前回カンボジアの記事で紹介した王の沐浴場スラ・スラン。
そして、その時に紹介していたのが、その対面にあるバンテアイ・クデイです。

元々は東バライの代替え施設として建造された貯水池スラ・スラン。
そして、その対面には僧院があったのだそうです。
しかし、その後その僧院はバンテアイ・クデイに。
そしてスラ・スランは王のための沐浴場として整備されたのでした。
今回はこのバンテアイ・クデイにフォーカスして紹介をしたいと思います。
アンコール・ワットと同様に、長い年月を熱帯の密林に埋もれていたアンコール遺跡群。
このバンテアイ・クデイも同様の状況であったため、激しい崩壊の状態を表しています。
というわけで、今回のわきみちは、
カンボジアの世界遺産に関する記事です。













バンテアイ・クデイ
バンテアイ・クデイはアンコール・ワットやアンコール・トムの東にある寺院跡の遺跡です。
さらにバンテアイ・クデイの東には巨大な貯水池であり、王の沐浴の地であるといわれているスラ・スランが位置しています。
セットのように見えているこの2つの遺跡ですが、実際、現在の形になる前にはバンテアイ・クデイの場所にはクティと呼ばれるヒンドゥー教の僧院があり、スラ・スランはかつて存在した巨大な貯水池である東バライの代替え施設として設けられた貯水池でした。
そのため、バンテアイ・クデイは「僧房の砦」という意味があります。
しかし、12世紀末にジャヤヴァルマン7世によってバンテアイ・クデイが仏教寺院に建造される際に、併せてスラ・スランも王の沐浴場として整備され、今に至っています。
バイヨンが設けられた同時期に設けられたこともあってか、その寺院全体の構成はバイヨンと共通しています。
東塔門からテラスを抜け、東楼門から内部に入ると、ナーガが模られた欄干、踊り子のテラスがあり、中央伽藍を囲む回廊の入口である塔門が見えてきます。
中央の伽藍の周囲を四重の周壁で囲んだ構造であり、中央祠堂や経堂、塔門などの諸建築が十字形の回廊で囲まれた構成をしています。
アクセス
東バライの南、スラ・スランの西にあります。
バンテアイ・クデイへ行ってみた
それでは、バンテアイ・クデイへ行ってみましょう。

バンテイ・クデイに到着です。
もちろんこのときは、スラ・スランを訪れてからその足で訪れました。
見えてくるのが一番外側の外壁ですが、700m×500mほどの広さもあるのだそうです。
上空から見ると、アンコール・ワットの3分の2ほどの規模なので、なかなかの広さがあります。

バンテアイ・クデイの発掘、修繕の様子のようです。


進んでいくと東塔門の手前に、崩落した御堂のようなところが見えてきますが、こちらでは274体もの仏像が発見された場所なのだそうです。

東塔門を抜けるとナーガのテラスが見えてきます。

ナーガのテラスであり、上の写真の中央に見えるのが東楼門です。

東楼門を越えるとナーガの欄干に出ます。
その先に見えるのが踊り子のテラスです。

ナーガの欄干横には、瞑想のために使われていたとされる建物があります。

東楼門を振り返ってみました。


踊り子のテラスを抜けるとその先に中央祠堂を囲む回廊の入口である塔門が見えてきます。
内部に入っていきます。
高さはそれほどでもない寺院です。

比較的回廊もきれいに残っており、内部を歩くことができます。


訪れた当時はかなり修復作業が進められている最中でした。

それもそのはず、こちらをみてみると、回廊の天井部分が崩落してきており、大部分で支えが必要な状態でした。

しかし、そんな状態でも比較的自由にこの寺院内は見て回ることができます。


中央祠堂付近の壁には綺麗な状態のデバターが残っています。

回廊の内部の様子です。
それほど複雑ではないのですが、真っ暗な回廊の中は、迷路のようにも見えます。

こちらの壁にも綺麗に彫られている様子が見えます。

こちらは反対側である西側から見た様子です。
崩落具合はこちらの方がひどい様子でした。


周囲には崩落した状態のままの御堂などが残されています。
後々修復されていくことでしょう。

周辺からは中央祠堂あたりの塔がよく見えます。


しかし、近くまでよってみてみると、これらもかなり支えのある状態でした。
かなり崩落の危機があるのでしょう。

回廊と壁に囲まれた空間です。


こちらの回廊もかなり支えられています。

ここはかなり修復されたようであり、壁や柱も整然と並んでいます。

この外から回廊をみると、一直線に先が見えることがバンテアイ・クディの特徴でもあります。


いかがだったでしょうか。
まだまだ修復途中の寺院であるため、アンコール・ワットとはまた違った魅力あふれる寺院だったのではないでしょうか。
アンコール遺跡群の中ではなかなか優先度は高くはない遺跡かもしれませんが、日程に余裕がある時には、スラ・スランとともにゆっくりと訪れてほしい遺跡の一つでした。