386【三重紀行】藤堂高虎による改修によって近代城郭となった現在はお城公園『津城』

百名城/続・百名城(Castle)
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三重県にも数々の城跡が残されています。
大坂や尾張といった地域に挟まれていた現在の三重県は、たびたび歴史的な戦乱などに巻き込まれます。
今回紹介している津城もそういった地域にある城跡であり、関ヶ原の戦いに前に壊滅的な被害を受けるなど、例外なく戦禍に巻きもまれている城です。

ところが、以前紹介した伊賀上野城と同じく、津城には築城の名手であった藤堂高虎が入ります。
高虎は城だけではなく、城下町も整備することによって今日の津市の基盤を作り出したのです。
そのような築城の名手の城ということもこの津城が人々に親しまれ続けている理由でもあるのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 築城の名手藤堂高虎によって整備改修された、人々から親しまれ続ける城跡見に行こう。

三重にある百名城の記事です。

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津城

津城は現在の三重県津市にあった城であり、現座その城跡にはお城公園が設けられています。

津城は、天正8年(1580)に安濃川と岩田川というふたつの川に挟まれた低湿地のデルタ地帯に、五層の天守を持った城として造られました。
元々は、織田信長の弟である織田信包によって築城されました。
津の町は津城が築城されるまでは柳山と呼ばれる辺りが中心でありましたが、築城ともに北西の現在の城のあった周囲に、町家や寺院が移されることとなり、津の城下町が形成されます。

慶長5年(1600)年の関ヶ原の戦いのときには、当時の城主であった富田氏は、西軍の毛利秀元率いる大軍に包囲された安濃津城籠城戦で攻撃を受けることとなり戦禍に巻き込まれます。
この際に、津の町はほとんど焼け落ちてしまうなど、壊滅的な被害を受けました。

慶長13年(1608)年には、まだまだ力を持ち続けていた大坂の豊臣方の監視役として、藤堂高虎が津城に入ります。
高虎は大規模な城と城下町の改修に取り組みます。
城は、本丸を広げ、高い石垣や堀の改修、そして本丸の周囲を隅櫓と多門櫓で囲んだ戦略性の高い城として改修を行いました。

城下町に関しては、城を中心にして再配置を行います。
町屋を城の東に置き、その他には武家屋敷を配置します。
また、それまでは海岸沿いであった伊勢街道を城下に引き込んだり、堀川を掘削して物流に利用するなど、津の町を街道沿いの宿場町として整備をし発展させていきます。

本丸は現在洋風庭園となっています。
この本丸の南西隅のところに元々は五層の天守が設けられていました。
そしてその周囲は、東北隅にあった丑寅三重櫓などをはじめ5つもの櫓があり、それぞれが多門櫓でつながれていました。

2017年には、続百名城に選定されました。

アクセス

JR津新町から東北に600m~700mの位置にあります。

津城へ行ってみた

それでは津城へ行ってみましょう。

津城跡は現在お城公園となっています。

こちらは敷地内で唯一ある建造物、敷地内の東にある丑寅櫓です。

丑寅櫓の前までやってきました。

津城の特徴の一つである幅の広い内堀です。
津城では、この石垣の上に建つ白壁の櫓が堀の水面に映る姿美しいといわれています。

敷地内には、津の藩祖である藤堂高虎の銅像が設けられています。

こちらが本丸にある天守跡です。
津城の天守は、藤堂高虎の時代にも再建はされなかったのだそうです。

津城の続百名城スタンプは、すぐそばにある高山神社の社務所にあります。
参拝者は駐車場も無料で使うことができます。

いかがだったでしょうか。
三重県にもまだまだ魅力的な城が多数残されています。
日本百名城そして続日本百名城をきっかけにして、こういった城が全国的に注目され始めたことは、非常に喜ばしいことですね。