史はまるで日本のポンペイ『鎌原観音堂』
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119【妄想紀行】エチオピアの凝灰岩をくりぬいて建造された『ラリベラの岩窟教会群』
アフリカにあるエチオピアの世界遺産『ラリベラの岩窟教会群』。地中にある十字型の教会の写真を見たことはありませんか?実はこちらは、世界遺産登録に第一回登録された12ののうちの一つなのだそうです。妄想紀行ですので、一緒に行った気もちになって見てみませんか。

今回の目的地

サンタクルス墓地

東ティモールの首都、ディリの中心部にあります。

見どころ

サンタクルス墓地は、1991年の「サンタクルス事件」にまつわる場所であり、同事件で犠牲になった市民たちの多くがが、眠る場所でもあります。

サンタクルス事件が起こった11月12日は、現在では「サンタクルス記念日」という国民の祝日になっています。
東ティモールの人々にとっては、このような悲劇が二度と起こらないように、平和への祈りをささげる大切な日となっています。

では、サンタクルス事件とは、どのような事件だったのでしょうか。

サンタクルス事件

東ティモールはポルトガルからの独立に向けて話し合いが進められている最中、インドネシアによる侵攻を受け、1976年にインドネシアへ併合されます。
国際的には認められなかったこの併合ですが、東ティモール人にからも強い反発があり、独立を求める強い動きがありました。
しかし、インドネシアはそれらに対して弾圧を行い、このインドネシアの統治の間に東ティモール全人口の4分の1から3分の1の人々がインドネシア国軍によって虐殺されたといわれています。
そして、このようなインドネシアによる東ティモール占領下でサンタクルス事件は起こります。

1991年、東ティモールの中心都市ディリで独立派の若者がインドネシア国軍によって殺害されます。
若者が埋葬されたサンタクルス墓地に埋葬されましたが、殺害から2週間後の献花の際、参列していた群集が独立を求めるデモと化します。
インドネシア国軍はその群集に向かって発砲し、300人近くの死者を出す結果になりました。
しかし、この事件が映像などで海外で報じられ、東ティモール独立に対する国際的な関心が大きな高まりを見せはじめます。

妄想紀行

日本にいるとどうしてもインドネシアと一緒くたにしてしまいがちな小国東ティモール。
どこの国でもそうですが、隣国とは友好関係がある反面、様々な争いが生まれることも確かな点であることも確かだ。
東ティモールも例外なくインドネシアと数々の争いがあり、今回訪れるサンタクルス墓地も、そんな悲しい歴史の跡の一つ。

東ティモールはディリの町の中心にあるため、このサンタクルス墓地へのアクセスは容易です。
しかし、墓地であり、同国独立のために犠牲になった人々がここに眠ると考えると、しっかりとその歴史をふまえ、平和への祈念の思いをもって訪れなければいけないだろう。

町中にあるサンタクルス墓地は、墓地ではあるものの色とりどりな墓石もある小さな墓地です。
しかし、東ティモールの人々、あの事件を忘れない。
事件の起こった11月12日が「サンタクルス記念日」として国民の祝日と制定され、全国民が無くなった人々のことを今でも思うように、訪れる渡したちも、しっかりと手を合わせなければいけない場所だと改めて感じた。

・・・・・以上、妄想でしたw

わきみちポイントは?

東南アジアでは最も新しい国である東ティモール
ここだ!という観光スポットは多くはなく、どちらかというと自然がメインであるような国です。
しかし、そのような中でもよく探してみると、色々と見どころはあったりします。
今回紹介しているサンタクルス墓地以外では、次の2か所も忘れずに訪れておきたいスポットです。

クリスト・レイ

一つは、巨大な像です。
インドネシアとは違い、国民のほとんどがキリスト教徒である東ティモールでは、宗教的にキリスト教と関係のある『クリスト・レイ』という27mもの高さの巨大なキリスト像があります。

東ティモールレジスタンス博物館

そして、もう一つは東ティモールレジスタンス博物館です。
ここには、当ブログでも紹介したような東ティモールの独立までの歴史や、サンタクルス事件などインドネシア統治時代の凄惨な事件などに関する資料が展示されています。
東ティモールの歴史の歩みを知り、この歴史をしっかりと後世に伝えていくことも大切なことでしょう。

東ティモール

東ティモール民主共和国は、東南アジアにある国であり、インドネシアの占領下から2002年5月20日に独立した21世紀最初の独立国としても有名な国です。

国土の大半はティモール島の東半分であり、それにアタウロ島、ジャコ島、と西ティモールにある飛地のオエクシで構成されています。
その立地からもわかるようにインドネシアとの関係が深く、歴史的に幾度となく衝突のあった関係でもあります。
インドネシアと近いものの、経てきた歴史には違いがあります。
インドネシアは長くオランダによって植民地化されてきましたが、この東ティモールはポルトガルによって植民地化されていました。

東ティモールの歴史

16世紀にティモール島はポルトガルによって植民地化されます。
その後、オランダがティモール島に進出し、1859年にティモール島は、西ティモールをオランダが統治し、東ティモールをポルトガルが統治する東西に分割されます。

その後1942年の第二次世界大戦時には日本軍によって、ティモール島全土の統治が行われます。
戦後は再びポルトガルによる支配が復活します。

20世紀後半になるにつれて、同地域内では、独立派、ポルトガルとの関係維持、インドネシアとの統合といった3つの主張を持った政党が誕生し、その中でも東ティモール独立への動きが加速していきます。

しかし、同時期にはインドネシアによるティモール島全土の制圧が行われます。
その鍛圧は激しいものであり、多くの東ティモール人が命を落としました。
そして、今回取り上げているサンタクルス墓地に眠る多くの人々が犠牲となったサンタクルス事件も1991年に発生しました。

1998年に就任したインドネシアのハビビ大統領は東ティモールに特別自治権を与えるかどうかの住民投票の実施をポルトガルと同意します。

1999年8月には東ティモールが特別自治権を選ぶか独立を選ぶかの住民投票が行われます。
投票の結果、特別自治権付与の案が否決され、東ティモールの独立が事実上決定します。
しかし、その後再びインドネシア軍による破壊と虐殺が行われますが、国連の介入により2002年の独立まで国際連合東ティモール暫定行政機構(UNTAET)が同地域を率いていくことになります。

渡航ルート

日本→バリ/シンガポール/ダーウィン→ディリ

日本からの直行便は無いため、上記の三拠点経由のフライトになります。
バリ経由が最も便数が多く一般的であり、2時間ほどで到着です。
シンガポール経由では4時間、ダーウィン経由では1時間半ほどが必要です。

ディリ行きの航空便は距離にしては高額なのですが、西ティモールから陸路で東ティモール入りという方法もあります。

予算

平均的には、トータルでは15~20万円が目安になるのではないでしょうか。

いかがだったでしょうか。
【妄想紀行】ですので、あくまでも自分で見て聞いて体験したものではありません。

将来的に、こちらを訪れることがあった場合は、しっかりとした紀行記事としてリライトしていきます。