405【広島紀行】新幹線からもその姿がよく見える、アクセス抜群の『福山城』

百名城/続・百名城(Castle)
この記事は約4分で読めます。

以前紹介した、戦前まで天守が現存していた城特集がありました。

184【ピックアップ】日本百名城・続日本百名城 戦前まで天守が現存していたお城ピックアップ6選
日本百名城・続日本百名城で、今回は戦前まで天守が現存していた括りで紹介していきたいと思います。戦前まで天守が残っていた城は、全部で8か所あるのですが、そのうち6か所をピックアップして紹介していきたいと思います。

現存12天守巡りと並行しながら、この戦前まで天守が現存していた城巡りも行っていきたいなと考えているうちに、あっという間にその大半はまわることができてしまいました。

・水戸城(茨城県)
・大垣城(岐阜県)
・名古屋城(愛知県)
・和歌山城(和歌山県)
・岡山城(岡山県)
福山城(広島県)
・広島城(広島県)

・松前城(北海道)

残す2か所については、少し気軽に行けないところにあるのでまだしばらく先かなあと思ってはいますが、西日本については完結できました。

そんな中で今回紹介しているのは福山城です。
山陽新幹線で岡山から広島の間、新幹線からもその天守がよく見える福山城は、アクセス面でも抜群の城なのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 比較的城の中では新しい部類に入る、江戸時代の一国一城令下で造られた、珍しい城を軽い足取りで見に行ってみよう。

広島の記事です。

1145【広島紀行】ウサギ島として大人気の島だけど、この島の歴史もしっかりと見つめるべき『大久野島 毒ガスの島関連施設』
広島県の大久野島という島。そんなメルヘンチックなだけが取り柄の島ではありません。それどころか、地図にも載っていない。いや、載せられない時期があったほどの島なのです。それはなぜか?それは、旧大日本帝国軍の軍事機密があった島だからなのです。
1126【広島紀行】修行と名が付くほどなのでなめてかかってはいけない。鎖一本にしがみついて岩肌を登る『石鎚山鎖修行』
尾道の遥かなる階段を上った先にある千光寺のすぐそばにある、通称くさり山と呼ばれる石鎚山での鎖修行なのです。その名の通り、高くそびえる岩山に張られた一本の鎖を登って、ひたすら高みを目指すというこの修行。なんと100円で体験できてしまうのですね。
1103【広島紀行】海からすぐに坂が広がる特徴的な町『尾道の町』
今回紹介している街は、広島県にある尾道の街。今から120年以上前の明治時代に市政が施行されたこの歴史ある街は、その位置関係は広島市と岡山市との間に位置し、瀬戸内海に面している街です。そして、しまなみ海道の本州側の起点となっており、四国の愛媛県へのアクセスする際にお訪れることになる街なのです。
1092【広島紀行】300段以上の階段の先にある、尾道のすべてを見渡せる大正時代の建物をリノベーションした『みはらし亭』
見晴らし亭は、1921年に建てられた建物。1921年というと時代は大正。そこから100年以上の歴史をもつ建築物なのです。そして、尾道に残る空き家の再生プロジェクト第一弾として実行に移された物件でもあるのです。そんな歴史的な建物に宿泊することができる。それは素晴らしい体験ができることでしょう。
1064【広島紀行】尾道の激しい傾斜地の先にある寺院『千光寺』
坂の町としても有名な広島県にある尾道の町。海に面したこの尾道では、海に面してすぐに険しい坂がいくつもあり、坂の上からは素晴らしい景色がながめられるということで、非常に有名ですよね。そんな尾道にある大宝山の坂の上にひときわ有名なお寺があります。そのお寺の名前を千光寺といいます。なんと大同元年(806)に弘法大師によって開かれたとされている歴史あるお寺です。
1061【広島紀行】ウサギ島として有名な瀬戸内海のこの島。しかし、かつては・・・!?『大久野島』
瀬戸内海に今、多くの人々から大人気で注目されている島があります。その島が人気な理由。それは、この島には、数えきれないほどのウサギがいるからなのです。その島の名前を『大久野島』。この島では、山ほどのウサギたちと触れ合えるということから、とにかく話題になっており、常に多くの人々でにぎわう島となっているのです。
1051【広島紀行】かつての小早川氏の居城。向かいにある高山城から移設された『新高山城』
かなり以前に紹介したことがある広島県の城、三原城。新幹線の路線の下にあり、駅直結の城ということでかなり異色の城だったのですが、その三原城は小早川氏の居城でした。その小早川氏が三原城にその居城を移す前に居城としていた城があったのでした。それが新高山城と言います。
434【広島紀行】広島を襲った悲劇。原爆を原因として倒壊してしまった『広島城』
今回紹介している広島城もそんな太平洋戦争の終結直前まで残っていた天守を持った城です。ご存じの通り広島城の天守は、1945年8月6日の広島への原爆投下による影響で、崩壊してしまいます。それまでは、安土桃山時代末期の貴重な天守や櫓などが現存していたことを考えると、とんでもないことをしてくれたものです。
026 【広島紀行】アクセス抜群の三原城跡♪しかし、なぜこんなことに…??
続・百名城にはクセのある、みどころたくさんの城が多数掲載されています。今回紹介する城は、おそらくここ以上に駅からのアクセス抜群の城はないだろう、という城です。

福山城

福山城は1619年、福島正則が改易となりかわって入城した、徳川家康の親戚であった水野勝成によって3年の歳月を費やして築かれました。
その築城年を見るとわかるのですが、時は江戸幕府による治世。
幕府によって出された一国一城令によって、新たな築城が全国で制限される中で築城が許されている、江戸期に造られた近世城郭としては最後の城となった、非常に珍しい城でした。
もちろん何もない中で築城が許されたわけではありません。
徳川家が率いる江戸幕府にとって、西国の外様大名たちの動向は常に把握しておく必要がありました。
江戸幕府による完全な支配体制を維持し続けるためには、こういった西国は無視できない存在であったのです。
そこで、こういった西国を監視するために重要な位置にあったのがこの福山の地であり、福山城だったのです。
そして、当時この地を治めていた備後福山藩の藩庁が置かれていました。

福山城の現在の天守は再建されたものなのです。
実は太平洋戦争の末期まで福山城は現存していたのです。
しかし、空襲によって焼失してしまいます。

現在の天守は、昭和41年(1966)に再建されたものなのですが、元々の天守は現在の白い外観とは異なり、五重五階地下一階かつ北側が一面鉄板で覆われた真っ黒い外観だったそうです。

また城内には、伏見城の松の丸東櫓を移築した伏見櫓、そして共に移築されたとされている筋鉄御門が現存しています。

福山城は、日本百名城にも選定されています。

アクセス

JR福山駅前すぐからその敷地内に入ります。

福山城へ行ってみた

それでは福山城へ行ってみましょう。

敷地内に入ると、福山城内で現存している伏見櫓筋鉄御門があります。

筋鉄御門を入ると、福山城天守が見えてきました。

天守に行くまでには、福山城の鐘櫓があります。
こちらは、近隣に時の鐘と告げた鐘や太鼓が備えられていた櫓の遺構です。
明治以降には、荒廃具合が激しく、たびたび補修が行われていたことから、原形をとどめないほどの状況であったものを、昭和54年に復旧したものだそうです。

そして天守にやってきました。

福山城天守は昭和41年(1966)に再建されたものです。
焼失前の天守とは少し異なるようです。

天守に入っていきます。
内部は展示物が陳列されていますが、写真撮影はできませんでした。

天守から敷地内を見下ろしてみました。

敷地内東側にある鏡櫓です。
こちらは昭和49年(1974)に外観復元されました。

こちらは敷地内の南東隅部分にある月見櫓であり、天守閣と同じく昭和41年(1966)に再建されたものです。
こちらはもと京都の伏見城内にあったものがここに移築され、望楼の役割をになっていましたが、明治に入り一旦取り壊されていました。

最後は敷地内南にある御湯殿であり、昭和41年(1966)に天守と共に外観が復元されました。
こちらも元は伏見城内にあったもので移築されたものでした。
御湯殿は、昭和20年(1945)の戦災によって焼失していました。

いかがだったでしょうか。
駅から徒歩すぐでこのように立派な城があるとは驚きの場所です。
比較的歴史も新しい城であることから、その遺構も比較的しっかりと残っているため、見ごたえのある城跡なのでした。