317【兵庫紀行】西国へ向かう東西交通の要所であった重要拠点『明石城』

百名城/続・百名城(Castle)
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明石という地名を聞くとイメージするのは”“や、”明石焼き“などの食べ物でしょうか。
または、日本標準時のまち・明石でしょうか。

実は、明石の場所を語るには、その立地をまずは把握しなければいけません。
以下の地図を見てみてください。


どうでしょうか?
京の都から西側の国に通じる、狭く限られた平野部に位置し、ここから北に向かっていくと、山々の間を抜けながら、丹波国や但馬国へ。
南を見ると、瀬戸内海・大阪湾をつなぐ海峡の場所にあり、淡路島や四国へと向かうルートでもある。
つまり、江戸幕府にとっては、西側諸国を監視・支配するためにはかなり重要なポイントであったことが分かります。
そのため、この明石の地を幕府の重要拠点としようとすることも自然な考えですね。
そこで、ここに設けられたのが今回紹介している明石城なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 2つの櫓が見つめる、百々時代の東西南北交通の要衝を見に行ってみよう。

兵庫の城に関する記事です。

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明石城

明石城は兵庫県、明石市にある城です。
1619年に、小笠原忠真によって築かれた城です。
1619年といえば江戸時代に入っており、1615年の一国一城令後ということになります。
島根県の浜田城のように、一国一城令後に築かれた珍しい城です。

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そうまでして築かれた理由としては、西国への重要な街道沿いの拠点であるという点が大きくあります。
明石の地は山陽道が通り、ここを起点に北上すると丹波国や但馬国へ通じ、南の瀬戸内海に出ると淡路島、四国へのルートがある、古来から交通の要衝であったのです。
西国の外様大名や、豊臣家に縁のある大名を抑える拠点として、江戸幕府二代将軍の徳川秀忠によって築城が命じられました。
そういった築城の経緯からも、江戸時代にはかなり重要な拠点として取り扱われていました。
築城にあたっては、さまざまな城の遺材を集めて築城されました。

明石城は天守台は設けられたものの、築城から今まで天守は建てられてきませんでした。
その代わりに、本丸には三重櫓が4つ作られました。
北東の艮櫓及び、北西の乾櫓は明治期に解体されましたが、南西にある城内最大の櫓である坤櫓、南東にある巽櫓は現在も残されています。

明石城を築城した小笠原忠真以降は、50年あまりの間に城主が目まぐるしく入れ替わりましたが、越前家の松平直明が入城し、それ以後は明治7年(1874)の廃城れによる廃城までの189年間は、松平氏10代居城となりました。

平成7年(1995)の阪神・淡路大震災の際には櫓や石垣が崩れるなどの大きな被害を受けました。
修復工事は約5年間い及び、2棟の櫓を曳家でそのまま移動させ、建物が移動した後に、土台や石垣を修復し、その後櫓を元あった位置に戻す構法が用いられ、全面修復されています。

平成18年(2006)には日本100名城に選定されました

アクセス

JR明石駅下車すぐに城内に入ることができます。

明石城へ行ってみた

それでは明石城に行ってみましょう。

明石城は駅からのアクセスが抜群です。
駅北口から徒歩1分少々で、明石城敷地内に入ります。
駅前が堀になっていますので、電車からも明石城内の櫓は目に入ってくることでしょう。

城内は現在は明石公園として整備されています。

城内に入り、すぐ右手にある明石公園サービスセンターで日本百名城スタンプを押すことができます。
こんなところまでアクセス抜群です。

スタンプを押した後は場内に入っていきましょう。
すぐに眼前に櫓が見え始めます。

あと少しで明石城の名物の光景、2つの櫓が見えてきます。

明石城の三重櫓、坤櫓(左)と巽櫓(右)が一枚に収まりました。
天守がなかった明石城は、これらの三重櫓(特に巽櫓)が天守の役割を果たしてきました。
よく見ると左右の櫓で立てられている向きが異なることが分かるでしょうか。
これによって、東西及び南北がそれぞれ監視できるようにされていたのだそうです。

巽櫓

まずは本丸南東にある巽櫓です。
築城時の巽櫓は江戸時代寛永期に焼失しており、現存しているのは巽櫓は江戸中期に再建されたものです。

土塀・展望台

巽櫓と坤櫓とを結ぶ土塀から駅方面の眺めです。
この土塀は、明治期に壊されていましたが、平成になって再建されています。

向こうに見えるのは本丸南西にある坤櫓です。
明石城内では最大の三重櫓でした。

人丸塚

巽櫓と坤櫓の間には、人丸塚と呼ばれる場所があります。

明石城の本丸の位置には元々は弘仁2年(811)に空海が創建した湖南山楊柳寺(後の月照寺)がありました。
明石城の建つこの場所の名前である人丸山は、同寺の僧であった覚証が柿本人麻呂の夢を見た後、寺の背後にあった塚を「人麻呂塚(人丸塚)」と名付けたところからきています。
同寺は、明石城築城の際に移転しています。

天守台

坤櫓のすぐ北には天守台が残されています。
明石城では天守台は設けられましたが、築城時から今まで天守が設けられたことはありませんでした。

天守台に上る階段には、宝篋印塔と思われる石材が転用されて用いられています。

天守台上に上ってきました。

天守台はかなりの広さがあり、熊本城大天守と同等な規模があるのだそうです。
実際天守が建てられていれば、かなりの規模になったことでしょう。

天守台下に降りてきました。
下から見上げるとかなりの高さがありますね。

坤櫓

そして、南東に位置する、城内最大の三重櫓である坤櫓です。
巽櫓とは異なる方向に向けて建てられています。

いかがだったでしょうか。
江戸初期に建てられて400年の歴史がある城ですが、比較的新しい時代に建てられた城であるため、その縄張りや櫓などが状態良く残されています。
何よりも駅からのアクセスが抜群であるため、とても見て回りやすいおすすめの城です。