477【ウズベキスタン紀行】ブハラにて、20世紀前半に発掘されるまで深い砂の中に埋もれていた『マゴキ・アッタリ・モスク』

世界の世界遺産(World Heritage)
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これまでブハラにある建造物では、メドレセ(神学校)や、それに付随する建物を中心に紹介してきました。
イスラム教国家であるウズベキスタン。もちろんモスクも多数存在します。
そんなモスクの中で今回紹介するのが、マゴキ・アッタリ・モスクです。
以前紹介したラビハウズの100m西側にあるこのモスクは、道路よりも一段低くなったところにあります。
そこからモスクの名前も来ており、マゴキという言葉は穴の中という意味です。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 穴の中という意味を持ち、長い期間砂の下に埋もれていたモスクを見に行ってみよう。

ウズベキスタンのブハラに関する記事です。

498【ウズベキスタン紀行】泉が湧き出た伝説が残り、今もなお水が湧き出続けている『チャシュマ・アイユブ』
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これまでにブハラの建造物をたくさん紹介してきましたが、そのほとんどが13世紀のモンゴル軍の来襲によって破壊しつくされてしまっています。しかし、そのような中で今回紹介しているイスマイール・サーマーニ廟は破壊を免れ、今も9世紀ごろに造られたままの姿で残る、中央アジアで最古のイスラム建築なのです。
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082【ウズベキスタン紀行】旅に慣れてきたころが注意時 だまされるだろうなと思ったら案の定だったブハラの町
ウズベキスタンのブハラは、乾燥地帯の中のオアシスに作られた都市です。歴史ある建物も多く、ヒヴァやサマルカンドとはまた違った趣のある街です。観光するにも比較的安全な地域ではありますが、やはり旅人としては最低限気を付けなければいけなことはあるのです。

マゴキ・アッタリ・モスク

ラビハウズから西側に100mほど進んだところに、砂の色をしたレンガで組まれた建物があります。
こちらはマゴキ・アッタリ・モスクといい、周辺の道路よりも5mほど掘り下げられたところにあるモスクです。
現在モスクの内部は博物館となっており、絨毯の展示が行われています。

実際遠くからだと埋もれているようなモスクなのですが、モスクの名前にもあるマゴキという言葉自体が穴の中という意味があります。
そしてさらに、この位置に設けられたこともあってか、長い期間砂の中に埋もれていたモスクでもありました。

この場所には、6世紀までは仏教寺院があり、その周囲はバザールがあったため、香辛料や絨毯など、様々な商品が売り買いされる活気あふれる場所でもありました。
ところが、9世紀になるとアラブの勢力によってブハラが支配されたのちには、ブハラを訪れるたくさんのムスリムの商人たちのために、礼拝堂としてマゴキ・アッタリ・モスクは建てられました。
その後は幾度か消失や破壊などを繰り返し、その都度再建されていたようでした。
ところが、13世紀に入るとチンギス・ハーン率いるモンゴル軍が中央アジア遠征を行い、ブハラをはじめサマルカンドやウルゲンチなど当時の主要都市が次々と征服されていきます。
そんなモンゴル軍による侵攻の際、人々はこのマゴキ・アッタリ・モスクを守るために砂の中に埋めてしまったのだそうです。

そこからこのマゴキ・アアッタリ・モスクは伝説として伝えられ続けますが、その存在は確認できないまま20世紀を迎えます。
そして、とうとう1936年にロシアの考古学者シシシュキンによって発見され掘り出されることになりました。

このモスクの外観を見ると三層に分かれていることがわかります。
その様子からは破壊された後に、その上に新しい建物が再建された様子がわかるのだそうです。

アクセス

ブハラの中心にある池、ラビハウズから西に100mほどの場所にあります。

マゴキ・アッタリ・モスクへ行ってみた

それでは、マゴキ・アッタリ・モスクへ行ってみましょう。

こちらは東側から見た道路側入り口です。
比較的綺麗な状態で残っています。
それでは、ここから一段下がったところに降りてみたいと思います。

このように階段を下ると、マゴキ・アッタリ・モスクの周囲が掘り下げられていることがわかります。

先ほどと反対側の西側から見たマゴキ・アッタリ・モスクです。

こちらが先程の場所から一段下がった場所になるのですが、長い期間砂に埋もれていたこともあるせいか、彫刻などをよく見てみると、結構劣化が激しいように思いました。

少しわかりにくいかもしれませんが、上の写真の、ちょうど中間あたりが周辺の道路の高さとなります。

こちらが入り口です。
よく見てみると基壇部分と上の建物部分が異なる造りになっているのがわかりますね。
一番下がレンガで造られた層。
その上にイスラムの模様が彫られた層があり、さらにその上にそれよりも後の年代に増築された層があるようです。

それでは内部に入ってみましょう。

外部に比べると、内部は比較的綺麗な状態ですね。

こちらは排水路(?)でしょうか。
もしくは、古い過去の建物時代の基礎部分でしょうか。
レンガ造りになっていることがわかります。
下段と上段が異なる造りになっていますね。

マゴキ・アッタリ・モスクは内部が絨毯博物館になっているため、このように絨毯の展示が行われ展示がされています。

礼拝所ですね。
絨毯が敷いてあり、今もムスリムの方々に使われているようです。

数々の絨毯がありますね。

マゴキ・アッタリ・モスク周辺はまだ発掘作業が続けられています。

マゴキ・アッタリ・モスクがモンゴル軍から守られるために砂の中に埋められたように、周辺にはまだまだ同様に埋められたモスクなどが埋められているのだそうです。
今後も丁寧に発掘作業が続けられ、新たな建造物が私たちの目の前に現れることもそう遠くはないのかもしれませんね。

いかがだったでしょうか。
歴史的な価値を守ろうと、砂の中にモスクを隠した当時の人々。
ブハラはその後大きな戦禍に巻き込まれることになり、多くの人々が命を落とすことになりました。
しかし、そういった人々の努力の甲斐があってか、今もなお当時の姿を残る建造物が残り続けています。
そういった、ブハラの歴史を感じながら、遺された遺跡の一つ一つを見ていきたいですね。