341【城ノウハウ】城の造られる場所によっても、こんなに用途や造りに違いが!?

百名城/続・百名城(Castle)
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城巡りをしていると、本当にいろいろな場所にしろってあるのだなあというのがよくわかります。
駅やバス停からすぐ近くにあり、天守までも比較的簡単にアクセスできるところもあれば、山の奥の奥にまで入り込んでいかなければたどり着けない場所もあります。
なぜこんなに様々な場所に建てる必要があったのか。
もちろんそれには意味があります。
城が建てられた場所から、そこに建てられた意味を考え、地理や地形、当時の地域の情勢や国内の様子など、様々なことがそこには秘められているのです。

どのような城もそこにある意味がわかってくると、城からその地域の歴史にも興味がわいてきます。
今回紹介している城づくりについて大切な場所選びのことをある程度分かっていると、城巡り一つとってみても見え方がさらに広がってくるのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 建てられる場所には意味がある。戦いのための城から、権威の象徴の城まで。城の持つ意味を考えながら城巡りをさらに深めよう。

城ノウハウに関する記事です。

315【城ノウハウ】城にある様々な建造物って何が何のためにあるのだろう?
当ブログでも幾度となく取り上げている城シリーズ。ほとんどの人は、『城』と聞いて頭の中には豪華にそびえたつ天守を思い浮かべることでしょう。しかし、城とは天守だけでなく、天守も含めた様々な建造物で構成されているわけです。

城を立てる目的

城というと本来建てられる目的は、戦いのためのものでした。
国と国との戦いが頻発する時代には、城はそれぞれの国を治める中心地であり、城が落とされるということはその地域の領有権が奪われるということです。
そのためには、何としても敵の攻撃からの防御面を高めていかなければなりません。
そして、逆に攻撃にうってでるということもしやすい城でなければなりません。
敵から守りやすく、自ら攻めやすい。
言うのはたやすいですが、これほど両立させるのが難しいこともないですね。
そんな難しい難題に、それぞれの時代の人々は挑戦し続けたわけです。

ところが時代が変わり、戦いの世が終わって太平の世が訪れると、城の意味は変わってきます。
敵から攻められる心配がなくなってくると、城は豪華絢爛な天守が造られるようになるなど、城主の権威を誇示することを目的として作るれるようになります。

このように時代によって城を作る目的は異なっているのですが、築城の際に最も大切なことは、造る場所の高さなのです。
場所の高さによって「山城」や「平山城」、「平城」などと分けることができます。
それでは、それぞれの城がどのような目的で造られていったのかを見ていきたいと思います。

こんな場所にこんな城

山城

戦いのための城づくりで重要なことは、いかに近づいてくる敵にすぐに気づき、相手の群がどの程度の規模なのか、ということをすぐに把握できるかという点にあります。
そのため、まわりが遠くまでよく見渡せ、敵やってきてもすぐには攻めにくい場所、つまり山頂が選ばれることとなります。
この山の上に建てられた城が『山城』なのです。

山城は高い山に造られており、麓から頂上までの高さが数100mというのが一般的であり、山上や山から続く尾根の先などを利用して造られています。

代表的な山城としては、鎌刃城(滋賀)、小谷城(滋賀)、岐阜城(岐阜)、山中城(静岡)、備中松山城(岡山)、高取城(奈良)、飯盛城(大阪)、芥川山城(大阪)などがこれまで紹介してきた山城の代表例です。

古代山城

古代の時代から日本では城は造られていました。
どちらかというと砦というほうが適切かもしれませんが、山頂に設けられていきます。
この時代の山城の主だった理由としては、周辺の地域を見渡せる位置にあるという点が重要だったのでしょう。

下の写真の岡山県にある鬼ノ城は、大和朝廷によって造られた城であるとされており、ここからは岡山県の平野部だけではなく、瀬戸内海を行き交う船や、四国の山々まで見ることができたのだそうです。
東西に行き来する街道に位置するこの地としては、陸からも海からも迫りくる危機を早い段階に察知するためには絶妙な立地だったことでしょう。

鬼ノ城
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中世山城

鎌倉時代から南北朝時代になってくると、高い山でも険しい山で、天然の要害を巧みに生かした城が造られるようになります。
この時代の城は規模としては比較的小さな城が多かったようです。

戦国時代に入ると、規模が巨大化していき、かなり大きな山城も誕生していくようになります。
自然の地形をそのまま用いるだけではなく、斜面を削って曲輪を造ったり、地面を掘って土塀や濠を造ったり、尾根に堀切を作って動線を断ち切るなどして、山全体を要塞化した山城が造られるようになります。


鎌刃城
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近世山城

安土桃山時代から江戸時代に入ると戦いのための城は必要ではなっていき、藩政を行うためにはかえって山城は不便になります。
そのため、山頂から麓に移されるケースも出てきます。

一国一城令によって多くの城が破却されることになりましたが、中には江戸時代を通して活用され続けた山城も存在しました。

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平山城

山城は、山城よりも低く、小高い山や丘などに作られた城でした。
丘に建てられた城は別名で丘城ともいわれます。
山のない地域などではこういった丘陵をうまく使うなどした城が見られました。
近世に入ると堅牢な山城より、攻防面と藩政などの実用面で平山城が多く造られるようになりました。

代表的な平山城としては、彦根城や大坂城、熊本城や姫路城など、天守があり規模も大きな城の多くがこれに分類されます。。

伊予松山城
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平城

平城は、高低差のない平らな場所に作られた城です。
平地に作るため、山城のようにその規模に上限はなく、敷地を広げようと思えば、ある程度自由に広げることができました。
戦いのための城というより、政治のため、権威誇示という意味合いが強い城であるため、攻防面を考えると、敵から攻められやすいのが最も欠点な城です。
しかし、そういった面を少しでも克服するために濠や石垣を設けたり、城内に進入しにくい構造にしたりと、様々な工夫が施されるようになります。

代表的な平城としいては、二条城や名古屋城、広島城などがあります。

二条城
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水城

高松城のように川や海に面した『水城という種類の城もあります。
城の周囲が海や川という天然の濠になっているという大きなメリットがあることと、高松城のように海水を濠に引き込んで造っている構造の城もあります。
また、船で海や川にアクセスが良いという点も水磁路の利点の一つでした。

高松城
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香川県高松の海から少し入ったところにある高松城は、現在では海に直接面している城ではないのですが、築城から明治期まで、本当に海に面していた全国的にも珍しい海城なのでした。当時は、海側から見た高松城の姿は本当に素晴らしいものだったのだそうです。

沼城

数としては多くありませんが、『沼城』と分類される城もあります。
備中高松城(構造では平城)がこれに当たりますが、低湿地帯に城が設けられているため、このエリア一帯が天然の濠として活用することができました。
戦いの多い時代にはこの場所は、平城であるにもかかわらず、高い防御性を備えた城だったことでしょう。

備中高松城
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岡山県にある備中高松城は、低湿地に築かれた難攻不落の沼城でした。そんな、攻略が難しい城を落とすために考えられた作戦が水攻めでした。壮大な作戦が実際に行われたこの地は、今もなおその出来事が語り継がれている地です。戦国期の武将の思いがぶつかるこの地を訪れてみました。

穴城

最後は全国でも珍しい『穴城』と呼ばれる城です。
長野県の小諸城がそれであり、この城は城下町よりも低い位置に城郭があるという造りになっています。
それだけ聞くと、防御面は大丈夫なのかと思いますが、切り立った崖に建てられていることと、火山灰大地が侵食してできた田切地形の谷に囲まれたことから、驚くべき防御性を備えた城なのです。

小諸城
257【長野紀行】城郭が城下町よりも低地に造られた珍しい穴城『小諸城(小諸城跡懐古園)』
小諸城は、戦国期にあった山本勘助によって造られた城として有名なところなのですが、なんとこちらの城は全国的にも珍しい『穴城』と呼ばれている城なのです。どのような点が珍しいのかというと、城下町よりも城郭が低地に縄張りされているという不思議な造りになっているのです。

いかがだったでしょうか。
城の場所と造りが分かれば様々なことが分かります。
知っているだけで、城巡り一つとってみても見るポイントがより増えてくることでしょう。