315【城ノウハウ】城にある様々な建造物って何が何のためにあるのだろう?

百名城/続・百名城(Castle)
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当ブログでも幾度となく取り上げている城シリーズ。
ほとんどの人は、『』と聞いて頭の中には豪華にそびえたつ天守を思い浮かべることでしょう。
しかし、城とは天守だけでなく、天守も含めた様々な建造物で構成されているわけです。

その城の造りも時代によって様々です。
戦いに明け暮れ、自分の領地を取るか取られるかという時代であれば、とにかく敵からの防御力を高め攻撃の優位性を高めるために、天然の要害に囲まれた山城など、その立地も最大限考慮しなければいけません。

一転して、太平の時代の城となると、平地に造られ、その中で防御力を高めたり、城下町と一体になった作りであったりと、その時代時代に応じた造りが見られるものです。

今回は、そんな城を構成する様々な建造物にフォーカスして、城巡りをするときに少しでも役に立つような情報を紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 城の見どころは天守だけではない!城を構成する建造物を知り、たくさんの自分なりの見どころを見つけてみよう。

城ノウハウに関する記事です。

341【城ノウハウ】城の造られる場所によっても、こんなに用途や造りに違いが!?
どのような城もそこにある意味がわかってくると、城からその地域の歴史にも興味がわいてきます。今回紹介している城づくりについて大切な場所選びのことをある程度分かっていると、城巡り一つとってみても見え方がさらに広がってくるのです。

城とは

日本における城とは、敵を防ぐためや、自分たちの領土を統治するために土や石で堅固に築いた建物・設備のことです。
日本ではその時代に応じて様々なスタイルの物が造られてきました。

古代であれば、山の地形をそのまま用いた山城や水城、柵で囲まれただけの砦など簡素な造りの物がほとんどでした。
中世から近世になると、その構築技術も発展していき、土塁や石垣、見張り台から櫓、そして豪華絢爛な天守などへと移り変わっていきました。
かつては日本国内に数万の城があったとみられていますが、江戸時代に入って出された一国一城令や、明治時代に入って出された廃城令、そして第二次世界大戦の災禍などを経て、多くの城を構成する建造物群は現在は残されていません。
奇跡的に現代にまで天守をそのままの形で残している城は、現存十二天守のみであるなどです。

しかし現代では、その城の文化的な価値が見直され、地域の観光資源として保存され修復の対象になってきています。
その中で、無くなってしまった天守を復元したり、記録では残されていなくても城の跡地に築かれた模擬天守などが新たに建てられる場所も多くあります。

城を構成する建造物の中で最も人々がイメージするものとしては天守でしょう。
天守といえばそこから城下町をながめるような城主がイメージされるかもしれませんが、実はそこは居住スペースではなく、城内や別の場所に築かれた場所に館を築いて居住している場合が多かったのだそうです。

そんな『城』の中には、いろいろな建造物が含まれています。
今回はその中で代表的なものをいくつか紹介していきたいと思います。

城にはあるこんな建造物

虎口

虎口とは、城や曲輪の出入り口です。
つまり、敵が攻め入ってくるときもここから攻めてくることとなるため、激しい戦いが繰り広げられる場所になります。
そのため、容易には侵入できないように厳重な設計がなされ、あらゆる方向から攻撃ができるような工夫なども施されていきました。

特に、虎口から一直線に城内に入れるようであれば、防御の意味を成しません。
そのため、喰違虎口のように直進できない造りにしたり、枡形虎口のように侵入してきた敵を3方向から攻撃できるような空間に誘い込んだりといった虎口が考え出されていました。

は堀などを渡り、場内に入るために設けられています。
橋の種類はまずは木橋があります。
木橋はいざ敵の侵入があったときに、取り外したり壊したりして侵入を防ぐメリットがありましtあ。
ただし、全ての橋を木橋にしてしまうと、それを逆手にとって敵に全ての木橋を壊されてしまうと、今度は場内に閉じ込められてしまう場合があります。
そのため、重要な門の前は木橋ではなく、土を盛り上げたり、石垣で固めたりした土橋が用いられることが多かったようでした。

また、上の彦根城のように曲輪から曲輪に対して堀切に設けられた橋などもあります。
この木橋は前述のようにあえて木造の造りにしておき、敵が侵入してきた際には橋を落として、それ以上侵入できないようにしていた橋の一つです。

濠/堀

濠/堀は、城や曲輪のまわりを囲むように掘った溝のことです。
堀を掘って出てきた土などは、積み上げられて土塁にされたりと、堀と土塁や石垣を組み合わせて敵の侵入を防ぎます。
堀の中に水を張ったものは水堀と呼ばれ、水がないものは空堀と呼ばれます。
天守と石垣が建造されるようになった近世の城は水堀が多くなっていますが、古代・中世の山城を中心としたような城ではほとんどが空堀になっています。
城を築城する際に、川の近くに築城することによって川を天然の堀のように扱うこともあったり、海の近くに築城する場合は、海から海水を引いて堀とする場合もあったようです。

山中城の障子堀のように、特徴的な堀と土塁の組み合わせの、難攻不落の城も誕生しました。

土塁

土塁とは、河川敷で見られる土手のように、土を高く積み上げた壁です。
城や曲輪の周りを土塁で囲むことで、敵から城を守るために造られました。
土塁は主に、堀を掘った時の土を積み上げて固めて造られています。
土塁の上は平らにして歩けるようにして、そこから敵に対して攻撃を加えたりする場所にもなっていました。

石垣

石垣は、石を積み上げて造られた壁のことです。
石垣が造られるようになるまでは、土を掘って、掘った後の土を積み上げて造る土塁が一般的でした。
石垣の建造時には、ただ単に積み上げるだけではなく、表面に見えている大きな石の裏には小石がびっしりと詰め込まれているなど、高い技術のもとに組み込まれており、とにかく丈夫で崩れないように築かれています。
現在も残る石垣で有名な城は、大阪城や伊賀上野城などに30m近くもある高い石垣が残されています。

石垣は大きく2つの積み方があります。
大きさがバラバラな石をそのまま積み上げていくのが乱積で、つぎ目を横一直線になるように積んだのが布積です。

また、石そのものの加工にも3種類あります。
切り出した石をほぼ加工せず積んだものが、野面積み
表面を平らに加工し、石と石の間にできる隙間を小石で埋めたものが打込ハギ
隙間ができないように加工したものが切込ハギといわれています。

この2種類の積み方×3種類の石の加工方法を組み合わせて、日本の城では計6パターンの石垣の積み方があります。

こちらは石垣の中に元々は五輪塔や墓石などとして使われていた石が使われています。
これらは転用石と呼ばれ、福知山城の石垣などで有名です。
築城の際に石材を寺社などからも集め、造られていることが分かるものとなっています。

とは主に城内の曲輪の隅などに建造された建物であり、敵の侵入を防ぐ役割を持った重要な建物です。
天守がない城は多くありますが、櫓のない城は一つもないほどのものです。
その役割上、敵を攻撃する拠点や、武器庫、遠くからの敵の侵入がないかどうかを見る物見の役割も持っていました。
天守と同様にその外観によって階層が重で表され、二重櫓や三重櫓、平櫓などと呼ばれます。
天守が現存していない場合でも、櫓は古くから現存し続けてきている城も多く残っています。

門・櫓門

は城の虎口などに設けられています。
城の構造としては敵の侵入を最大限考えなければいけないため、それらを防ぐための工夫がなされています。
例えば、城門は必ず内開きになっており、敵が来たらすぐに内側から占めることができるようになっていた李、門の表面に鉄板を施し、鉄砲などの対策も施されたりしていました。

上の写真は櫓門といわれる門であり、門の上に二階部分が設けられているものになります。
櫓門はかなり規模も大きくなるため、城の正面に当たる大手門や本丸の正門といった、城の中でも重要な出入り口のばしぃに設けられました。
もちろんこの櫓にも敵の侵入に備えたしかけが設けられていることもあり、狭間等も設けられていました。

また、上の写真は高松城の写真ですが、この写真の門は当時は海に面した門であったため、ここから小舟に乗って瀬戸内海に繰り出すことができたのだそうです。

馬出

馬出は、小口の前に造られた、独立した小さな曲輪のことです。
馬出はほとんどが周りを堀で囲み、土橋や木の橋などで虎口と結ばれていました。
この馬出が城内侵入ができるかどうかの要となる場所であり、城をめぐる攻防戦の場合は防御の拠点となります。

狭間

狭間は、天守や櫓、塀や石垣などに設けられた小さな穴です。
形は三角型や丸型、正方形型などあり、城の内側から鉄砲を撃つための鉄砲狭間や、矢を射るための矢狭間などがありました。
内側からは侵入してくる敵を見やすく、外側からは自分たちを狙ってくる相手を認識しづらいため、どこの城でも見られる防御のための効果的なな備えの一つでした。

丸・曲輪・郭

丸=曲輪=郭であり、城内にある人場や区画のことです。
山城などは斜面に造られるため、建物を建てるように斜面を平らに整えて曲輪にします。
その曲輪は石垣や土塁、で囲んで、曲輪間は堀で区切っていき、二の丸、三の丸、本丸といったようにそれぞれの曲輪を独立させていきます。
城の中心となる天守は、主に本丸に置かれ、そこから外側に向かって二の丸、三の丸・・・となっていくのが一般的でした。

天守

城の中心にあり、ほとんどの場合城内最大の建造物となるのが天守です。
天守の歴史は白の歴史の中では比較的新しく、織田信長が安土城で初めて作ったと考えられています。
攻防に長けた建造物というよりかは、城主の権力を見せつけるための建造物という意味あいが大きいようです。
外観から見ると行く重もの屋根が造られており、外観から見た階数は層や重といって表されます。
また、内部の階数については階で表されます。
その外観も様々であり、姫路城に代表されるような真っ白な天守や、松本城や岡山城のような真っ黒な天守まで、それぞれに特徴があります。

御殿

御殿とは、城主やその家族が生活をしたり、仕事を行っている場所で市tあ、
城主がいる御殿は、大体が本丸に設けられた本丸御殿にいたことが多かったそうです。

現在江戸時代から残る現存御殿は4つであり、
・二条城の二の丸御殿
・川越城の本丸御殿
・掛川城の二の丸御殿
・高知城の本丸御殿

が当時の姿のまま残されています。

いかがだったでしょうか。
今回は、城を見るときのポイントの参考になるように、城の中に設けられている主な建造物について紹介してきました。
城の主な目的が、敵からの侵入を防ぐことと、城主の威光を反映させたものであるということからも、一つ一つの建造物が意味を持って造られていることがよくわかったかと思います。
このように見るポイントをたくさんもって、城巡りをすると、新しい発見がよりたくさん見つかりそうですね。