461【ウズベキスタン紀行】ブハラで見つけた巨大な城郭。日本の城にも通じるものを感じる『アルク城』

世界の世界遺産(World Heritage)
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イスラム教徒が大多数のウズベキスタン。
そんなウズベキスタン中部の世界遺産の町ブハラには、数多くのイスラム教にちなんだ建造物があります。
モスクはもちろん、神学校であったメドレセや、訪れてきた教徒たちが泊をするするためのハナカなど、数多くの建物を目にします。

ところが、そんなブハラの中心地を外れた、街の北西に、それまで見てきた建物とは全く雰囲気の異なる城砦が残されています。
この一角だけが城壁に囲まれており、同じくウズベキスタンのヒヴァのような雰囲気もあるのですが、その中は一部は復旧されているものの、大部分は崩れ去った石の平原のようになっています。
ここはアルク城といい、ブハラで唯一の城砦の遺跡です。
かなりの大きさを誇るこのアルク城ですが、これだけ大きいのであればブハラの中心になってもいいようなものの、現在はどちらかというと街の外れでひっそりとしているような感じがしました。
この巨大な城塞は一体何だったのか。
そして、今はこれほどさびれてしまっているのはなぜなのか。
実際に見に行ってみましょう。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • ブハラの街の端でひっそりと、しかし暗く怪しい雰囲気を放つアルク城とは何なのか。

ウズベキスタンに関する記事です。

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アルク城

アルク城は、古くは紀元前4世紀ごろからこの地に存在していたといわれている、古代ブハラ発祥の地に立つ城砦です。
約4ヘクタールもある広大な城域のアルク城は、16世紀から20世紀にかけてこの地を治めていたブハラ・ハン国の歴代ハンの居城でした。
歴代ブハラ・ハン国のハンは歴代圧政であったらしく、このアルク城の城前では、ハンに対して抵抗する市民たちがたくさん公開処刑と称して首が斬り落とされたと伝えられる、かなり血なまぐさい場所でもあります。
また、場内でも過去の戦乱で多くの虐殺があったりしたなど、その歴史をさかのぼっていくと、暗い出来事のオンパレードだったりします。

現在残っているアルク城の遺跡はそんな2000年以上の歴史のあるものではなく、18世紀に建てられたものです。
2000年以上の歴史があるにもかかわらず、なぜそんな新しい年代の物なのかというと、歴史的に数多くの戦乱に巻き込まれてきたブハラ後にあったアルク城は、これまでにも幾度となく外敵によって破壊され、その都度立て直しをし続けてきた城なのでした。

7世紀ごろには、当時の女王フッタ・ハウトンがこのアルク城を拠点としてアラブ軍とたたかいました。
また13世紀には、拡大を続けるチンギス・ハン率いるモンゴル軍に対して、多くの住民がアルク城に立てこもりましたが、結果的にモンゴル軍によって虐殺しつくされ、アルク城自体も破壊されつくしました。
その後も何度となく破壊と再建を繰り返しましたが、1920年にソ連軍による爆撃によって崩壊され、現在のように18世紀に建てられた建物の一部のみが残るような状態になったのだそうです。

アルク城はその広い城内に町を形成する造りになっていました。
十字のメインストリートを中心に、王族の住居や政務を行う部屋があるだけでhなか卯、官公庁や職人たちの工房や監獄までもが置かれていました。
現在、アルク城を上空写真から見てみると、西側のほんの一部だけが内部の建物が残っており、それ以外の敷地内は全て石造りの部分のみが残っているのみです。
ソ連軍による破壊の激しさが分かりますね。

その残された一部分を現在は見学することができるようになっています。
内部は博物館のようになっており、アルク城やこの地域の歴史が分かるように運営されています。

内部に入ると、門の入口の城壁の中に小さな小部屋があることがわかります。
これは監獄であり、多くの囚人が収容されていました。
現在もその様子が人形で表されています。
更に中には、玉座の間やハンの部屋、ジュマ・モスク等の建物が残されています。

アクセス

ブハラの中心にあるラビハウズから道なりに1.2kmほど北西に行ったところにあります。

アルク城へ行ってみた

それでは、アルク城へ行ってみましょう。

アルク城の入口は西側に向かってあるため、ブハラの中心からアルク城に向かうとまずはこのような巨大な城壁が見えてくることでしょう。

かなりの大きさのある城です。
城壁から突き出ている無数の杭は、建造時に足場にしたところなのだそうです。
しかし、足場を残しておいては、敵方の侵入を容易に許してしまうのではないでしょうか?

アルク城の入口が見えてきました。
このあたりが数多くの公開処刑が行われていた、レギスタン広場でしょうか。

それで入っていきましょう。

この入り口を入ってすぐ左側には、監獄跡が残されています。

こちらの小さな窓の中が監獄になっており、当時の囚人の様子が人形で表されていました。

内部に入ってすぐにある広場の右手にはジュマ・モスクがあります。

中には物売りがちらほらといます。

そして、広場の中央を見てみると、玉座の間になっています。

ここにはハンの衣装が置かれており、記念撮影をすることができます。

さらに場内を歩いてきたいと思います。

城内は一部ですがが18世紀の建造物が残っています。
自由に見学することができます。

こちらの建物は博物館になっています。

そして、忘れてはいけない光景がこちらです。
現在アルク城で入ることができる部分は西側のほんの一部です。
それ以外の敷地部分は全てこのような石造りの跡だけが残っています。
これがソ連から攻撃を受け壊滅状態になってしまった戦乱の跡なのです。

城壁から街並みを見下ろしてみました。
こちらは民家のようで、大きな建物などはありませんでした。

いかがだったでしょうか。
ブハラの街の中でかなり異色の建物ではないでしょうか。
城好きとしては日本の城と比較しながら見学をすることができたので大満足な場所でした。
ここを見学し、その歴史を知っていくと、中央アジアがいかに多くの国同士の争いの渦中にさらされた歴史の連続であったかが伝わってきました。