377【城あれこれ】そもそも城ってなぜ生まれたのだろうか?もちろんそれには必然的な理由があるのです

百名城/続・百名城(Castle)
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日本百名城の88番には少し異色の場所が登録されています。
その場所は、佐賀県にある吉野ケ里遺跡です。
小学校の社会の教科書にも載っているところなので、ほとんどの方は知っているかと思いますが、吉野ケ里遺跡のような集落を、まわりに堀をめぐらした集落ということで、環濠集落といわれいます。

なぜ、このような環濠集落が日本百名城に?
と思ってしまうのかもしれませんが、これこそが城のはじまりであり、城の原型であるのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 時代とともに変化していった城の役割と、それに応じた造りの変化をたどってみよう。

これまでの城ノウハウの記事です。

372【城あれこれ】これぞ天下人の証。天下普請で有力大名すら思いのままに
天下を収めた徳川家康によって開かれた江戸幕府は、この織田信長の時代、豊臣秀吉の時代に行われていた各地の大名を使って築城させる事業を発展させ、江戸幕府の行う仕組みとして行いました。これこそが『天下普請』であり、江戸幕府が全国各地の大名に命じて行わせた築城工事のことをいいます。
341【城ノウハウ】城の造られる場所によっても、こんなに用途や造りに違いが!?
どのような城もそこにある意味がわかってくると、城からその地域の歴史にも興味がわいてきます。今回紹介している城づくりについて大切な場所選びのことをある程度分かっていると、城巡り一つとってみても見え方がさらに広がってくるのです。
315【城ノウハウ】城にある様々な建造物って何が何のためにあるのだろう?
当ブログでも幾度となく取り上げている城シリーズ。ほとんどの人は、『城』と聞いて頭の中には豪華にそびえたつ天守を思い浮かべることでしょう。しかし、城とは天守だけでなく、天守も含めた様々な建造物で構成されているわけです。

城が生まれた経緯

と聞くと、頭にどのようなイメージが浮かぶでしょうか。

こういった立派な天守が頭の中に浮かぶのではないでしょうか。
ところが、日本百名城の88番にはこのような場所が登録されています。

『城?』

となってしまうかもしれませんね。
この場所は、佐賀県の吉野ケ里遺跡であり、弥生時代の遺跡として非常に日本を代表する場所です。
しかし、なぜこの場所が日本百名城に?
となるでしょうが、この場所こそが『城』のはじまりなのです。

弥生時代の城

吉野ケ里遺跡のような弥生時代に造られた集落を『環濠集落』といいます。
環濠とは、集落の周りに堀のことであり、この堀や土塁、柵をめぐらせて、高い物見台からやってくる敵を見張ることができるような、敵から自分たちの集落を守るしかけを備えているのが環濠集落なのです。
後の時代の城と比べると、そのつくりはまだまだなところは多いかもしれませんが、まさしく『城』であるとおもいませんか?

大和朝廷の時代の城

大和朝廷が九州から東北南部までその支配力を強めていた時代、朝鮮半島との争いがあったことをきっかけに、九州地方を中心に古代山城が造られるようになります。
その際、日本とつながりのあった朝鮮半島の国 百済から伝わった技術で造られた朝鮮式山城が造られました。
以前紹介した岡山県の鬼ノ城は、この頃に築かれたものです。

118【岡山紀行】戦国期の城とは一味違う、大和朝廷に築かれた古代の城『鬼ノ城』
これまでに紹介してきた百名城とは一味違う、大和朝廷によって築かれたとされる古代日本の城跡が岡山県にあります。今回の記事で紹介する『鬼ノ城』は、戦国期や江戸時代に見られるような城のつくりとは異なり、あまり残されていない記録から調査・研究を経て、復元が進められている城跡です。

また、大和朝廷は城柵と呼ばれる中心の館を土で造った塀で囲んだ城の原型となるものも造られました。

鎌倉~南北朝時代の城

鎌倉時代になると、各地域では武士が力をつけていくことになります。
それまでの公家の館とは異なり、力をつけた武士は、自らの居館を土塁や濠で囲んだ、防御に長けた建物を造り、住むようになります。
そういった武士たちは、鎌倉獏ぶが滅亡し、室町時代、その中でも南北朝時代になってから、数多くの城が築かれていくようになります。

この時代に造られた城は、容易に攻め込まれないようにしたり、天然の地形を巧みに生かして防御力を高めた城とするために、多くの城が険しい山に造られたや山城が中心でした。

090【滋賀紀行】史上最も過酷だった山城『鎌刃城』で山城の真髄を見た
滋賀県は琵琶湖の東に位置する、続日本百名城に登録されている鎌刃城。戦国期の近江を舞台として、数々の戦いを経てきた、防衛のための山城です。そんな鎌刃城ですが、続百名城登録から徐々に盛り上がりの機運を感じています。そんな鎌刃城跡を登城してきました。

戦国時代の城

戦国時代に入ると、それまでの山城がさらに進化し、多数の曲輪をもったり、生活のための居館があったりなど、山全体を使ったような巨大な山城が造られるようになります。
そのような城を築くことで、攻守に長けた城としていたのです。

そういった中で、ある城の築城をきっかけにトレンドの変化が生まれます。

その城が、織田信長が造った安土城です。
安土城は日本で初めての豪華な天守をもった城を建て、城全体を石垣で囲む新しい発想の城を造ります。
この安土城は、それまで城が戦うためだけにあった城というものに、その姿によって相手を威圧するという、魅せる城という役割を加えました。
また、織田信長は城下町の整備にも尽力し、城を中心とした町づくりというものも進めることになりました。

時代の中心が豊臣秀吉に移ると、秀吉は全国各地に大坂城をはじめとした豪華絢爛な城を造っていくようになります。
そのきっかけは秀吉による朝鮮出兵であり、この際に全国から集められた大名に、城の造り方が伝えられていったのだそうです。

江戸時代の城

江戸時代になると城の役割は大きく変わることとなります。
戦いのための城というよりかは、幕府によってそれぞれの地域の統治を任せられた藩政の中心、そしてそれぞれの地域のシンボル的な物となっていきます。
そのため、山城中心だった城は、徐々に戦いのためではない城へと形を変えていき、平山城、そして平城が中心となっていきます。

いかがだったでしょうか。
城というものはそれぞれの時代を反映したものなのです。
元々は戦いのためだったものが、だんだんと自分たちの力を誇示するための物や、政治を行う役所のようなものに役割が変化していきます。
そして現在では、過去の歴史を伝える大切な場所として、歴史公園や開かれた史跡として人々に愛されています。
それぞれの城の造りを見て、その城が築かれたころのことをイメージしながら城巡りをしてみると、また城を違った見方で眺めることができそうですね。