これまでも紹介してきた、ラオスの世界遺産の町ルアンパバーン。
ルアンパバーンと聞くと、真っ先に思いつくのは毎朝の托鉢です。
オレンジ色の僧たちが連なる光景は、どこかしらで目にしたことがあるのではないでしょうか。
今回はそんな僧たちが練り歩くルアンパバーンの、町並みに焦点を当て紹介していきたいと思います。
仏教国であるラオスでは、日本とは異なる上座部仏教の雰囲気漂う国です。
ルアンパバーンも例外ではなく、上座部仏教の寺院が町中に立ち並び、人々の祈りの場であり続けています。
しかし、この町はそんな仏教の歴史だけではなく、フランスによって統治された歴史も持ちます。
そのため、町の通りを見てみても植民地時代のコロニアルな雰囲気も感じられる町なのです。
というわけで、今回のわきみちは、
ルアンパバーンに関する記事です。



ルアンパバーン
1995年の世界遺産登録から、年々世界中から注目を集めているラオス北部の小さな町ルアンパバーン。
元々はこの地にあった1353年に誕生したラーンサーン王国の首都でした。
首都がヴィエンチャンに遷都されると、この地はルアンパバーン王国としてラーンサーン王国から独立します。
やがて、その後フランスの植民地となってルアンパバーンは占領され、1975年まで王宮が置かれていました。
ところが、ラオス北部の山間地帯にあるルアンパバーンへは、各方面からのアクセスが不便な場所にありました。
このことが幸いし、そんな古い王国時代の建造物や、フランス植民地時代の面影がまだまだ町中にはいまだに色濃く残っている町なのです。
ラオス、そしてルアンパバーンの町はメディアでとりあげられることも増えてきており、ここを訪れる観光客は年々増加していっているそうです。
アクセス
ラオスの首都ビエンチャンからは
飛行機の国内便で50分ほど、バスでは11時間ほどかかります。
ルアンパバーンへ行ってみた
それでは、ルアンパバーンの町へ行ってみましょう。

こちらがルアンパバーンの町の通りです。
この写真では、ラオスらしい町並みの雰囲気が感じられますね。
ラオスを代表する観光地のため、通りはきれいに清掃されており、車どおりはそれほど多くはありません。

町中にはこのようなマーケットもあります。
バイクの多さや、雑踏とした感じは、東南アジアならではですね。

町中の移動はトゥクトゥクが便利です。
また、レンタサイクルでのんびりとまわるのもいいですね。
起伏のない町中なので、自転車でも楽々と見どころをまわれます。

ところが、ルアンパバーンには、それだけではなく、上の写真のようなヨーロッパ感のある建物もたくさん立ち並んでいます。
そして、これらの建物をリノベーションし、新しいお店などもたくさんオープンし、どんどん若い世代が写ってきているのが伺えました。
これも、欧米からの観光客を惹きつける要因の一つなのでしょう。
ワット・タート・ルアン

ワット・タート・ルアンは、19世紀初頭に建立されたとされる寺院です。
本堂と二つの仏塔から成っています。
1975年以前は王室の火葬場として使われていたらしく、ラーンサーン王国の最期の王もここで火葬され、遺灰が仏塔に埋葬されています。


ルアンパバーンの寺院では、写真のような小さな子どもたちが戯れている様子をよく見ることができます。


敷地内には僧たちが生活をしている場もありました。
寺院とは打って変わって質素な造りの建物ですね。
修行僧の暮らすといった感じですね。
ワット・ビスンナラート

ワット・ビスンナラートは、1512年にビスンナラート王の治世の時代に建てられました。
建造当時は30mもの高さにもおよぶ豪華な寺院であったそうですが、19世紀にホー族の侵入によって破壊されてしまいます。
現在のワット・ビスンナラートは19世紀末に建て替えられたものです。

ここに残る仏塔タート・パトゥムは高さが35mもあったらしいのですが、1914年に大雨によって崩壊してしまいます。
その後、1932年の改築によって現在の形になりました。
ワット・シェントーン
ワット・シェントーンは、半島部の東端に建つルアンパバーンを代表する寺院です。
16世紀半ばに建立されたこの寺院は、かつては塩の貿易商として一代で財を築いたビエンチャンの商人チャンターパニットの家があった場所であり、その業績をたたえて寺院が建てられたとのことです。
本堂と立像堂

上の写真の右側が本堂であり、左の小さなお堂が立像堂です。
本堂はルアンパバーンの寺院でよくみられる様式であり、9枚の屋根が折り重なって造られています。
立像堂は本堂に隣接して造られており、仏教神話に登場する半鳥人キンナリーが祀られています。

本堂を背面から見ると、今から60年ほど前に製作された黄金の木のモザイク画が施されています。
霊柩車庫


霊柩車庫には、龍の首を持つ黄金の霊柩車が納められています。
この霊柩車は,1960年に行われたサワンウォン王の葬儀で使われたものです。

ワット・マイ

ワット・マイは、18世紀末から約70年の歳月をかけて建造された寺院です。
本堂の正面に見える黄金のレリーフは1960年代に施されたものです。
内部には、豪華な装飾が施されたボートが2艘おさめられています。

ワット・セーン

ワット。セーンは、18世紀初頭に建立されました。
周囲の寺院と比較して大規模な寺院です。
20世紀中ごろに改修が施され、現在の姿になっています。
ワット・パバートタイ

ワット・パバートタイは、ルアンパバーンでは珍しいベトナム洋式の寺院です。
17世紀に建てられ、ルアンパバーンに大きなベトナム人コミュニティがあったことが分かります。
1833年に焼失したものの、間もなく再建され今にいたります。
パバーン仏堂

パバーン仏堂は、ルアンパバーン国立博物館正面に位置しており、パバーン像(黄金の仏)が安置されている祠です。
ルアンパバーンがパバーン仏(黄金の仏)の都という意味を表しているように、ルアンパバーンを象徴している像のある場所です。


ルアンパバーン国立博物館

ルアンパバーン国立博物館は、かつて王宮都市だった建物を使用し、王朝時代の歴史や王族の使用した家具や調度品など、ルアンパバーン王国の繁栄を見ることができます。
建物自体は。王族の住居として20世紀初頭に建造されますが、当時はフランス統治下だったラオス。
しかし、フランスは植民地化しているにもかかわらず、ルアンパバーンを保護領としていることを印象付けるため、傀儡として立てていた王による形式上の王政を続けていたのでした。
そのため、この王族の住居であった建物も設計されたのです。
1975年に現政権がルアンパバーンを掌握すると、居住していた王族は北へ送られ、建物は博物館として一般の人々に開放されるようになりました。

プーシー

プーシーは、平地であるルアンパバーンの町に突き出た高さ150mの小高い山です。
個々の頂上からは、メコン川とナムカーン側に囲まれ、東西に細長く広がるルアンパバーンの町が一望できる場所です。

頂上の仏塔が見える方向に向かって歩いていきます。

このように頂上に向かって直線になった階段をひたすら上っていきます。


頂上には先ほど下から見えていた仏塔タート・チョムシーが建っています。

北を流れるメコン川です。
ここからタイやカンボジア、ベトナムに向かって流れていくのです。

こちらはるルアンパバーンの町を見下ろしたところです。
プーシー以外にはこれといって高い建物はないため、ここからの眺めが唯一の全体を一望できる場所なのです。

頂上には兵器跡?のような物も残されていました。
監視や攻撃といった点において、この高台はかなり有効な拠点だったのでしょう。


麓まで降りてきました。
これで大体のところはまわったかなと思います。
ナイトマーケット

ルアンパバーンといえば、毎晩22時ころまで開かれているナイトマーケットも忘れてはいけません。
シーサウォン通りいっぱいに露店が開かれ、ラオスらしいアイテムが手に入るマーケットです。
いかがだったでしょうか。
非常に見どころが多く、まわるのが大変そうと思いがちですが、ラオスの時間はゆったりと流れます。
町並み全体もゆったりとし、どこの寺院を訪れても人の雑踏になることはあまりありません。
この観光地でありながら、ゆったちとした時間の流れを感じられる雰囲気が、いま世界中の旅行者から愛される理由の一つではないでしょうか。