369【滋賀紀行】織田信長亡き後の琵琶湖南部の中心地となった『八幡山城』

百名城/続・百名城(Castle)
この記事は約4分で読めます。

滋賀県は琵琶湖の南部、近江の地は歴史的にみても東西交通の要衝であり、天下を統一しようとする三英傑をはじめ、重要視され続けた場所であります。
有名どころであれば、織田信長の安土城があります。
信長が天下を統一せんと、東西交通を押さえるだけでなく、その力を誇示するために豪華絢爛な衣天守を持つ安土城が築城されました。

ところがそんな安土城は、織田信長が亡き者にされた後に焼失、廃城となってしまいます。
しかし、この地が重要な場所であることに変わりはありません。
信長亡き後に天下人として着々とその力を伸ばしていった豊臣秀吉によって、安土城に変わる近江の地を押さえる拠点が必要となってくるわけです。

そんな近江国を新たに治める城として築城されたのが八幡山城であり、安土城のあった場所の隣地に、安土城に似たような形で造られています。
その造りは安土城以上に急峻な山に造られた山城であるため、現在では主にロープウェイを使うことで、多くの人々が訪れる地になっています。

また、その城下町も安土城から移されたものであり、今もなお人々の賑わいが見える城下町なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 安土城から移された数々の建造物。その賑わいは今もなお受けつがれています。そんな、往時の雰囲気が残る城跡と城下町を見に行ってみよう。

滋賀県の城に関する記事です。

329【滋賀紀行】名だたる武将が戦いを繰り広げる舞台、そして浅井長政悲劇の地『小谷城』
織田信長の妹であるお市の方、そして義理の弟である浅井長政の悲劇の地として有名な小谷城を紹介していきたいと思います。日本の五大山城に挙げられるほど堅牢な山城であるため、織田信長もなかなかここを攻め落とすことができなかったといいます。
104【滋賀紀行】安土城以前の要所だった、応仁の乱から戦国期にかけた名城『観音寺城』
滋賀県の琵琶湖の南にある有名な城跡と言えば、安土城ですよね。しかし、その安土城のすぐそばに、日本百名城に登録されているもう一つの城があるのです。室町の戦国末期までに、京都に向かう要所にあったこの地をおさめた城『観音寺城』。ぜひ、安土城とあわせて訪れてほしい城跡です。
090【滋賀紀行】史上最も過酷だった山城『鎌刃城』で山城の真髄を見た
滋賀県は琵琶湖の東に位置する、続日本百名城に登録されている鎌刃城。戦国期の近江を舞台として、数々の戦いを経てきた、防衛のための山城です。そんな鎌刃城ですが、続百名城登録から徐々に盛り上がりの機運を感じています。そんな鎌刃城跡を登城してきました。

八幡山城

八幡山城は、琵琶湖の南、滋賀県近江八幡市にある山城です。
安土城無きあと、近江国の国城として1585年に築城され、豊臣秀次の城としても知られている城です。

標高300m近くある八幡山の山上に築城されており、かなりの急峻な山城であるため、現在訪問の際はロープウェイを使うのが一般的となっています。
本能寺の変によって織田信長が殺害され、山崎の戦の後に安土城は灰燼に帰します。
その後、安土城最高の計画はあったものの、豊臣秀吉が政治の中心となる中で安土城ではなく、その隣地に近江国を治める城として築城され、城下町も安土城城下町を移住させて作られました。
八幡山の山頂には城郭が設けられましたが、麓に別に設けられた居館が城の中心として活用されていました。

築城された後、豊臣秀次が入城しますが、後に京極氏が入城します。
しかし、文禄4年(1595)に秀次は切腹によって果て、築城から10年たらずで八幡山城は廃城となりました。

現在の本丸跡には、豊臣秀吉の姉の日秀尼が開基である瑞龍寺が昭和38年に(1963)に移転されています。

2017年に、続日本100名城に選定されました。

アクセス

JR近江八幡駅より北西へ約2.5kmのところにあります。

八幡山城へ行ってみた

それでは八幡山城へ行ってみましょう。

遠目に安土城が見えてきました。
山城はこの遠目に見て、山上にそびえたつ姿がすばらしいものがあります。

八幡山城麓は、東西にこのような八幡堀が設けられ、現在では風情豊かな渡し船が営業されています。
周辺には、古い家屋を利用した様々な店もできてきており、城下町も十分に楽しめる町となっています。

山麓には、日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)があります。
こちらは古くから多くの近江商人の信仰を集めた場所なのだそうです。

道なりに歩いていくと、

八幡山ロープウェイ乗り場にやってきました。

ロープウェイで山上に向かいます。

山上駅にやってきました。
ここから八幡山城跡まで歩いていきます。

山城部分は総石垣の造りとなっており、それぞれの曲輪は高石垣によって構築されています。

西の丸跡からは、北西に広がる壮大な琵琶湖の姿を眺めることができます。
この地に居を構えて、陸路や湖路を見張る意味ではかなりのベストな場所だったのでしょう。

こちらは本丸への虎口跡ですが、現在は瑞龍寺入り口の門が設けられています。

こちらから入り、進んでいくと、

本堂に到着しました。

本堂周辺からの景色です。

いかがだったでしょうか。
この八幡山城ですが、この地を治めるために山上に建てられたものの、安土城よりも急峻な場所に設けられたこともあって、実際にこの地域を統治する際の中心地としては、山麓の居館の方がよく利用されていたのだそうです。
しかし、安土城に変わる重要拠点に置かれた城として、安土城や観音寺城などと一緒に、歴史の移り変わりとともに中心となる城もまた移り変わってきたことなどを考えながらこの地を訪れて見ると、非常い八幡山城のことが頭に入ってくることでしょう。