347【和歌山紀行】紀州徳川家の居城だった、江戸時代の西日本の中心地の一つ『和歌山城』

百名城/続・百名城(Castle)
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江戸時代には、徳川御三家として水戸徳川家、尾張徳川家、紀州徳川家とありました。
もちろん徳川宗家に次ぐ格式高い藩であるため、そこに建てられた居城や街づくりは、その他の地域と比べると壮大な規模となっているのです。
今回はその中でも紀州徳川家の居城であった和歌山城を紹介していきます。

紀州徳川家というと徳川宗家の将軍も輩出したほどの名家です。
そんな名家が入るほどの城でありますので、天守の造りから城の縄張り、天守を取り巻く建造物と当時の規模を感じさせる城跡となっています。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 西日本を代表するほどの名城だった和歌山城。戦前まで残っていたというのが悔やまれる名城を見に行ってみよう。

和歌山に関する記事です。

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和歌山城

和歌山城は紀州、現在の和歌山県にある平山城です。
こちらは、江戸時代の徳川御三家の一つである紀州徳川家の居城として、西日本でも中心的な役割を果たした城でした。

1585年に羽柴秀吉が紀州を平定すると、弟の秀長に虎伏山に和歌山城の建造を命じたことが和歌山城のはじまりです。
1600年の関ヶ原の戦いの後には浅野幸長が城主となり、城普請を継続することで、現在の和歌山城の姿に改修され、それにふさわしい城下町が整備されました。
その後1619年になると、徳川家康の子であり、紀州徳川家の初代である徳川頼宣が藩主として入城し、さらなる城郭の大改修を行ったことで、御三家である紀州徳川家にふさわしい居城が完成します。
その後、紀州徳川家は14代続いていくこととなります。
建造当時の天守は黒い板が貼られ、現在とは少し異なる外観だったのだそうです。
1798年になると、10代藩主の徳川治宝(はるとみ)によって、黒い外観から白壁の三重の大天守、小天守、2つの櫓が多門櫓でによってつながれた連立式天守に作り替えられます。

荘厳な造りであった和歌山城ですが、1846年に落雷によって焼失します。
ところが、御三家の城であったためか特別に天守の再建が許可され1850年に元通りの天守が再建されます。
天守が残った状態で幕末を迎え、明治政府による廃城令によって多くの建物が解体・移築される中で、天守、櫓群は昭和期まで残ります。
ところが、1945年の太平洋戦争末期に和歌山大空襲によって焼け落ちてしまいます。

現在同地に残っている天守は、1958年に復元されたものです。
また、岡口門と続土塀は、現存する貴重な建造物です。
現在の和歌山城の敷地は、本丸と二の丸が市立和歌山城公園となっており、南の丸は和歌山城公園動物園があったりするなど、全盛期の規模に比べるとかなり小さくはなっているのだそうです。

2006年には日本百名城に登録されました。

そして、和歌山城の敷地内でもう一つ有名なものが、天守の北側にある御橋廊下という珍しい橋です。
この橋は2006年に復元されたものなのですが、西の丸と二の丸をつなぐ屋根とかべたついた高低差のある橋なのです。
城主が橋をわたるときに見られたり、雨天でも大丈夫なように造られたものなのだそうです。

アクセス

JR和歌山駅下車、または南海和歌山市駅下車で、いずれもそこからバスを使って「公園前」降車で徒歩3分で到着します。
和歌山市駅からは徒歩だと8分ほどでも到着します。

和歌山城へ行ってみた

それでは和歌山城へ行ってみましょう。

和歌山城石垣の石切り場所

城の南東にある駐車場のすぐそばには、和歌山城石垣の石切り場があります。
こんなに近くに石を切り出せるところがあるというのはなかなか珍しく驚きです。

いよいよ敷地内に入りますが、東側入り口である現存する岡口門の写真を撮り忘れてしまっていました。。。

岡口門をぬけて敷地内に入ってきました。
さすが御三家の居城だけあって、壮大な石垣が眼前に広がります。

和歌山城公園動物園

しばらくそこから西に行くと、元南の丸のところに和歌山城公園動物園が設けられています。

天守一の門跡

動物園から北に進むと、天守のあるエリアにつながる一の門跡があります。

本丸御殿跡

一の門を抜けると、向かって右手に本丸跡、左手に天守曲輪があります。
本丸跡には本丸御殿があったのだそうです。

天守曲輪

本丸の西側には天守曲輪があります。
こちらには白壁の立派な和歌山城の復元天守が建っています。

天守 二の門

天守へのチケットカウンターともなっている二の門です。

門を入ると、和歌山城の沿革が書かれた石が置かれています。

二の門櫓

二の門は櫓門となっており、門から天守まで続く櫓が連なっており、連立式天守となっています。

そして天守に到着です。

天守

小天守が天守の入り口となっています。
内部は博物館となっています。

和歌山城の模型です。
中心にある二つの曲輪が特徴的な城です。

天守から周辺を眺めてみました。
和歌山県の中心だけあって、かなり発展した街並みです。

また、城内の様子も天守からはよくわかります。
連立式天守の、天守と櫓などが連なった様子が上からだとより一層わかりますね。

いかがだったでしょうか。
徳川宗家の将軍も輩出した由緒ある徳川御三家の居城らしい、壮大な規模を感じさせる城でした。
今では当時の敷地の1/4ほどが城跡として残されているようなのですが、そのほとんどが様々な施設として利用されています。
そう考えると、当時はどれほど大きかったのかということをイメージしながら、天守からの眺めを楽しむのもおすすめですね。