『江戸時代の城番附』
というものをみたことはありますでしょうか?
お城巡りをしていると時折見かける、大相撲の番付表のような物です。

江戸時代の日本国内の城を、石高順に並べて作られたお遊びのような物なのですが、実際の情報を基に造られているものなので、「へえ~」となる番付になっています。
ポスターはじめ、タペストリーなどとして売られているので運が良ければ手に入れられるでしょう。
ところがこの番付、東西大関から前頭までずらーっと城が並んでいますが、その中でも8つの城だけは別格の城として選ばれているのです。
その別格ポジションにある城ですが、
<行司>
尾張国 名古屋城
紀伊国 和歌山城
山城国 二条城
播磨国 明石城
<年寄>
美濃国 安土城
河内国 赤城城
<取締>
武蔵国 江戸城
摂津国 大坂城
の8つの城があります。
では、この8つの城はなぜ特別なのか?
それを今回は考えていきたいと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
行司
尾張 名古屋城(日本百名城)

どこにあるの
愛知県名古屋市中区本丸にあります。
なぜ重要拠点
名古屋城は、1610年に徳川家康の命によって築城が始まった城です。
西に大阪のあるこの場所は、大阪城の豊臣秀頼を牽制する拠点として重要な場所だったのです。
徳川御三家のひとつである尾張徳川家の城でした。
紀伊 和歌山城(日本百名城)

どこにあるの
和歌山県和歌山市一番丁にあります。
なぜ重要拠点
和歌山城は、豊臣秀吉の弟である秀長によって築城されました。
江戸時代に入った後、1619年からは御三家の一つである紀伊徳川家の居城となりました。
山城 二条城(日本百名城)

どこにあるの
京都府京都市中京区二条城町にあります。

なぜ重要拠点
二条城は、徳川家康が築城した江戸幕府にとって重要な城でした。
征夷大将軍の任命式典や、将軍が京へやってきたときの滞在地、そして幕末の大政奉還は、二条城の二の丸御殿の大広間で行われました。
二条城に残る二の丸御殿は、全国に4つしか残っていない現存御殿のひとつです。
播磨 明石城(日本百名城)

どこにあるの
兵庫県明石市明石公園にあります。

なぜ重要拠点
明石城は、京の都から西に向かうにあたって交通の要衝になる場所です。
北に行くと但馬・丹波地域、南に行くと淡路島・四国。
そして、西国に向かうためには必ず通る街道沿いにあります。
そのため、江戸幕府二代将軍である徳川秀忠の命で築城されました。
豊臣家に縁のある大名たちを牽制する役割を担っていた城なのです。
年寄
美濃 安土城(日本百名城)

どこにあるの
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦にあります。
なぜ重要拠点
安土城は、天下統一を目前にした織田信長によって1576年に造られたこの城は、日本で初めての天守が建てられた城です。
豪華絢爛な外観であったようですが、信長が殺害された本能寺の変の後に、天守は消失しました。
河内 赤城城
どこにあるの
大阪府南河内郡千早赤阪村にあります。
なぜ重要拠点
他の7つの城が全て日本百名城に登録されている城なのですが、この赤城城だけは登録されていません。
こちらの赤城城ですが、おそらく南北朝時代に楠木正成によって築かれた赤坂城(上赤坂城、下赤坂城)に当たる城でしょうか。
少し情報が少ないため、おいおい更新していきたいと思います。
取締
武蔵 江戸城(日本百名城)

どこにあるの
東京都千代田区千代田にあります。

なぜ重要拠点
江戸城は、江戸幕府の中心として、本格的に築城された、全国で最大の広さを誇る城です。
その築城は、徳川家康から始まり、3代将軍の徳川家光の時代まで続いたのだそうです。
現在天守は残っていませんが、家康・秀忠・家光それぞれの時代に天守が建てられましたが、3代目天守が1657に消失して以来、天守が再建されることはありませんでした。
摂津 大坂城(日本百名城)

どこにあるの
大阪府大阪市中央区大阪城にあります。
なぜ重要拠点
大坂城は、豊臣秀吉によって築かれた城として、天下の中心として知られている城ではありますが、豊臣方が大坂夏の陣で滅亡した後、江戸幕府二代将軍の徳川秀忠の命によって、二代目天守が建造され、豊臣時代の遺構は全て埋められてしまいました。
江戸時代にも大阪は重要な拠点と考えられており、幕府直轄領(天領)とされていました。
いかがだったでしょうか?
今回は、江戸時代の城番附から8つの城をピックアップしてお伝えしました。
今回のようにいろいろな切り口での城のピックアップ記事も今回展開していきたいと思います。