379【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選⑧(見た目が異色な城5選)

百名城/続・百名城(Castle)
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日本百名城・続日本百名城のピックアップ第八弾です。
今回はピックアップした5つの城は、他の多くの城と比べると見た目に強烈な特徴がある城をピックアップしました。

見た目に大きな特徴があるということは、その城がある環境や、これまでたどってきた歴史などがそこに大きな影響を与えているのです。

となると、そこが知りたくなりますよね。
城からその街へと興味関心が繋がっていくわけです。

今回も、これまでに行った百名城(43/100)及び続百名城(27/100)の中から、見た目が異色な城を5つピックアップして、ダイジェストの形で紹介してみたいと思います。

個々に紹介する記事も別で書いていきたいなと思っています。

【今回のわきみち】
  • 一度見たら強烈に印象に残る、見た目が異色な城を今回も5つピックアップしてみました。

百名城・続日本百名城ピックアップ記事です。

071【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選①
日本には数多くの城や城跡があります。どれも個性的であり、その城が存在していた年代を感じさせる作りのものがほとんどです。今回は、自分が訪問した百名城・続百名城の中で、印象深かったところを5つピックアップし、書いてみました。
113【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選②
日本にはまだまだ数多くの城や城跡があります。行ってみて初めてその広大さや特色に気づき、強烈に印象付けられる城もたくさんあります。今回は、そんな自分が訪問した百名城・続百名城の中で、後々まで印象が残っているところを5つピックアップしました。
145【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選③
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第三弾です。今回は、現存十二天守をはじめ、真田幸村ゆかり城など、バラエティに富んだラインナップになっています。その中でもやはり現存天守はその内部の様子が歴史を感じさせるものであり、その他の天守と比べると年月をとても実感することができます。
214【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選④
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第四弾です。今回は、日本で有名な城は?といわれると一般的にぱっとは出てこないかもしれませんが、どこも渋みと歴史的な重厚感のある城をピックアップしてみました。
252【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選⑤
日本百名城・続日本百名城のピックアップ第五弾です。今回は、どれも歴史の中で重要な位置を占めた城であり、今までに聞いたことのある、その時歴史が動いた城を5つピックアップしてみました。
289【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選⑥
今回はピックアップした5つの城は、その城下町に特徴があるお城です。お城巡りに行くときはまずはお城をしっかりと見て回ることが第一になるとは思いますが、あわせて昔ながらの雰囲気が残る城下町を一緒に巡ることができると、その楽しみ方は倍になります。
349【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 こだわりのお城ピックアップ5選⑦(行きやすい城5選)
今回はピックアップした5つの城は、行きやすいお城を選んでみました。色々城巡りをしているとわかるのですが、数ある城のほとんどがけっこう訪問が大変なところが多かったりします。そんな中で行きやすい城があると、ホッとしたりしてしまうものなのです。

首里城(日本百名城)

御内原から見た在りし日の首里城の記事です。

051 【沖縄紀行】御内原から見る、火災前の在りし日の首里城
沖縄を代表する世界遺産、首里城跡。記憶に新しい2019年の火災により、正殿・北殿・南殿が消失してしまいましたが、確実にっ債権の歩みを進めています。今回は、在りし日の首里城正殿エリアを、御内原エリアから眺めてみました。

どこにあるの

沖縄県那覇市首里金城町にあります。

どんな城

首里城は琉球王国のグスク跡です。

琉球王国の王城として、沖縄内では最大の城でした。
元々は日本とは異なる国の城であるため、本殿の造りも、石垣の造りもかなり独特です。
日本と中国の中間にあった琉球王国はその間を取り持つ中継貿易が盛んだったこともあり、日本の文化の影響も、中国の文化の影響も両方からの影響がある建物が見られることが特徴です。

そんな首里城ですが、1945年の沖縄戦に時に、日本軍が首里城地下に陸軍総司令部を置いたことにより、アメリカ軍からの砲撃により焼失。
城内にはその当時の多くの弾痕跡などが残り、ここが徹底的に破壊されたことがわかります。

しかし、1980年代から首里城再建に向けた動きが活発となり、1992年に正殿を中心として再建された、首里城公園が開園しました。
その後2000年には首里城跡として世界文化遺産に登録
2006年に日本百名城に登録され、2019年1月に御内原も公開され、ようやく首里城跡の全貌が再現されたと思われた矢先、同年10月に正殿をはじめ北殿・南殿と、火災にて消失してしまい、現在に至っています。

現在は修復作業が行われており、修復の際に露わになった地下の遺構などが現在公開されています。

おすすめポイント

世界遺産として登録されている構成要素としては、『首里城跡』となっており、首里城の復元された建物などは世界遺産に該当していません。
首里城の建つこの地そのものが世界遺産として認められているわけですね。

しかし、首里城公園の敷地内に世界遺産登録されている『園比屋武御嶽石門』(そのひゃんうたきいしもん)
そして、すぐ近くには『玉陵』(たまうどぅん)があり、首里城周辺だけで数々の見どころがあります。

五稜郭(日本百名城)

どこにあるの

北海道函館市五稜郭町にあります。

どんな城

五稜郭は、函館奉行が蝦夷地(のちの北海道)を統治するために、箱館奉行所を移築するために整備した、西洋式の五芒星の形をしている城郭です。
元治元年(1863年)に築城された五稜郭は、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争での激戦地となります。
榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が函館に入り、明治元年(1868年)に五稜郭を占拠し、旧幕府軍による暫定政権、いわゆる「蝦夷共和国」を樹立しました。
しかし、榎本率いる旧幕府勢力は、新政府軍との戦いに敗れ、7か月後に降伏し、函館戦争は終結することとなります。

箱館戦争の終結を受けて、日本で長く続いた封建制度が終わりを告げ、日本は新しい時代へと歩みを始めていくことになったのです。

187【北海道紀行】戊辰戦争最後の戦いの地、特徴的な五芒星形城郭の『五稜郭』
今回紹介する五稜郭は、近代戦の考え方が反映された、特徴的な縄張りをしています。五芒星型かつ、シンメトリーなその形は非常に美しい様相でありますが、それ以上に戦の戦略的に非常に考えられた造りなのです。戊辰戦争最後の戦いの場を見に行ってみましょう。

おすすめポイント

五稜郭はその形がこれまでの日本の城郭とは異なり、五芒星の形をしています。
この形こそが、西洋から伝わってきたものであり、江戸幕府が開国したのち、西洋の築城技術が日本に伝わってきたことを示しています。

この形は、近代戦の考え方が反映された特徴的な縄張りをしています。
五芒星型かつ、シンメトリーなその形は非常に美しい様相でありますが、それ以上に戦の戦略的に非常に考えられた造りなのです。

そしてここでは幕末に志をもった若者たちが多く散りゆく場となったのです。

旧幕府側の中心人物であった蝦夷共和国総裁の榎本武揚は、降伏後投獄されますが、その後釈放され明治政府の要職として、逓信大臣や文部大臣など要職を歴任することとなります。
また、蝦夷共和国陸軍奉行並や函館市中取締の要職を務めた元新選組の副長土方歳三は、明治2、新政府軍の総攻撃に対して友軍援護のため出撃しましたが、一本木関門で銃撃を受けて35年の生涯を閉じました。
そんな熱い男たちの最後の地であることが伝わる場所なのです。

元離宮二条城(日本百名城)

どこにあるの

京都府京都市中京区二条城町にあります。

どんな城

二条城(元離宮二条城)は徳川家康の命により、1603年に築城された城です。

現在は天守が中心なのではなく、荘厳な御殿が中心にある城です。
二条城が設けられた目的は、京都の守護はもちろん、京都へ上洛した際の宿所というのが目的の建造物であり、徳川二代将軍秀忠が、天皇から将軍に宣下されたのもこの二条城なのだそうです。

1626年の三代将軍家光のころに、最も規模が拡大されて、五層にもなる天守閣もあったのだそうですが、1750年に落雷によって消失してしまいます。
また、1788年の市中の大火により、本丸殿舎や櫓など、その多くを焼失してしまいました。

明治に入ると、二の丸内に京都府庁が設置されました。
明治17年には二条離宮と改称され、明治26年には、本丸御殿後に京都御所から桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されるようになりました。

1994年にはユネスコ世界遺産『古都京都の文化財』として登録されています。

198【京都紀行】歴史の中心にある町で、幕末の大事件の舞台『二条城』
京都御苑の南西に位置するのが、江戸幕府徳川家康の命によって建てられた二条城(元離宮二条城)です。場所的に、朝廷を睨む位置であったかのような二条城ですが、なんとこちらは、幕末のあの歴史的な出来事の行われた場所なのでした。

おすすめポイント

なんといってもその壮大なスケールの御殿です。
1867年には二の丸御殿で大政奉還が行われた場所です。
将軍であった徳川慶喜は上洛中の40藩重臣を京都・二条城に招集して、大政奉還が成立しました。
誰もが一度は小学校や中学校の教科書などで見たことがあると思われる大政奉還のシーン。
それが行われた大広間を実際に見ることができるのです。
大広間は、一の間(上段の間)、二の間(下段の間)からなっており、将軍の家臣である大名たちなどが対面するための部屋として使われていました。
床の間、違棚、付書院、帳台構を備えた書院造であり、狩野探幽によって描かれた障壁画で飾られています。

鬼ノ城(日本百名城)

どこにあるの

岡山県総社市黒尾にあります。

どんな城

鬼ノ城ですが、築年が7世紀後半とされており、他の城と比べると年代がかなり古い城となります。
大和朝廷によって国の防衛のために築かれた城として伝えられています。

年代が古いこともあり、城というよりかは砦といった方がぴったりな外観です。

岡山県といえば、桃太郎!
その桃太郎に登場するあの鬼が住んでいたというような桃太郎伝説が残ったりもしている山城です。

118【岡山紀行】戦国期の城とは一味違う、大和朝廷に築かれた古代の城『鬼ノ城』
これまでに紹介してきた百名城とは一味違う、大和朝廷によって築かれたとされる古代日本の城跡が岡山県にあります。今回の記事で紹介する『鬼ノ城』は、戦国期や江戸時代に見られるような城のつくりとは異なり、あまり残されていない記録から調査・研究を経て、復元が進められている城跡です。

おすすめポイント

日本百名城の城や城跡は、主に戦国期の城跡がほとんどです。
そのため、この鬼ノ城のような、戦国よりはるか昔の年代の城は珍しいものがあります。
そのため、復元された建物など、ここでしか見ることができないような独特の建築様式を堪能することができます。

白の成り立ちの記事でも紹介したように、城とは元々は弥生時代の環濠集落がルーツにあります。
そこから砦となっていき、山城が造られるようになり、天守ができ、というように段々と近代的な城郭に進化してきました。
この鬼ノ城をみることで、その城の変遷の途中を垣間見ることができそうな感じがしますね。

山中城(日本百名城)

どこにあるの

静岡県三島市山中新田にあります。

どんな城

山中城は、関東の地を治めていた北条氏によって築城された、小田原城の支城です。
箱根山西麓の標高580mに位置するため、その立地そのものが自然の要害に囲まれた山城であり、西方からやってくる敵を防ぐため重要視されていました。

豊臣秀吉の小田原征伐の際に、豊臣秀次率いる7万の軍勢と対峙することとなった山中城ですが、急ピッチで西の丸や出丸等の増築を始めます。
しかし、結果的には間に合わず、17倍もの兵力を要した豊臣秀吉の圧倒的大軍の前に、半日で落城し、廃城となりました。

142【静岡紀行】ここをどのように攻めるのか!?障子堀・畝堀に囲まれた名城『山中城』
静岡県にある北条氏の山城、『山中城』は、石垣を用いず、土塁で構成された戦国期の山城です。特にその堀のつくりに特徴があり、畝堀や障子堀といった北条氏の築城術は、敵の進入を阻むことができる堅牢な城づくりの技術であったとされています。そんな山中城の今を見に行ってみました。

おすすめポイント

山中城の見どころといえば、石を使った石垣ではなく、土だけで作られた山城であり、写真からもわかる特徴的な畝堀と障子掘の堀です。
見た目以上にこの畝堀や障子堀は敵が非常に侵入しづらく、城内へ侵入するためには、畝堀・障子堀を越えて、さらに土塁をのぼっていく必要があり、その間常に敵からの攻撃にさらされることとなります。
恐ろしいほどの防御力を備えた城なのですね。

山中城は特に堀や土塁が状態良く残っており、自然の地形を巧みにとり入れた攻略の難しい山城ということで、他の城では見られないような光景が広がります。

いかがだったでしょうか?
今回もこれまで訪れた日本百名城・続日本百名城の中から、見た目が異色な城を5つをピックアップしてお伝えしました。

まだまだこれら以外にもおすすめしたい城はたくさんあります。
第9弾以降もご期待ください。