468【韓国紀行】600年の歴史を持つ李氏朝鮮時代の王宮『宗廟・昌慶宮・昌徳宮』

世界の世界遺産(World Heritage)
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今回は当ブログで初めて韓国の話題を取り上げたいと思います。
韓国の首都ソウル中心部を流れる漢江の北側。
そこには、かつて朝鮮半島を治めていた李氏朝鮮王朝時代の政治の中心であったソウル城郭エリアがあります。
ここはかつて初代国王の太祖によって李氏朝鮮王朝建国の際に建設された漢陽都城と呼ばれる城壁です。
600年以上も歴史のあるものであるためとぎれとぎれになってきてはいますが、それでもまだかなりの部分が残っている1周18km以上もある城壁です。

その中心に、国王によって政務が執り行われていた宮殿をはじめとする建造物が残されています。
その一つが、歴代国王の位牌を祀る宗廟、歴代国王によって設けられた宮殿である昌慶宮、国王が政務を執り行った昌徳宮、の3つを紹介したいと思います。
特にこの中でも、宗廟と昌徳宮の二つはそれぞれ1995年及び1997年に世界文化遺産に登録された場所でもあります。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 韓国の大都市ソウル。そこに残るかつての城壁と、それらに守られる宮殿群。李氏朝鮮王朝時代の史跡をめぐってみよう。

宗廟・昌慶宮・昌徳宮

ソウルの古宮エリアには世界遺産の宗廟そして昌徳宮を中心に、多くの史跡が残されています。
これらの史跡は、かつて李氏朝鮮王朝時代に活用されていた宮殿などの建物なのです。

今回はその中でも、歴代国王の位牌が祀られている『宗廟』、
歴代国王によって設けられ少しずつその規模を広げてきた宮殿『昌慶宮』、
かつては正宮であった景福宮の離宮として建てられたものの、後の世に正宮となり、王朝の政務や儀式などが執り行われた場所である『昌徳宮』、
の3つを取り上げていきたいと思います。

宗廟(チョンミョ)

宗廟は、李氏朝鮮王朝時代の王と王妃の位牌を祀っている廟です。
李氏朝鮮王朝時代にはこの場所で国王自らが祖先に対する祭祀を行っていました。

正門

敷地内南側に正門があります。
こちらから入ります。

香大庁(ヒョンデチョン)

正門を入り北上すると、すぐに右手の方に香大庁が見えてきます。

ここは祭礼の準備をする建物であり、祭祀を行う官吏の待機所でもありました。
また、それ以外には望廟楼という王の休息所だったり、高麗の王を祀っている神堂などがあったりします。
これらも文禄の役・慶長の役で焼失してしまったらしいですが、その後再建されています。

斎宮(チェグン)

正殿の手前には斎宮があります。
ここは祭祀の前に身を清めるための場所であり、王が祭祀を行うにあたって沐浴を行い、例服に着替える場でした。

正殿(チョンジョン)(太廟)

正殿は、1395年に李氏朝鮮王朝の創始者である太祖によって建造されました。
左右役100mもの幅がある正殿は、19室の部屋に分かれており、それぞれの部屋に歴代国王の位牌が置かれています。
こちらには、初代国王の太祖ををはじめ、歴代王で特に功績のあった王と王妃の以外が祀られているのだそうです。
なお、正殿が横長になっているのは、位牌が増えるたびに左右に拡張していったのだからだそうです。

こちらも、文禄の役によって焼失してしまった後に、1608年に再建されたものです。

永寧殿(ヨンニョンジョン)

正殿をさらに北上すると永寧殿があります。
こちらは正殿から遅れること約25年、1421年に第4代王の世宗によって建てられました。
世宗が宗廟に位牌を祀る際に、祀るための太室が不足したために建てられた別廟です。
正殿には祀られなかった国王や国王の父が祀られており、初代王の太祖の父・祖父・曾祖父・高祖父も永寧殿が建てられた際にこちらに移され祀られています。

正殿と同じく、文禄の役によって焼失してしまった後に再建されたものです。

昌慶宮(チャンギョングン)

宗廟から北上し、昌慶宮へ移動します。
昌慶宮は、最後に紹介する昌徳宮の東側にある宮殿です。

15世紀初頭、宗廟にある永寧殿と同じく第4代王であった世宗が、退位した先代の太宗のために建てました。
当初の名称は寿康宮でしたが、その後は、敷地内の宮殿の規模を広げ、昌慶宮という名前に改称されました。

昌慶宮は、豊臣秀吉勢力との戦いであった文禄の役と慶長の役で全ての建物が焼失してしまいました。
1616年に第15代王の光海君によって再建されましたが、19世紀初頭に大火災によってその大部分が焼失します。
その後は1834年に大部分が再建されました。

第27代王純宗(大韓帝国2代王)の時代に、敷地内に動物園・植物園などが作られ一般人に公開されるようになります。
また、日本統治時代には博物館が新たに作られ、昌慶苑として格下げされた過去を持ちます。

その後、朝鮮戦争などで荒廃していたものの、1980年代に現在のように再建されています。

弘化門

最初に見えてくるのは弘化門です。

昌慶宮の正門である弘化門は、1484年に朝鮮王朝第9代成宗王の時代に建てられたものですが、その後、文禄の役と慶長の役で焼失してしまいました。

現在こちらに建つ弘化門は、1616年の第15代光海君王の時代に再建されたものです。

弘化門から敷地内入ると、眼前には一回り大きな門である明政門が見えてきます。
(上の写真は敷地内から弘化門を振り返って見たところです。)

明政門と明政殿

明政門と、昌慶宮の正殿である明政殿です。
明政殿は第9代王の成宗の時代、1484年に造られました。
ところがこちらも文禄の役と慶長の役で焼失してしまいましたが、弘化門と共に1616年に再建されています。
明政殿はその時に再建されたものが保存されています。

迎春軒と集福軒

迎春軒は第22代王の正祖の住居でした。
また、集福軒はその迎春軒の回廊の部分になります。
1830年に焼失していますが、その後すぐに再建されています。

成宗胎室碑

成宗胎室碑は、第9代王の成宗の胎盤とへその緒が祀られている胎室です。

通明殿

こちらは正殿北西にある通明殿です。
王妃の生活空間だった場所でした。

昌徳宮(チャンドックン)

それでは次に、昌慶宮の西側に隣接している昌徳宮に行ってみましょう。

昌徳宮は、1405年に第3代王の太宗によって景福宮の離宮として建てられました。
こちらも1592年の文禄の役の時に焼失してしまいますが、1623年に再建され、そこからは李氏朝鮮王朝の正宮として250年間利用されました

敦化門(トヌァムン)

敦化門は、昌徳宮の正門です。
元々は1412年に建てられたものでしたが、現在残っているものは1609年に再建されたものです。

進善門

敦化門から入り、すぐ右手にあるのが進善門です。

仁政堂(インジョンジョン)

仁政殿は重要な公式行事が行われた昌徳宮の正殿です。
ここでは、国王の即位式や、外国の使節団との接見などが行われる重要な場所です。
現存している仁政殿は,1803年に第27代王の純祖によって再建されたものです。

大造殿(テジョジョン)

大造殿は王妃が生活していた場所です。1917年に焼失していましたが、景福宮から建物が移築されて現在に至るそうです。

後苑(フウォン)

敷地内北側には後苑という庭園が広がっています。
もともとの自然の地形を生かした広大な庭園は、王族たちの憩いの場であったようです。

いかがだったでしょうか。
ソウルという韓国を代表する都市にあり、歴史的に数々の戦乱をくぐり抜けてきた史跡の数々。
何度も再建や改修を繰り返し、現代までその姿を受け継いできた人々の思いには感服させられます。
今回紹介したこの3ヶ所は非常に隣接しているため、全て合わせて見て回ることができますよ。