これまで数々の城や城跡を見てきましたが、一つの山にこれだけの規模の城を造ったのは、やはり織田信長だけではないでしょうか。
天下統一を目前にして散った織田信長。
その信長が、造り上げた天下人の住まう城が安土城なのでした。
現在の安土城跡に到着するとまず真っ先に眼前に広がるのが伝大手道。
そのスケールの大きさと、一直線に続く石段は、そこを攻めようとする気持ちを萎えさせてしまうほどなのです。
そして、天守に向かう道の脇には、歴史上名立たる人物の館跡が建ち並び、いかにここが時代の中心であった場所なのかがひしひしと伝わってきます。
それでは、そんな天下を目ざした男が造り出した、時代のシンボルであった城跡へ行ってみましょう。
というわけで、今回のわきみちは、
滋賀県の城に関する記事です。





安土城
安土城は、現在の滋賀県琵琶湖沿いにある、織田信長が造った城です。
武田勝頼を長篠の合戦で打ち破った織田信長は、天正4年(1576)に天下統一を目前にして、琵琶湖畔にある高さ198mの山に築き始め、その三年後には天守が完成したため、信長が移り住みました。
安土城の築城には、周辺地域から多くの人々が集められ、その築城にあたらせます。
天下人に最も近かった人物らしく、その時代としては最高峰の技術を持った職人たちを集めて造られた安土城は、まさに天下統一の拠点としてのシンボル的な城だったのでした。
日本で初めて天守が建てられ、全体を高い石垣で囲った城でした。
その天守は五重六階地下一階の造りでした。
現在も残っている天守台ですが、七角形になっており、天守の中は三階までは吹き抜けになっていたようです。
その上に八角形の望楼、さらにその上に四角形の望楼が乗り、金色や赤などの色鮮やかな天守であったと考えられています。
また、城専用に作られた瓦と金箔瓦、金のシャチホコの乗った屋根、黒漆の壁と、それまでの城と比べると一見すると特異な建造物だったようです。
ところが、信長が移り住んでから三年後、天正10年(1582)に本能寺によって信長が殺されてしまったため、安土城は明智光秀の手に渡ります。
しかし、明智光秀は羽柴秀吉に敗れ、その後安土城の天守・本丸は焼失してしまいます。
さらに2年後の小牧長久手の戦いによって織田氏の天下に終焉がやってくると、安土城もその翌年に廃城となってしまいます。
江戸時代の間は、信長がその城内に建てていた摠見寺(そうけんじ)が現在に至るまで安土城跡を守り続けてきました。
2006年には日本百名城に選定されました。
アクセス
JR琵琶湖線の安土駅を下車し、徒歩20分で到着します。
安土城へ行ってみた
それでは安土城へ行ってみましょう。

琵琶湖のそばにある安土山。
この一山が麓から頂上にかけて、安土城の縄張りとなっています。

安土城入口にやってきました。
こちらを代々管理してきた摠見寺と書かれていますね。
なお、ここを過ぎるとお手洗いは何ので注意書きがされています。

入り口を過ぎると・・・

伝大手道が眼前に広がります。
長さが約180m、幅が6~7mもある石段が一直線につながっており、ひときわその長さを感じさせます。

伝大手道を進んでいくと、すぐ左手に羽柴秀吉邸跡が見えてきます。

羽柴秀吉邸は上下二段の郭に邸宅が建てられていた、かなり大規模な造りの屋敷でした。



秀吉邸宅の前には前田利家邸跡があります。

伝大手道を180mほど進むとようやく左に曲がる道に到達します。
しかし、天守台まではまだまだこれからです。
階段の高さや、一段一段の幅が異なったりしているため、登っていると思っている以上に疲労が出てきます。

まだまだ続きます。
入り口から天守台までは約400段の階段があるのだそうです。

ここまでは開けた階段を上ってきましたね。
さらにここからは、うっそうとした林の中の道になっていきます。

美濃の斎藤氏、そして織田信長に仕えた右筆及び側近官僚の武井夕庵邸跡です。

織田家当主2代目であった織田信忠邸跡です。

天守台まではまだまだです。


織田信長の同母弟である織田信行の長男であった織田信澄邸跡及び、森蘭丸邸跡です。

安土城の黒金門跡です。
安土城中枢へ入るための重要な門でした。

だんだんと立派な石垣が連なっている様子が見えてきます。

安土城の石段には、数々の石仏が使われています。
こちらの沸足石もそんな石段に使われていたとされるものですが、日本で残されている沸足石としてはかなり貴重なものなのだそうです。


二の丸跡まで来ると、織田信長の本廟があります。


そして、本丸跡天守台にやってきました。


天守台に上っていきます。

こちらが天守台跡です。
ここだけでもかなりの規模であることが分かりますね。
中央のくぼみのところがかつての地下部分出合ったところであり、礎石跡が残されています。
この天守台は七角形であったそうですが、ある程度のところは修復はされていますが、周辺部はかなり崩れ落ちてしまっているのだそうです。
本来はこの2倍以上の規模があったのだそうです。

そんな天守台からの眺めです。
ここに天守が建っていたことを考えると、ここからの眺めは周囲を見渡すには最適な場所であり、信長の権威を見せつけるには十分な場所だったのでしょう。

本丸周囲の石垣を見ながら下山していきます。



伝大手道までやってきました。
上の写真中央に見えるのが、摠見寺です。

いかがだったでしょうか。
この安土城の規模が伝わったでしょうか。
天下統一を目前にした織田信長がもっていた力の大きさがどれほどのものだったのかが分かる城でした。
天守に向かって歩いていく途中で、歴史的に有名な人物の名がある邸宅跡が多数あるため、そういったことを話題にしながら上っていくのも面白いかもしれませんね。