459【沖縄紀行】沖縄独特の曲線美が美しく、ふもとから頂上までそれを堪能できる『勝連城』

日本の世界遺産(Japan Heritage)
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沖縄中部の勝連半島の南風原部分。
緩やかな丘陵の上に、この周辺を見渡すことができるグスク(城)が残っています。
緩やかな曲線の石垣が美しく、青空に映えるこのグスクは勝連城といいます。
2000年にユネスコ世界文化遺産に登録された琉球王国のグスク及び関連遺産群には、
勝連城跡
今帰仁城跡

101【沖縄紀行】沖縄中部 美ら海水族館から今帰仁城まで楽しめる『ゲストハウス 琉遊』
沖縄中部、本部町。こちらには美ら海水族館や、日本百名城かつ世界遺産である今帰仁城跡があります。那覇市などに比べると、都会のエリアではないので日帰りも多いかもしれませんが、見どころの多い中部エリア。ぜひ一泊して、堪能してみませんか。

座喜味城跡

322【沖縄紀行】沖縄のグスク特有の曲線の城壁やアーチ門が美しい『座喜味城』
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中城城跡

466【沖縄紀行】沖縄のグスクを心ゆくまで堪能できる沖縄の城の美。そして、まさかのあのドラマの撮影場所だったとは…『中城城』
今回紹介している中城城は、世界文化遺産にも登録されている琉球王国時代から残るグスクの跡です。沖縄でよくみられる曲線型をした石垣やアーチ門など、独特の特徴を存分に堪能できる城です。また、東西に巨大な城郭であり、とても丁寧に再建されたり保存されたりしているため、とても見どころの多い城です。

首里城跡

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の計5か所のグスクが登録されていますが、今回紹介している勝連城はその中でもその築城が最も古いグスクとされています。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • まるでヨーロッパの城!?のような石垣の曲線美が美しい勝連城を見に行こう。

沖縄の城(グスク)・世界遺産に関する記事です。

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勝連城

勝連城は、5つの郭からなる平山城です。
ふもとから順に曲輪が設けられており、最も高いところにある一の曲輪からは、金武湾を囲む山々、太平洋の島々、南は中城城から遠くはせーふぁ御嶽のある知念半島まで一望できる高台にあります。

勝連城は、14世紀初頭に築城されたとされているグスクです。
歴代勝連按司によって収められてきたグスクでしたが、10代城主であった按司の阿麻和利が治めていたことで有名なグスクでしょう。

この阿麻和利ですが、9代城主茂知附按司の家臣でした。
茂知附按司が圧政で民衆を統治していたこともあり、クーデターを起こして茂知附按司を殺害。
その後、10代目城主として勝連城を中心にこの地域を統治していきます。
海外との貿易などによって力をつけた阿麻和利は、中城城にいた阿麻和利にとっては義理の祖父である護佐丸を倒します。
勢いをそのままに、第一尚氏時代の琉球王国の王、尚泰久王(こちらも阿麻和利の義理の父にあたる)を倒すことで琉球の統一を行おうと首里城を攻めますが、逆に大敗し1458年に滅ぼされます。
これ以降、首里城を中心とした琉球王国の政治基盤は安定することとなりました。

アクセス

那覇空港からは北東へ約40km、勝連半島(与勝半島)の付け根のあたりにあります。

勝連城へ行ってみた

それでは勝連城へ行ってみましょう。

西原御門

勝連城につくとまず目につくのが西原御門です。
現在は石垣は崩れてしまっていますが、往時にはここは石垣の城壁で囲まれており、門があったのだそうです。

四の曲輪

それでは城内に入っていきましょう。
西原御門を超えるとすぐそこは四の曲輪です。

この石碑からの勝連城の全景が、非常に青空に映えます。

四の曲輪ですが、ここの東側は東の曲輪となります。

南風原御門

四の曲輪の一番奥には海に面して南風原御門跡があります。
こちらも城壁の石垣は崩れてしまっています。

ウタミシガー

ウタミシガーは、井戸だといわれているところです。
旧正月の元旦に、この井戸の水量を見て作物の豊作を占っていたのだそうです。

では、いよいよ上っていきましょう。

三の曲輪へ

三の曲輪に向かっては、ぐるっと階段が連なっています。

上から見下ろした四の曲輪です。

三の曲輪城門(四脚門)

四の曲輪から石畳道を登っていくと、三の曲輪城門および三の曲輪に到着します。
この三の曲輪の入口にはかつて門があったとされる、礎石と、壁にはほぞ穴というくぼみがありました。
これらの発掘結果から、ここには四本の柱で屋根を支える形の四脚門があったと考えられています。

またこの城門脇では、幼児の人骨がおりまがった状態で葬られているのが発見されています。
なぜ城壁に接するこの場所に葬られたのかは、まだ解明されていません。

二の曲輪

こちらは二の曲輪を一の曲輪より見下ろしたところになります。
二の曲輪には17m×14.5mもの大きさを誇る電車跡が発見されており、その礎石が残っています。
勝連城では最も大きな建物であると考えられており、城主などが住まう最も重要な場所だったのではないかと考えられています。

ウミチムン(火の神)

二の曲輪に残るウミチムンは、三個のかまど石を意味しており、台所であったと考えられているところです。
台所と言えば調理に用いる火。
そのため、ここは火の神が祀られているところとなります。

ウシヌジガマ

二の曲輪に残るウシヌジガマは、自然にできた洞穴であり、天災や戦などの時に当時の人々はここに身を潜めていたと考えられています。
ウシヌジとは、その場所の通り、的に攻められて危険な時に身をしのぐ場所という意味があるのだそうです。

一の曲輪への階段

一の曲輪への階段は勝連城が攻め込まれた際の最終防衛ラインでした。
そのため、現在は木製の階段がつけられておりますが、石畳のスロープ状になっており、下から上に上るにつれて階段が狭まるようになっています。

側面から攻撃できるような仕組みなど、少ない兵力で戦うことができる工夫が至る所に施されています。

一の曲輪近くになってくると、かなり道が細くなっているのが分かるでしょうか。

一の曲輪

一の曲輪は、もともとあった大きな岩盤を削り平坦にしたところに瓦葺の建物が多く建てられていたことが分かっています。
出入り口部分には、現在は残されていませんが、華やかな装飾を施したアーチ門があったのではないかと思われる一部分が発見されているのだそうです。

遠く向こうには軍艦らしきものが見えました。

玉ノミウヂ御嶽(うたき)

玉ノミウヂ御嶽は、当時の権力者であった按司の守り神を祀った拝所跡です。

ここに残る大きな石は、勝連を守る御神体である霊石です。
ここがグスクとして使われていた時代には、建物の基礎として利用されていたとされていたと考えられており、宝物殿のような建物があったのではないかということです。

1458年に勝連城が滅ぼされた後に、拝所として利用されていたのだそうです。

スタンプは勝連城前にある勝連城跡休憩所にあります。
お忘れなく。

いかがだったでしょうか。
沖縄に数あるグスクの中でも、城と風景とのコントラストや、グスクから眺める日の出や夕日。
眼前に限りなく広がるオーシャンビューなど、沖縄が培ってきた風景を堪能できる穴場スポットではないでしょうか。
周囲には、海中道路や伊計島などの注目スポットも集まっている場所であるため、ぜひ訪れる際には勝連城にも立ち寄ってみてください。

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