362【和歌山紀行】石垣や、熊野川に面した水ノ手に特徴があり、天守再建計画もある『新宮城』

百名城/続・百名城(Castle)
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和歌山県の南東部。
紀伊半島では最長である熊野川の河口付近にとある城跡が残っています。
この城跡は、江戸時代にこの新宮の地域を統治していた新宮城
の跡地であり、今現在は当時の建物は何も残ってはいませんが、堅牢且つ重厚な石垣が、今現在もしっかりと残っている城跡です。
戦乱に乗って破壊された城ではなく、その時代時代ごとのきまりによって廃城を迎えた城であるため、このような石垣の様子が今もまだ見ることができるのでしょう。

河口にある小高い丘に建てられた新宮城は、この地域を高台から見下ろす抜群の立地にあります。
河口にあるということから、河にむかって直接行き来のできる舟入の遺構も残されており、現在では新宮城跡、別名丹鶴城公園として親しまれています。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 堅牢な石垣と、加工を見下ろす優美な立地にある新宮城を見に行ってみよう。

和歌山に関する記事です。

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新宮城

新宮城は、和歌山県新宮市にある城です。
紀伊半島では最長の河川である熊野川河口にある、丹鶴山上に築かれ、古くは紀州国の新宮地域の統治拠点となっていました。

現在は建物はありませんが、往時を思い起こさせる石垣が残されています。

2017年には、続日本百名城に登録されました。

新宮城の興りは、16世紀後半の安土桃山時代に、熊野地方を統治していた堀内安房守氏善が構えた平城であるといわれています。
しかし、当時は新宮市にある全龍寺に位置し、現在の新宮城とは異なる場所にありました。

現在の新宮城の場所に城が築かれたのは17世紀に入ってからとなります。
1600年に紀伊国に入った浅野忠吉は、翌年から新宮城の築城に着手します。
その後、1615年に江戸幕府による一国一城によって廃城となってしまいますが、3年後の1618年には再び築城の許可が下りたため、作業が再開され、1619年に浅野氏の新宮譲が完成します。
ところが、その翌年に浅野氏が移封となってしまったため、後に新宮に入った水野成中によって築城工事は継続され、1633年に平山城として水野氏の新宮譲が完成します。

江戸機関には、火災や大きな地震に見舞われ、何度も改修が行われながらも、明治を迎えます。
明治に入ると、明治政府によって発せられた廃城令によって新宮城は廃城となります。
建物や土地などは全て払い下げられるか取り払われたため、現在では石垣のみが残る状態になっています。
その石垣からは、往時の様子が伝わってくるようです。

アクセス

JR新宮駅から北に500mほど、徒歩15分ほどで到着します。

新宮城へ行ってみた

それでは新宮城へ行ってみましょう。

新宮城駐車場から見上げたところです。
視線の先には、本丸・天守台につながっています。

駐車場わきからの階段を上がっていくと、

武者返し(扇の勾配)

蔵のような建物が見えてきました。
上の写真の右側に天守台、奥に見える階段の方は本丸になります。
蔵の建つ石垣は、武者返し(扇の勾配)となっており、登っていくと石垣上部の勾配が垂直に近くなっているため、登りきれないという石が気になっています。

水ノ手

熊野川に面する水ノ手と呼ばれる港跡です。
洪水に備えて6mもある石垣が築かれています。

本丸に向かう階段を上っていきます。

大手虎口(表口)

本丸の大手虎口(表口)にやってきました。
個々を超えると本丸です。

本丸にある井戸ですね。

搦手(裏口)

こちらは本丸の搦手(裏口)です。
現在出入りはできないようになっています。

丹鶴姫の碑

本丸にある丹鶴姫の碑です。
新宮城ができる前にこの地にあった東仙寺を建立した人物なのだそうです。

天守台周辺

こちらは天守台の下になります。
上の写真に見えるのは、茶道の流派である江戸表千家不白流の祖である川上不白の顕彰碑です。

天守台周辺をまわってみたいと思います。

出丸

こちらは本丸の北にある出丸方面を見たところです。

いかがだったでしょうか。
コンパクトな城ながらも、石垣の遺構がかなり状態良く残っているために、河口の丘に建てられた平城の様子がとてもよくわかる城なのではないでしょうか。
今回ブログには載せていないのですが、城の敷地内には、西側にある松ノ丸や、駐車場横に設けられていた日本一短かったケーブルカーの軌道跡など、なかなか面白い見どころがたくさんの城なのです。