今回は、日本百名城・続日本百名城のなかでも、数件しか選ばれていない、島にある城です。
その島とは、兵庫県にある淡路島。
古くは日本という国が始まった場所と言われている場所。
最近であれば某RPGの聖地。
そして、某派遣会社が本拠地をおこうとしている場所・・・。
そんな淡路島には、とある城跡が残されています。
淡路島の東海岸、大阪湾に面したこの場所に、洲本城跡があります。
洲本城は、山上にある上の城と、麓にある下の城とが分かれて存在しており、上の城には天守がそびえてっています。
この天守ですが、これはこれでなかなかの歴史のあるものなのです。
というわけで、今回のわきみちは、
兵庫県の城に関する記事です。





洲本城
洲本城は兵庫県淡路市、つまり淡路島にある城跡です。
2017年には続日本百名城にも登録されている城です。
淡路島中部東海岸にある洲本城は、1526年に標高133mある三熊山山上に造られました。
洲本城を築城したのは、三好氏の重心であった安宅氏によって築城されました。
その後は、羽柴秀吉による淡路討伐によって下され、城主が何度か変えられます。
その際に、天守が造営されたり、石垣を改修して山に沿って設けられた登り石垣が造られたりと、現在の洲本城跡にも残る史跡へと繋がっています。
その後、江戸時代に入ると、洲本城は淡路島にいくつかあった支城の一つであったらしく、1613年に一旦廃城となっています。
ところがその後1630年代になり、再び洲本城が本拠として使られることになるのですが、時代は江戸時代に入り、戦いに向けた山城は不要となり、山麓に政庁機能が移転されました。
その後、洲本城は明治時代まで使われることになるのです。
現在の洲本城跡には、石垣や曲輪、櫓跡などが残っていますが、何よりも目を惹くのが山上に残る天守でしょう。
しかし、残念ながらこの天守は模擬天守であり、実際に江戸時代に存在していた天守ではないのだそうです。
ところが、この天守が造られたのは戦前である昭和3年(1928)。
昭和天皇の即位式を記念して建造された、どちらかというと展望台としての役割をもったものなのです。
鉄筋コンクリート造である現在の洲本城天守は、そういった意味で、日本最古の模擬天守であり、また違った価値が見出されてきているのです。
実際に天守まで行ってみると、実は天守の上段に登るための梯子やら階段やらが見当たりません。
天守の下から上を見上げてみると、梯子を使って下から入れるようにはなっているようなのですが、残念ながら現在はこの天守には入ることができません。
しかし、天守付近から見下ろすその絶景は圧巻です。
アクセス
鉄道路線は走っていません。
自家用車かバスを利用して行きましょう。
洲本城へ行ってみた
それでは洲本城へ行ってみましょう。


まずは、スタンプのある淡路文化資料館へ向かいました。
ここはかつて、洲本城後期に政庁機能が置かれていた下の城があった場所に建てられています。

それでは、洲本城上の城へ上がっていきましょう。

島の中にかなり立派な石垣が連なっています。
保存状態はかなり良いですね。
上の写真は南の丸隅櫓跡だそうです。


と思いきや、一部崩落しているところが。
修復中でしょう。

133mもの小高い山ですので、山頂に向けてまだまだ道は続きます。

もうすぐ本丸でしょう。

本丸大石段です。
なかなか立派な本丸に続く石段です。


さあ、いよいよ本丸跡です。


開けた場所に出ました。
目の前に模擬天守が見えてきました。

近づいていくと、コンクリート製だなあというのがよくわかる天守です。

天守台に上ります。
洲本城が建つ三熊山からのぞむ絶景が広がりますよ。

さあ、どうでしょう。
ここからの光景は洲本八景と呼ばれているそうです。
なかなかの絶景ですよね。



では、そのすぐそばにある天守にも行ってみましょう。

4本足で立つ洲本城天守ですが、どこから上るのだろう?となります。
ところが、天守の下に入り込んでみて見上げてみると・・・、ありました!入り口。
ここに梯子をかけて登るのでしょう。
ところが、このときもすでに天守へは入場できないようにされていました。
いかがだったでしょうか。
天守自体は模擬天守であり、コンクリートやん!!
というの剥き出しの天守ではあるのですが、実際に訪れてみるとそれはそれで味わい深いものがあったりします。
またそれ以上に洲本八景の絶景は、淡路島に訪れたからには、おさえておきたいスポットですね。