470【ウズベキスタン紀行】力ずくで造られたとの伝説もある、メドレセやハナカに囲まれた街中のオアシス『ラビハウズとその周辺』

世界の世界遺産(World Heritage)
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ウズベキスタンの世界遺産ブハラ旧市街地
多くの観光者を迎えるこの都市ですが、観光者の宿泊地は、地域の東部及び南東部に多くあります。
そのため、観光ルートとしては、南東から西に向かい、タキを経由して北西に向かっていくことになるでしょう。

そんなブハラ観光でホテルを出発して最初の起点になるのが、この巨大な人工池であるラビハウズではないでしょうか。
まずこの周囲には有名なメドレセやハナカなどが建ち並んでいます。
ラビハウズの周囲をまずは観光した後、西のタキやさらに北に行ったところにあるカラーン・モスクやアルク城のあたりへと進んでいくことになるでしょう。
また、一通り観光を終えた後は、このラビハウズの周辺の木陰の下で一休みなどもよいですね。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 伝説では、なかなか強引なところのある場所ではあるものの、それを感じさせないほどゆったりとした空間を提供してくれるラビハウズへ行ってみよう。

ウズベキスタンに関する記事です。

498【ウズベキスタン紀行】泉が湧き出た伝説が残り、今もなお水が湧き出続けている『チャシュマ・アイユブ』
様々な建造物の残るブハラの町の北西端には、丸い屋根のドームや円錐形のドーム、それが一つの建物の上に立ち並ぶアンバランスな建物が見えてきます。ここは、チャシュマ・アイユブという建物であり、預言者ヨブの伝説が残る場所なのです。
492【ウズベキスタン紀行】モンゴル来襲で破壊されず、9世紀建造のまま残るサーマーン朝の霊廟『イスマイール・サーマーニ廟』
これまでにブハラの建造物をたくさん紹介してきましたが、そのほとんどが13世紀のモンゴル軍の来襲によって破壊しつくされてしまっています。しかし、そのような中で今回紹介しているイスマイール・サーマーニ廟は破壊を免れ、今も9世紀ごろに造られたままの姿で残る、中央アジアで最古のイスラム建築なのです。
485【ウズベキスタン紀行】ブハラの支配者の権威の象徴であり、死の塔とも呼ばれる『カラーン・ミナレット』
ブハラの町にあるカラーン・ミナレットは、約900年近い歴史を持ち、大きな戦禍や地震に見舞われながらも倒壊することなく、現在までその姿を残しているブハラの町の建造物の中では稀有な建造物なのです。ところがこのカラーン・ミナレットですが、『死の塔』という別名があるのです。
477【ウズベキスタン紀行】ブハラにて、20世紀前半に発掘されるまで深い砂の中に埋もれていた『マゴキ・アッタリ・モスク』
これまでブハラにある建造物では、メドレセ(神学校)や、それに付随する建物を中心に紹介してきましたが、イスラム教国家であるウズベキスタン。もちろんモスクも多数存在します。そんなモスクの中で今回紹介するのが、マゴキ・アッタリ・モスクです。
474【ウズベキスタン紀行】サマルカンドを代表する場所であり、謁見の儀式や処刑なども行われていた『レギスタン広場』
かつては、シルクロードの主要な道路の交差点として数多くの隊商が行き交い、活気あふれる場所だったこのレギスタン広場。政治や経済、そして人々の文化の中心でもあったこの場所は、今もなお数多くの人が集まり、当時の輝きが残り続ける場所です。
467【ウズベキスタン紀行】ヒヴァで最も高く、一般の観光者も登ることができるミナレット『イスラーム・ホジャ・ミナレット』
今回紹介しているイスラーム・ホジャ・ミナレットは、ヒヴァの中でシンボル的な建物の一つであり、高くそびえるその姿遠くからも見えることでしょう。どこからもその姿を見ることができるとなると、このミナレットから生活のある世界遺産ヒヴァの全貌を上空から眺めることができてしまうスポットなのです。
464【ウズベキスタン紀行】スザニで有名な砂漠のバザール。しかし、ここでゆっくりと買い物をするのは至難の業『ウルグット』
ウズベキスタンに訪れたからには、制作された地方ごとにその柄にもいろいろな種類があるスザニを、いろいろと見比べながら購入してみたいとは思いませんか?あるんです。それが今回紹介しているウルグットのスザニバザールなのです。
458【ウズベキスタン紀行】サマルカンドにあるティムールとその家族の霊廟『アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)』
今回紹介しているアムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)は、その名の通りティムールを葬っている廟です。ティムールはモンゴル軍によって破壊しつくされたサマルカンドを復興させよみがえらせたのが英雄でした。現在のサマルカンドに残る建造物のほとんどは、このティムール以降の物なのです。
316【ウズベキスタン紀行】砂漠の中にあるヒヴァ・ハン国の首都『ヒヴァのイチャン・カラ』
巨大な砂漠に囲まれたヒヴァは、元はヒヴァ・ハン国の中心だった都市です。都市全体が博物館都市として世界遺産に登録されているヒヴァですが、今もその都市の中心であるイチャン・カラには、歴史的な建造物が立ち並ぶとともに、人々の生活も見ることができる街なのです。
227【ウズベキスタン紀行】首都なんてこんなもんか!?旅人がスルーする?独特の雰囲気『タシケント』
ウズベキスタンの首都タシケント。ここは、古くはシルクロード、砂漠地帯のオアシスにある中継都市として、東西から多くのものが集まる物流の中心地として発展していました。現在でも、ウズベキスタン国内最大の商都なのですが、いざこのタシケントに踏み込んでみると・・・!?
082【ウズベキスタン紀行】旅に慣れてきたころが注意時 だまされるだろうなと思ったら案の定だったブハラの町
ウズベキスタンのブハラは、乾燥地帯の中のオアシスに作られた都市です。歴史ある建物も多く、ヒヴァやサマルカンドとはまた違った趣のある街です。観光するにも比較的安全な地域ではありますが、やはり旅人としては最低限気を付けなければいけなことはあるのです。
069【ウズベキスタン紀行】旅人が集まるサマルカンドのB&Bバハディールの3日間
ウズベキスタンのサマルカンド。有名なレギスタン広場の近くに、世界各国から旅人の集まる宿があります。B&Bバハディール。ここでの体験は、その後、いろいろな国に行きたくなるきっかけにつながっていきました。そんなお宿について今日は紹介していきたいと思います。
022 【ウズベキスタン紀行】シャフリサブス歴史地区は、世界遺産登録でテンション上がりすぎて危機遺産
数々の世界遺産が残される中央アジアの国『ウズベキスタン』この国の中でも、少し行きにくい世界遺産を紹介。しかし、行きにくい理由はその立地だけではなく・・・。

ラビハウズ

ラビハウズは、ウズベキスタンの世界文化遺産であるブハラ旧市街地の中心部に位置する大きな池です。
こちらは、後述するナディール・ディヴァンベギ・ハナカ、クカリダシュ・メドレセ、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセという大きなイスラム教建造物に囲まれた人口的に作られた池です。

この大きな人口の池ができた経緯には伝説が残されています。
ブハラの王であったアブドゥールアジス・ハンの大臣であったナディール・ディヴァンベギは、現在のラビハウズがあるこの場所にここに大きな池を造ろうと考えます。
しかし、この土地は元々はユダヤ人女性が所有している土地でした。
大臣は土地を譲ってもらえるよう頼みこみますが、女性は頑なに断り続けます。
しびれを切らした大臣は、彼女の家の下に運河を通させ、結果的にその運河によって家を流してしまったのです。
結果的に彼女は土地を手放さざるを得ず、その後1620年にここにできたラビハウズは、“力ずくのハウズ(池)”と呼ばれていたのだそうです。

そうして作られたラビハウズは、周囲を大きな石を用いて整備されており、人々がここから水を汲んだり、ここで洗濯がしやすいような石段上になっています。
周辺には樹木が生い茂り、木陰で休息する地元の人々の姿を多く見ることができます。

このラビハウズを囲うようにイスラム教建造物が建ち並んでいます。
西側にはあるのがナディール・ディヴァンベギ・ハナカであり、イスラム教徒の宿坊です。
ラビハウズ北側にあるのが、クカリダシュ・メドレセであり、ブハラでもっとも大きなメドレセ(神学校)です。
また、東側にあるのがナディール・ディヴァンベギ・メドレセでありこちらも神学校です。

アクセス

ブハラ旧市街中心部あたりにあります。

ラビハウズとその周辺へ行ってみた

それでは、ラビハウズとその周辺へ行ってみましょう。

こちらがラビハウズです。
400年以上の歴史のある、人工池です。

池の周囲は石段になっており、水をくんだり、洗濯をしたりと、人々の生活の場として利用できるような作りになっています。

では、その周囲にはどのような建物があるのでしょうか。

ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ

こちらははラビハウズの西側に立つナディール・ディヴァンベギ・ハナカです。
ハナカとはイスラム教の修験者たちの宿坊であり、礼拝や儀式なども行われた場所でした。
1620年に大臣であったナディール・ディヴァンベギによって建てられたナディール・ディヴァンベギ・ハナカですが、現在内部の公開は行われていません。。

北側から見たところです。

クカリダシュ・メドレセ

こちらは、ラビハウズ北側にあるクカリダシュ・メドレセです。
80m×60mもの広さを持を、ブハラでもっとも大きなメドレセ(神学校)です
このメドレセは、16世紀に当時のアブドラ・ハンが建てられたものです。

全部で160室のフジュラ(学生の宿泊部屋)があり、総勢300人以上の学生が住み込む学生寮だったのだそうです。
現在はメドレセではあるものの、各部屋が民族工芸の攻防となっています。
それぞれの部屋の中では、職人たちが作業している様子を見学することができ、お土産も買うことができます。
また、博物館になっている部屋もあり、神学校時代の学生部屋が再現されています。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ

最後に、ラビハウズの東側に建つのがナディール・ディヴァンベギ・メドレセです。
こちらも、1622年に大臣であったナディール・ディヴァンベギによって隊商たちの宿泊施設(キャラバンサライ)として建てられましたが、完成直後にはメドレセとして完成を迎えてい。
こちらのメドレセの特徴は何といっても正面入り口のタイルによって描かれた色鮮やかな絵です。
2羽の鳳凰がそれぞれれ白い鹿をつかみ、中央にある顔の描かれている太陽に向かって飛んでいこうとしている様子が描かれています。

しかし、イスラム教では偶像崇拝は禁止されているため、顔があるということはイスラム教の教義に反しているのですが、元々はキャラバンサライとして建てられたために、このようなことが起きたのだと言い伝えられています。

いかがだったでしょうか。
ブハラ旧市街でも中心地であるラビハウズの周囲には、観光客に向けた施設も数多く建ち並んでいます。
メドレセの建物を生かして、工房になっていたりするように、ブハラの歴史を感じられるとともに、今のブハラの息遣いも感じることができる場所なのです。
ブハラ観光は、ここからスタートですね。