340【兵庫紀行】但馬国を治め、時代によってその場所が移された『出石城・有子山城』

百名城/続・百名城(Castle)
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今回紹介している城は、2017年に続日本百名城に登録された城です。
ここの城は他の城とは登録とは違った形で登録されています。
山頂にある山城の有子山城と、山麓にある出石城とがセットで登録されているのです。

なぜこのようなことになっているのかというと、もちろんこの二つの城には関連があるのです。
年代的には元々この地にあったのが、山頂にある有子山城であり、後々に有子山城を廃し、山麓にあった部分のみが出石城と命名されることとなります。
そういった経緯からセットでの登録となったのですね。

出石城といえばその城下町がまた有名なポイントです。
小京都としても有名であり、今もなお当時の城下町のお雰囲気を残している城なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 体力に余裕がある人はぜひともセットで!出石城だけでもその雰囲気を感じるには十分なスポットです。

兵庫の城に関する記事です。

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出石城・有子山城

出石城・有子山城は、元は但馬国出石にあった城です。
続日本百名城では、有子山城とその山麓の出石城を2つをセットで登録されています。

山名祐豊が、本拠地であった此隅山城(このすみやまじょう)を永禄12年(1569)の織田信長は配下の羽柴秀吉によって落城させられますが、後に織田信長と和解したことで領地に復帰し、天正2年(1574)に標高約300数十mの有子山山頂を天守とする有子山城を築きました。
しかし、織田信長による西国への支配がのびるなか、毛利氏方であった山名氏は第二次但馬征伐で羽柴秀吉によって再び落城させられます。

関ヶ原の戦い後、慶長9年(1604)、新たにこの地域を治めていた小出氏により有子山城山上天守は廃され、その後は城割も管理も行われなかったため、樹木が多い茂る山林となってしまいます。
その際に、有子山城山麓の曲輪と館を出石城とします。
出石城は、堀で囲まれた三の丸、下郭、二の丸、本丸、そして城主の館も造られ、この際に城下町も整備されました。
その城下町は現在の出石の城下町につながっています。

その後は城主が何度か変わり、明治の廃藩置県まで仙石氏の居城となりました。
明治時代の廃城令で出石城は取り壊されますが、辰鼓楼、堀、石垣などはまだ現存しています。
また一部の建造物は復元もされており、多くの観光客でにぎわっています。

アクセス

JR・京都丹後鉄道の豊岡駅、もしくはJR八鹿駅から全但バス「出石」行きで約30分乗車し、徒歩5分で到着します。

出石城・有子山城へ行ってみた

それでは、出石城・有子山城へ行ってみましょう。

出石城は天守がある城ではないので、現地に到着すると写真のような館らしき跡が見えてきます。

正面には復元された登城門があります。
かつては埋門があった場所なのだそうです。
門をくぐると、下の曲輪となります。

下の曲輪から、二の丸跡に向かいます。

二の丸跡からは、本丸跡に復元された隅櫓が見えます。

こちらは二の丸です。

出石城にはもう一つ登城口があり、この赤い鳥居が連なる参道の、稲荷参道のルートもあります。

二の丸の上には本丸跡があります。

二の丸から見えていた2つの復元された隅櫓は、この本丸跡に建てられています。
背後に見えるのが稲荷曲輪高石垣です。

出石城跡には、本丸よりさらに上の稲荷曲輪と呼ばれる場所があります。

稲荷曲輪から本丸跡を見下ろします。
本丸より高い曲輪があるという造りはかなり珍しいのではないでしょうか。

稲荷参道ですが、この先には、有子山城への登山口があるのです。

有子山城跡

稲荷曲輪のさらに奥に進んでいくと、有子山城跡地への登山口があります。
ここから30分ほど有子山氏と跡へも登ることができ、石垣や曲輪などの様子を見ることができます。

しかし、訪問時は時間の関係で泣く泣く断念しました。

出石城下町

出石城下町は、碁盤の目のような区割りがされた、小京都としても有名な往時の雰囲気が残る城下町です。

その中でも出石のシンボルでもあるのが上の写真中央の辰鼓楼という時計台です。
明治4年(1871)旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されてから約140年間出石の町を見守り続けています。
日本最古の時計台であり、現在の時計は3代目なのだそうです。

何よりも忘れてはいけないのは、出石そばですね。
50軒以上も立ち並ぶそば屋の食べ歩きでも有名ですね。

百名城はいずし観光センターです。お忘れなく。

いかがだったでしょうか。
出石城は、有子山城とセットなだけではなく、その城下町もセットで楽しめることができる、かなりボリューム感のあるスポットです。
ゆったりとめぐると、その風情を存分に堪能することができるため、あくせくせず出石の町をゆっくりと楽しんでいただきたいと思います。