381【岡山紀行】日本三大平山城の一つ。迫力ある石垣が有名であり、そこからの眺めは絶景である『津山城』

中国地方(Chugoku)
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岡山県の中部、山あいにひっそりとある津山市。
ここには、ひなだん状に積み重なった、なんとも見事な石垣が残されています。
そこは津山城と呼ばれ、江戸期に造られ、この地を治めてきた津山の中心となった場所なのです。
実際に行ってみると、その規模には圧倒されるのですが、これほどの規模の石垣であれば、その上にはさぞ立派な建造物が建てられていたのだろうと感じることと思います。

しかし、現在はこの城跡を代表する天守や櫓は現存しておらず、2000年代に復元された櫓が見えるのみです。
もちろんここには、この立派な石垣の上に立ち並ぶ、天守や御殿をはじめとした数多くの建物が立ち並んでいたのです。
今はそれを実際の目で見ることはできませんが、ここにそういった壮大な城郭が存在したということを想像しながら、訪れてみたいものです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 今もなお残る、巨大かつ迫力ある石垣の連なる津山城を訪れてみよう。

岡山にある日本百名城・続日本百名城についての記事です。

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津山城

岡山県津山市にある津山城は、3、4段と積み上げられた石垣が有名な城であり、日本三大平山城の一つです。

この城は、1616年に築城されました。
1600年の関ヶ原の戦い後に織田信長の近習(主君の側近)であった森蘭丸の弟、森忠政によって13年かけて築城された輪郭式の平山城となっています。
森忠政は1603年にこの地に津山藩を立藩しており、ここを藩政の中心として津山の地を治めていました。

とにかくそのひなだん状に積まれた石垣が圧巻であり、一二三(ひふみ)段とも呼ばれています。
当時は、平山城の山頂の本丸に五層の天守をもっていました。
本丸には70もの部屋からなる御殿と庭園があり、その周りを数多くの門や櫓が建ち並んでおり、現在の広島城や姫路城をも凌ぐ規模の城なのでした。

そんな津山城でしたが、1809年には本丸御殿が焼失してしまいます。
その後、明治の廃条例によって、天守をはじめほとんどの建物が公売にかけられるなどして破却され、石垣や建物の礎石といった遺構だけが残る状態でした。
現在は鶴山公園として1900年に津山町の管理となりました。
津山城には天守が残されていませんが、立派な櫓が目に入ることでしょう。
これは2005年に復元された備中櫓です。
二階建ての凸型の櫓なのですが、当時は、本丸御殿と廊下で結ばれており、御殿の一部であったと考えられています。

また、2006年には日本百名城に選定されました。

アクセス

JR津山駅から北に600〜700mほど北に行ったところにあります。

津山城へ行ってみた

それでは津山城へ行ってみましょう。

津山城は平山城となっており、この見上げることで眼前に広がる石垣が特徴的な城です。

三の丸を進んでいきます。

城内入り口付近には、津山藩及び津山城創建の森忠政の像が建てられています。

こちらが三の丸に設けられた表門入口のゲートです。

敷地内に入ると、石垣の上の本丸に建つ備中櫓が見えてきました。

こちらが備中櫓です。

備中櫓は、本丸にあった御殿の南西端位置していた櫓であり、御殿から廊下で繋がっていたとも言われていたそうであり、御殿の一部として認識されていたようです。

なお備中櫓は2005年に復元されたものです。

それでは二の丸エリアを本丸に向けて歩いていきます。
この二の丸には、12棟の櫓と、7棟の門がありました。

上の写真は、切手御門があったところです。

本丸へとつながる表鉄門跡へやってきました。
ここを越えると本丸に到着です。

本丸に到着し、備中櫓にやってきました。

備中櫓内はこのように当時のような内装が整備されています。
もちろん自由に見学が可能です。

備中櫓を出てすぐに、天守台跡が残されています。

かなりしっかりとした点主題が残っていますので、見応えがあります。

天守台に入ると、まずは地階部分になります。

そして天守台の上から地階を見下ろしたところです。
津山城の天守は、高さが22mもあり、五層の天守としては最大規模だったのだそうです。

津山城には数多くの櫓があったため、至る所に櫓跡の案内が見られます。
こちらは涼櫓跡と書いてありました。

こちらは腰巻櫓とあります。
櫓が多いためか、他の城郭では見られない名前が多いです。

こちらは排水溝の跡です。

花(?)布櫓でしょうか。
少し字が読めません。

石垣の周囲をぐるっとまわりながら帰路につきます。

いかがだったでしょうか。
特に天守台の遺構がかなり当時をイメージさせる立派な状態で残ってはいませんでしたでしょうか。
石垣巡りが非常に楽しい津山城は、石垣好きにはたまらない城ですね。