372【城あれこれ】これぞ天下人の証。天下普請で有力大名すら思いのままに

百名城/続・百名城(Castle)
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天下を手中に収めると、どんな大大名であっても、命令一つで手足のように扱うことができます。
これこそが天下人の証であり、歴史上でも限られた人間だけしかなし得ないものです。

過去の日本の歴史上では、天下を手中に収める一歩手前まで行った織田信長は、安土城を築城する際に家臣の特性に合わせて作業を分担し、それぞれが良さを発揮することで、より見事な城を築き上げることができました。
織田信長を引き継いだ豊臣秀吉もこのやり方を行い、大坂城や聚楽第といった城を完成させています。

大坂城

そして、時代は江戸時代に入ります。
天下を収めた徳川家康によって開かれた江戸幕府は、この織田信長の時代、豊臣秀吉の時代に行われていたことをさらに発展させ、江戸幕府の行う仕組みとして行いました。
これこそが『天下普請』であり、江戸幕府が全国各地の大名に命じて行わせた築城工事のことをいいます。
もちろんこの事業には、表向き幕府西側せるという意味があるものだったのですが、裏の意味はそれだけではなかったのです。
では、この天下普請とそれによって築かれた城とはどういったものだったのでしょうか。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 天下人だからこそできる天下普請。それぞれの得意分野で腕を磨いた技術者が集まった建造物は、それはそれは素晴らしいものになったのです。

これまでの城ノウハウの記事です。

341【城ノウハウ】城の造られる場所によっても、こんなに用途や造りに違いが!?
どのような城もそこにある意味がわかってくると、城からその地域の歴史にも興味がわいてきます。今回紹介している城づくりについて大切な場所選びのことをある程度分かっていると、城巡り一つとってみても見え方がさらに広がってくるのです。
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当ブログでも幾度となく取り上げている城シリーズ。ほとんどの人は、『城』と聞いて頭の中には豪華にそびえたつ天守を思い浮かべることでしょう。しかし、城とは天守だけでなく、天守も含めた様々な建造物で構成されているわけです。

天下普請

織田信長や豊臣秀吉の時代から、天下人が各大名に命じて築城工事を行わせていた例はありました。
これを江戸時代は引き継ぎ、『天下普請』として国家事業にしてしまったのです。
しかも、築城に必要な費用は全て大名たちがもつ、ということもあって、江戸幕府として強固な体制を固めていくためには、このように有力な大名に大量にお金を使わせたり、長期間拘束したりすることは、反幕府勢力の力を弱めることにもつながり、さらには全国各地からさまざまな築城技術をもった技術者たちが集まってくることで、より強固かつ荘厳な城ができるとあって、一石二鳥の事業でした。

江戸幕府による天下普請で築かれた城としては何よりもまず江戸城があります。

江戸城

そして、二条城や名古屋城、彦根城といった大坂方と対抗するために重要だったしろや、西国監視のために設けられた篠山城なども天下普請によって作られた城です。

二条城
nななgなご名古屋名越名古屋城名古屋城
彦根城
篠山城

徳川に関わる城は他にもあり、家康が隠居後に暮らした駿府城や、豊臣時代にあった大坂城なき後に再建された徳川時代の大坂城も天下普請によるものです。
特に江戸時代初期にはこういった数々の城が築城されたことにより、各地の大名たちは長い期間築城工事に駆り出され続けることになったのでした。
各地の大名たちの力をそぐには十分だったのでしょうね。

もちろん大名に造らせるといっても、実際に働くのは多くの労働者です。
巨大な石や柱を各地に運び、城として汲み上げるには相当たくさんの労働者が必要であったことでしょう。
そして、短い期間で素晴らしい築城ができた方が江戸幕府に対して大きなアピールになるのはわかることでしょう。
そのため、築城に用いられた巨石などには、自分たちが築いたものであることをアピールするとともに、他の大名によって盗難されたりがないように、自分たちのものだということが分かる刻印などが入れられていました。
いわば、大名たちの江戸幕府に対するアピール合戦の場でもあったのでしょう。

いかがだったでしょうか。
以下に天下を手中に収めたものが力を持つかが分かったのではないでしょうか。
この天下普請もそうですが、参勤交代や勝手な築城禁止など、大名のコントロールに関しては、相当完成したシステムであったのでしょう。
しかし、そのかいあってか、各地に素晴らしい出来栄えの城が築かれたことは、現在それらを堪能することができる現代人にとって、幸せなことであるのかもしれませんね。