458【ウズベキスタン紀行】サマルカンドにあるティムールとその家族の霊廟『アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)』

世界の世界遺産(World Heritage)
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ティムールといえば、ウズベキスタンを旅しているとどこでもその名前を聞くほどの英雄です。
サマルカンドをはじめとしてウズベキスタンの各都市は、13世紀のモンゴル帝国による侵攻によって壊滅的な被害を受けました。
このサマルカンドでも当時の人口の3/4が殺害されたと伝えられています。
人々の命だけでなく、街全体も徹底的に破壊されました。
そのサマルカンドを復興させよみがえらせたのが英雄ティムールでした。
現在のサマルカンドに残る建造物のほとんどは、このティムール以降の物であり、数百年たった今もなお、色鮮やかな状態で残っているのです。

今回紹介しているアムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)は、その名の通りティムールを葬っている廟です。
ティムール自身は、自分が死んだ後は、出生地であるシャフリサーブスに葬られることを望んでいたそうなのですが、その願いはかなわず、ティムールとその息子など血族の者たちは、サマルカンドの地に眠っているのです。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • ウズベキスタンのどこでもその名前を聞く英雄ティムール。そのティムールが実際に眠るサマルカンドにある廟へ行ってみよう。

ウズベキスタンの世界遺産に関する記事です。

489【ウズベキスタン紀行】ティムールの妻の名をつけられた巨大なモスク。しかし、その行く末は巨大帝国そのものの行く末を暗示していた『ビービー・ハーヌム・モスク』
サマルカンドに残るビービー・ハーヌム・モスクについてです。ウズベキスタンでは最大級であるこのモスクは、何度も名前の出てきている英雄ティムールによって造られました。時の権力者が、いかに大きな力を持っていたかを表すかの如くの建物ですよね。しかし、いかに大きな権力を持って、人々を動かそうとしても、やはり限界はあるものです。
482【ウズベキスタン紀行】古代サマルカンドの中心地アフラシャブの丘に建つ霊廟群『シャーヒズィンダ廟群』
シャーヒズィンダ廟群はそんなティムールに縁のある人々が多数葬られている場所なのです。ティムールの親族の人々だけではなく、部下であった将軍とその関係の者、ティムール朝で重要だった学者などの廟もここには集められているのです。
474【ウズベキスタン紀行】サマルカンドを代表する場所であり、謁見の儀式や処刑なども行われていた『レギスタン広場』
かつては、シルクロードの主要な道路の交差点として数多くの隊商が行き交い、活気あふれる場所だったこのレギスタン広場。政治や経済、そして人々の文化の中心でもあったこの場所は、今もなお数多くの人が集まり、当時の輝きが残り続ける場所です。
470【ウズベキスタン紀行】力ずくで造られたとの伝説もある、メドレセやハナカに囲まれた街中のオアシス『ラビハウズとその周辺』
ブハラ観光でホテルを出発して最初の起点になるのが、この巨大な人工池であるラビハウズではないでしょうか。まずこの周囲には有名なメドレセやハナカなどが建ち並んでいます。ここから西のタキやさらに北に行ったところにあるカラーン・モスクやアルク城のあたりへと進んでいくことになるでしょう。
467【ウズベキスタン紀行】ヒヴァで最も高く、一般の観光者も登ることができるミナレット『イスラーム・ホジャ・ミナレット』
今回紹介しているイスラーム・ホジャ・ミナレットは、ヒヴァの中でシンボル的な建物の一つであり、高くそびえるその姿遠くからも見えることでしょう。どこからもその姿を見ることができるとなると、このミナレットから生活のある世界遺産ヒヴァの全貌を上空から眺めることができてしまうスポットなのです。
464【ウズベキスタン紀行】スザニで有名な砂漠のバザール。しかし、ここでゆっくりと買い物をするのは至難の業『ウルグット』
ウズベキスタンに訪れたからには、制作された地方ごとにその柄にもいろいろな種類があるスザニを、いろいろと見比べながら購入してみたいとは思いませんか?あるんです。それが今回紹介しているウルグットのスザニバザールなのです。
461【ウズベキスタン紀行】ブハラで見つけた巨大な城郭。日本の城にも通じるものを感じる『アルク城』
ブハラの中心地を外れた街の北西に、それまで見てきた建物とは全く雰囲気の異なる城砦が残されています。ウズベキスタンのヒヴァのような雰囲気もあるのですが、その中は一部は復旧されているものの、大部分は崩れ去った石の平原のようになっています。ここはアルク城といい、ブハラで唯一の城砦の遺跡です。
454【ウズベキスタン紀行】4本の尖塔が4人の美しい娘を意味して造られたとされるメドレセ『チョルミナル』
今回は初めてウズベキスタンのブハラにある遺跡を紹介していきたいと思います。ブハラは、その旧市街がユネスコの世界文化遺産にも登録されている、ウズベキスタンを代表する古代からの栄えていたオアシス都市です。今回紹介しているチョルミナルはそんなブハラを代表する建造物です。
316【ウズベキスタン紀行】砂漠の中にあるヒヴァ・ハン国の首都『ヒヴァのイチャン・カラ』
巨大な砂漠に囲まれたヒヴァは、元はヒヴァ・ハン国の中心だった都市です。都市全体が博物館都市として世界遺産に登録されているヒヴァですが、今もその都市の中心であるイチャン・カラには、歴史的な建造物が立ち並ぶとともに、人々の生活も見ることができる街なのです。
082【ウズベキスタン紀行】旅に慣れてきたころが注意時 だまされるだろうなと思ったら案の定だったブハラの町
ウズベキスタンのブハラは、乾燥地帯の中のオアシスに作られた都市です。歴史ある建物も多く、ヒヴァやサマルカンドとはまた違った趣のある街です。観光するにも比較的安全な地域ではありますが、やはり旅人としては最低限気を付けなければいけなことはあるのです。
069【ウズベキスタン紀行】旅人が集まるサマルカンドのB&Bバハディールの3日間
ウズベキスタンのサマルカンド。有名なレギスタン広場の近くに、世界各国から旅人の集まる宿があります。B&Bバハディール。ここでの体験は、その後、いろいろな国に行きたくなるきっかけにつながっていきました。そんなお宿について今日は紹介していきたいと思います。
022 【ウズベキスタン紀行】シャフリサブス歴史地区は、世界遺産登録でテンション上がりすぎて危機遺産
数々の世界遺産が残される中央アジアの国『ウズベキスタン』この国の中でも、少し行きにくい世界遺産を紹介。しかし、行きにくい理由はその立地だけではなく・・・。

アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)

アムール・ティムール廟、別名グル・アミール(支配者の墓)廟は、ウズベキスタンの英雄ティムールをはじめ、その息子たちを埋葬している霊廟です。
サマルカンドのレギスタン広場から南西に500mほどの場所にあるこの霊廟は、元々は、ティムールの孫であったムハンマド・スルタンが建てたメドレセ(イスラム教の神学校)やハナカ(イスラム巡礼の際の宿坊)などがあった場所でした。
しかし、ムハンマド・スルタンがトルコ遠征で戦死してしまいます。
そこでティムールはこの場所に廟を建設し、ムハンマド・スルタンを埋葬します。
その後、ティムール自身も中国遠征の際に死亡し、ここに葬られることになりました。

内部に入ると墓石の並ぶ部屋があります。
実際に各人の亡骸は、この墓石の地下3mのところに葬られているのだそうです。
その中でも中央に黒緑色の特徴的な墓石があり、これがティムールの墓石です。
ここにはティムール以外の墓石も並んでおり、以下の写真のような配置となっています。

①ティムールの墓石
②ミルゾ・ウルグベク(ティムールの孫。四男シャー・ルフの長男)
③ムハンマド・スルタン(孫)
④ミル・サイード・バラカ(ティムールの教師)
⑤サイード・ウマル
⑥シャールフ・ミルゾ(息子)
⑦ミランシャー(息子)
⑧アブドラ・ミルゾ(ひ孫)
⑨アブドゥラモン・ミルゾ(ひ孫)

これらの墓は、1941年にソ連によって調査が行われており、ティムールが右足が不自由だったことや、刺客によって殺害されたとされていたウルグベクが斬首されていたことなどがわかっています。

アクセス

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レギスタン広場から南西に500mほどの場所にあります。

アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)へ行ってみた

それでは、アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)へ行ってみましょう。

こちらがアムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)です。
地元ではグーリ・アミール廟の方が通じるようです。

内部も修復がなされたようであり、かなりきれいに管理されています。

ドームの形状がかなり独特ですね。

廟の前庭を見てみましょう。

廟の前庭には、レンガを積み重ねられた基礎が残っています。
これが、もともとムハンマド・スルタンがこの地に建てた、メドレセ(イスラム教の神学校)やハナカ(イスラム巡礼の際の宿坊)の跡といわれています。
現在は建物は残されていません。



少し周囲も巡ってみましょう。

廟の両サイドには、地下につながる階段がありました。
入ることはできませんが、廟の地下3mのところに墓室があるそうなので、そこにつながっているのでしょうか。

非常にきれいな廟ではあるのですが・・・

廟の前半分は非常にきれいな保存状態なのですが、後ろ半分は結構建物が崩壊しかかっています。

ドアの装飾も見事なものです。
では、内部に入っていきましょう。

ティムールの遠征の様子と勢力範囲を表した地図がありました。

霊廟であるため、非常に厳かな雰囲気です。

こちらがティムールとその一族が葬られている部屋です。

この部屋には墓石が並べられています。
実際にはこの墓石の地下3mのところに亡骸が葬られています。
1941年に実際に調査が行われ、その存在が確認されています。

いかがだったでしょうか。
約600年以上も前の人物が葬られている霊廟ですが、驚くほどきれいに管理されて現在も残されていることが分かったでしょうか。
もちろん霊廟ですので訪問の際には、厳かな雰囲気をもって参拝することが大切ですね。