以前紹介した、戦前まで天守が現存していた城特集がありました。

現存12天守巡りと並行しながら、この戦前まで天守が現存していた城巡りも行っていきたいなと考えているうちに、あっという間にその大半はまわることができてしまいました。
・水戸城(茨城県)
・大垣城(岐阜県)
・名古屋城(愛知県)
・和歌山城(和歌山県)
・岡山城(岡山県)
・福山城(広島県)
・広島城(広島県)
・松前城(北海道)
残す2か所については、少し気軽に行けないところにあるのでまだしばらく先かなあと思ってはいますが、西日本については完結できました。
そんな中で今回紹介しているのは福山城です。
山陽新幹線で岡山から広島の間、新幹線からもその天守がよく見える福山城は、アクセス面でも抜群の城なのです。
というわけで、今回のわきみちは、
広島の記事です。









福山城
福山城は1619年、福島正則が改易となりかわって入城した、徳川家康の親戚であった水野勝成によって3年の歳月を費やして築かれました。
その築城年を見るとわかるのですが、時は江戸幕府による治世。
幕府によって出された一国一城令によって、新たな築城が全国で制限される中で築城が許されている、江戸期に造られた近世城郭としては最後の城となった、非常に珍しい城でした。
もちろん何もない中で築城が許されたわけではありません。
徳川家が率いる江戸幕府にとって、西国の外様大名たちの動向は常に把握しておく必要がありました。
江戸幕府による完全な支配体制を維持し続けるためには、こういった西国は無視できない存在であったのです。
そこで、こういった西国を監視するために重要な位置にあったのがこの福山の地であり、福山城だったのです。
そして、当時この地を治めていた備後福山藩の藩庁が置かれていました。
福山城の現在の天守は再建されたものなのです。
実は太平洋戦争の末期まで福山城は現存していたのです。
しかし、空襲によって焼失してしまいます。
現在の天守は、昭和41年(1966)に再建されたものなのですが、元々の天守は現在の白い外観とは異なり、五重五階地下一階かつ北側が一面鉄板で覆われた真っ黒い外観だったそうです。
また城内には、伏見城の松の丸東櫓を移築した伏見櫓、そして共に移築されたとされている筋鉄御門が現存しています。
福山城は、日本百名城にも選定されています。
アクセス
JR福山駅前すぐからその敷地内に入ります。
福山城へ行ってみた
それでは福山城へ行ってみましょう。

敷地内に入ると、福山城内で現存している伏見櫓と筋鉄御門があります。

筋鉄御門を入ると、福山城天守が見えてきました。

天守に行くまでには、福山城の鐘櫓があります。
こちらは、近隣に時の鐘と告げた鐘や太鼓が備えられていた櫓の遺構です。
明治以降には、荒廃具合が激しく、たびたび補修が行われていたことから、原形をとどめないほどの状況であったものを、昭和54年に復旧したものだそうです。

そして天守にやってきました。

福山城天守は昭和41年(1966)に再建されたものです。
焼失前の天守とは少し異なるようです。


天守に入っていきます。
内部は展示物が陳列されていますが、写真撮影はできませんでした。

天守から敷地内を見下ろしてみました。

敷地内東側にある鏡櫓です。
こちらは昭和49年(1974)に外観復元されました。

こちらは敷地内の南東隅部分にある月見櫓であり、天守閣と同じく昭和41年(1966)に再建されたものです。
こちらはもと京都の伏見城内にあったものがここに移築され、望楼の役割をになっていましたが、明治に入り一旦取り壊されていました。

最後は敷地内南にある御湯殿であり、昭和41年(1966)に天守と共に外観が復元されました。
こちらも元は伏見城内にあったもので移築されたものでした。
御湯殿は、昭和20年(1945)の戦災によって焼失していました。
いかがだったでしょうか。
駅から徒歩すぐでこのように立派な城があるとは驚きの場所です。
比較的歴史も新しい城であることから、その遺構も比較的しっかりと残っているため、見ごたえのある城跡なのでした。