474【ウズベキスタン紀行】サマルカンドを代表する場所であり、謁見の儀式や処刑なども行われていた『レギスタン広場』

世界の世界遺産(World Heritage)
この記事は約6分で読めます。

ウズベキスタンのサマルカンドには、ウズベキスタンを代表するサマルカンド・ブルーがまぶしい、3つのメドレセに囲まれた広場があります。
この広場をレギスタン広場といい、ウズベキスタンが紹介される時には代表的にその写真などが使われる場所です。
かつては、シルクロードの主要な道路の交差点として数多くの隊商が行き交い、活気あふれる場所だったこのレギスタン広場。
政治や経済、そして人々の文化の中心でもあったこの場所は、今もなお数多くの人が集まり、当時の輝きが残り続ける場所です。

そんなレギスタン広場ですが、今もなお数多くのイベントなどもここで行われています。
2011年にサマルカンドに訪れた際には、このレギスタン広場ではちょうど大規模なイベントの準備の最中でした。
そのイベントとはシャルク・タロナラル(東洋音楽祭)であり、数多くの機材が設営されている最中でした。
しかし、こういったレギスタン広場の姿もかえって貴重なのでは?と思えるような写真を使って、レギスタン広場を紹介しています。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • サマルカンドの代表的な広場、レギスタン広場。しかも、2年に一度の大規模なイベント中のレギスタン広場を見てみよう。

ウズベキスタンに関する記事です。

489【ウズベキスタン紀行】ティムールの妻の名をつけられた巨大なモスク。しかし、その行く末は巨大帝国そのものの行く末を暗示していた『ビービー・ハーヌム・モスク』
サマルカンドに残るビービー・ハーヌム・モスクについてです。ウズベキスタンでは最大級であるこのモスクは、何度も名前の出てきている英雄ティムールによって造られました。時の権力者が、いかに大きな力を持っていたかを表すかの如くの建物ですよね。しかし、いかに大きな権力を持って、人々を動かそうとしても、やはり限界はあるものです。
482【ウズベキスタン紀行】古代サマルカンドの中心地アフラシャブの丘に建つ霊廟群『シャーヒズィンダ廟群』
シャーヒズィンダ廟群はそんなティムールに縁のある人々が多数葬られている場所なのです。ティムールの親族の人々だけではなく、部下であった将軍とその関係の者、ティムール朝で重要だった学者などの廟もここには集められているのです。
470【ウズベキスタン紀行】力ずくで造られたとの伝説もある、メドレセやハナカに囲まれた街中のオアシス『ラビハウズとその周辺』
ブハラ観光でホテルを出発して最初の起点になるのが、この巨大な人工池であるラビハウズではないでしょうか。まずこの周囲には有名なメドレセやハナカなどが建ち並んでいます。ここから西のタキやさらに北に行ったところにあるカラーン・モスクやアルク城のあたりへと進んでいくことになるでしょう。
467【ウズベキスタン紀行】ヒヴァで最も高く、一般の観光者も登ることができるミナレット『イスラーム・ホジャ・ミナレット』
今回紹介しているイスラーム・ホジャ・ミナレットは、ヒヴァの中でシンボル的な建物の一つであり、高くそびえるその姿遠くからも見えることでしょう。どこからもその姿を見ることができるとなると、このミナレットから生活のある世界遺産ヒヴァの全貌を上空から眺めることができてしまうスポットなのです。
464【ウズベキスタン紀行】スザニで有名な砂漠のバザール。しかし、ここでゆっくりと買い物をするのは至難の業『ウルグット』
ウズベキスタンに訪れたからには、制作された地方ごとにその柄にもいろいろな種類があるスザニを、いろいろと見比べながら購入してみたいとは思いませんか?あるんです。それが今回紹介しているウルグットのスザニバザールなのです。
458【ウズベキスタン紀行】サマルカンドにあるティムールとその家族の霊廟『アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)』
今回紹介しているアムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)は、その名の通りティムールを葬っている廟です。ティムールはモンゴル軍によって破壊しつくされたサマルカンドを復興させよみがえらせたのが英雄でした。現在のサマルカンドに残る建造物のほとんどは、このティムール以降の物なのです。
316【ウズベキスタン紀行】砂漠の中にあるヒヴァ・ハン国の首都『ヒヴァのイチャン・カラ』
巨大な砂漠に囲まれたヒヴァは、元はヒヴァ・ハン国の中心だった都市です。都市全体が博物館都市として世界遺産に登録されているヒヴァですが、今もその都市の中心であるイチャン・カラには、歴史的な建造物が立ち並ぶとともに、人々の生活も見ることができる街なのです。
227【ウズベキスタン紀行】首都なんてこんなもんか!?旅人がスルーする?独特の雰囲気『タシケント』
ウズベキスタンの首都タシケント。ここは、古くはシルクロード、砂漠地帯のオアシスにある中継都市として、東西から多くのものが集まる物流の中心地として発展していました。現在でも、ウズベキスタン国内最大の商都なのですが、いざこのタシケントに踏み込んでみると・・・!?
082【ウズベキスタン紀行】旅に慣れてきたころが注意時 だまされるだろうなと思ったら案の定だったブハラの町
ウズベキスタンのブハラは、乾燥地帯の中のオアシスに作られた都市です。歴史ある建物も多く、ヒヴァやサマルカンドとはまた違った趣のある街です。観光するにも比較的安全な地域ではありますが、やはり旅人としては最低限気を付けなければいけなことはあるのです。
069【ウズベキスタン紀行】旅人が集まるサマルカンドのB&Bバハディールの3日間
ウズベキスタンのサマルカンド。有名なレギスタン広場の近くに、世界各国から旅人の集まる宿があります。B&Bバハディール。ここでの体験は、その後、いろいろな国に行きたくなるきっかけにつながっていきました。そんなお宿について今日は紹介していきたいと思います。
022 【ウズベキスタン紀行】シャフリサブス歴史地区は、世界遺産登録でテンション上がりすぎて危機遺産
数々の世界遺産が残される中央アジアの国『ウズベキスタン』この国の中でも、少し行きにくい世界遺産を紹介。しかし、行きにくい理由はその立地だけではなく・・・。

レギスタン広場

ウズベキスタンのサマルカンドは、2001年に『サマルカンド‐文化交差路』として世界遺産に登録されている、ウズベキスタン第二の大都市です。
もともとのサマルカンドの中心部は、現在のサマルカンド中心部から見て北東にあるアフラシャブの丘で発展していたシルクロードに栄える商業都市でした。
しかし、このサマルカンドの街は13世紀にチンギス・ハン率いるモンゴル軍による侵攻を受け、徹底的に破壊され廃墟と化してしまいます。
その後、荒廃していたサマルカンドは、英雄ティムールによって、世界一美しい都を目ざして再建されます。

都市を新たに再建していくため、ティムールは地震が遠征した先から数々の技術者や芸術家などをサマルカンドに連れ帰り、街や文化を新たに築きなおしていきます。
新しく築かれたサマルカンドは、鮮やかなエメラルドブルーのサマルカンド・ブルー色のタイルを用いられた建物が建ち並び、『青の都』としてその栄華を極めていきます。
そして、その中心として設けられたのが今回紹介しているレギスタン広場なのです。
このレギスタン広場は、サマルカンドを通るシルクロードの主要な道路の交差点に位置し、政治や経済、文化の中心として活用されていました。
そこでは、東西から多くの商人たちが行き交い、大規模なバザールも開かれるなど、活気あふれる広場でした。
また、一般の人々の公共の場でもあるとともに、王族との謁見式や罪人の公開処刑なども行われていました。

レギスタン広場が現在の姿になったのは17世紀代になります。
サマルカンドを再建したティムールの時代には、現在のレギスタン広場中央に巨大なバザールであるトゥマンアカ・ティムが建てられた。
15世紀となりティムールの孫のウルグベク時代になると、現在のレギスタン広場の西側の位置に神学校であるウルグベク・メドレセを、現在の広場東側にあるシェルドル・メドレセの場所にイスラム教徒の宿坊でもあるハナカを設けました。
また、広場の北にあるティラカリ・メドレセの場所には、隊商たちの宿であったキャラバンサライが建てられ、広場の南にはモスクが建てられました。

その後、17世紀になると、ヤラングトシュ・バハドールによって東のハナカの場所にシェルドル・メドレセを、北のキャラバンサライの場所にティラカリ・メドレセが建てられました。
レギスタンという言葉が砂地を表しているように、19世紀初頭には砂が堆積してしまった場所となっていましたが、ソ連時代に修復が行われ、2m以上も堆積していた砂が取り除かれ、現在の姿となります。

アクセス

サマルカンドの中心部にあります。

レギスタン広場へ行ってみた

それでは、レギスタン広場へ行ってみましょう。

レギスタン広場へとやってきました。
ちょうどこの時は シャルク・タロナラル(東洋音楽祭) という2年に一度の音楽祭のための設営が行われていたため、普段の荘厳なレギスタン広場ではない、少し珍しい様子を見ることができました。

①ウルグベク・メドレセ

ウルグベク・メドレセは、3つのメドレセの中では最も古い1420年に建てられてレギスタン広場西側に建つメドレセ(神学校)です。
ティムール朝4代目の王であったウルグベクは、王であるとともに天文学者でもあり、このメドレセで教壇に立ったともいわれています。
ウルグベクは広場の北側に建てたキャラバンサライによって、メドレセでは働く教師の給料や学生の奨学金をまかなっていたといわれているほど、教育を重視した王でもありました。。
入口のアーチは35mもの高さがあり、青い星をモチーフにしたタイル模様が描かれています。

※こちらの像は現在は置かれていないようです。

②シェルドル・メドレセ

シェルドル・メドレセはレギスタン広場の東側に建つメドレセであり、ウルグベクの時代にはハナカであった場所に1636年に建てられました。
その姿は、対面にあるウルグベク・メドレセを模倣して造られたといわれており、その姿かたちは瓜二つの建物です。
シェルドルという言葉が、“ライオンが描かれた”という意味があるため、入り口のアーチには小鹿を追うライオンが描かれています。

③ティラカリ・メドレセ

ティラカリ・メドレセはレギスタン広場の東側に建つメドレセであり、元々はキャラバンサライのあった場所に1660年に建てられました。
ティラカリとは金箔の施されたという意味があり、大量の金箔が用いられている礼拝所を持つ荘厳な造りとなっています。
ウルグベク・メドレセを模倣してシェルドル・メドレセが造られたのとは異なり、ティラカリ・メドレセはかなり異なる外観で造られることで、3つの建物が調和を保つことができるように設計されています。
このメドレセには、建物内の西にある青のドームの場所に礼拝所があるため、サマルカンドの主要な礼拝所としても用いられていました。

いかがだったでしょうか。
サマルカンド観光はこのレギスタン広場を起点にしてみて回ることになるでしょう。
そして、ウズベキスタン観光の中でも最も青の映える美しい場所でもあります。
一説によると、ファイ○ル・ファ○タジー10の都市ザナルカンドはここがモデルとなっているという話もあります。
それを知っている人は、ザナルカンドと見比べながらサマルカンドを散策してみてもいいかもしれませんね。