480【タイ紀行】世界遺産スコータイで最も古いといわれている寺院『ワット・プラ・パーイ・ルアン』

世界の世界遺産(World Heritage)
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タイの北部の世界遺産スコータイ
スコータイ歴史公園として、東西1.8km×南北1.6kmの城壁で囲まれたエリアを中心として非常にきれいに整備されており、効率よく見て回ることができるエリアとなっています。

そんなスコータイの観光の中心となるのが城壁エリアであり、そのすぐ北側には以前紹介したようなワット・シーチュムといった、スコータイを代表する座仏像の遺跡があったりします。

そして、今回紹介しているワット・プラ・パーイ・ルアンも城壁エリアの北側にあるかなり広域な遺跡になります。
城壁エリアの1/4程度の面積がありながら、ほとんどの建物は残っていないエリアではありますが、短いながらもここには一つの歴史的な国家があったんだなということがわかる遺跡なのではないでしょうか。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • スコータイ歴史公園北部にある、広大な範囲に広がる重要な寺院跡を見に行ってみよう。

タイのスコータイに関する記事です。

375【タイ紀行】世界遺産スコータイの地を代表するシンボル『ワット・シーチュム』
今回はタイの世界遺産の中で、タイの中北部に位置するスコータイ遺跡の中にあるワット・シーチュムを紹介したいと思います。スコータイ遺跡を反映させていたスコータイ王朝は、アユタヤに王朝があった時代よりも古い時代のものとなっており、タイの王朝の歴史を感じるにはうってつけの遺跡なのです。

ワット・プラ・パーイ・ルアン

今回紹介しているワット・プラ・パーイ・ルアンは、スコータイ王朝以前から存在する寺院であり、城壁エリア内にあるワット・マハータート創設以前は、この地の宗教の中心的な寺院でした。
そのため、スコータイ王朝時代にもワット・マハータートに次ぐほどスコータイでは重要な寺院でした。

スコータイ王朝は、元々はクメールによる支配が行われていたスコータイの地に、タイ族によってはじめて樹立された独立王朝であり、仏教の教えを取り入れたり、クメールや中国から様々な文化を取り入れるなどして、13~14世紀の間に約140年間反映した王朝でした。
最終的には力をつけてきたアユタヤ王朝によって属国とされてしまいますが、この王朝時代に築かれた数多くの寺院の遺跡が、スコータイ歴史公園のエリアに残されています。
そして、スコータイ遺跡のほとんどがれんが造りの遺跡であるため、木造が中心であったアユタヤに比べると、遺跡の保存状態は良い様子です。

ワット・プラ・パーイ・ルアンはそんな歴史公園の中央北部にある寺院遺跡です。
四方を約600mもある二重の堀に囲まれたかなり広大な範囲の中に点々と建造物が残されているのですが、このエリアがスコータイでは最初に集落が形成された場所であると考えられており、それに続いてワット・プラ・パーイ・ルアンが建立されたとされています。
最初にここに建造されたものが、現在は北側の1基しか残っていませんが敷地内に3基並んでいたとされるプラーン(塔堂)です。
このプラーンは、12世紀頃、スコータイがまだクメールの王朝によって支配されていたころ、ジャヤーヴァルマン7世の統治時代に建立されたもっとも古いものです。
当初は大乗仏教の寺院として建立されたワット・プラ・パーイ・ルアンでしたが、ワット・マハータートが建立された後は、スコータイにおける宗教的な役割が失われていき、その後に上座部仏教寺院に変わっていき、スコータイ王朝時代を生き抜いてきたのでした。

アクセス

スコータイ歴史地区中心部にある城壁エリアから500mほど北側にあります。
 

ワット・プラ・パーイ・ルアンへ行ってみた

それではワット・プラ・パーイ・ルアンへ行ってみましょう。

敷地内を西側から入っていくと、早速目の前にプラーン(塔堂)が現れます。
ここに3基のプラーンが並んでいたのだそうですが、上の写真左側にある最も北側にある1基のみが良好な状態で保存されています。

こちらが3基のプラーンがあったであろう時代の想像図です。
プラーンがありその先に礼拝堂や仏堂がある造りになっていました。

その右側には小さな仏堂の跡が残されています。
ここには座仏像が残されていました。

プラーン(塔堂)

こちらが唯一残されているプラーンです。

プラーンの扉の周囲には、仏陀などを描写した装飾が施されています。

唯一残る塔堂以外はかなり荒廃の激しい遺跡です。

こちらは塔堂の中ですが、蝙蝠の巣になっていました。

礼拝堂

塔堂の東側には、広い礼拝堂があったとされています。
現在は、その時の基礎や柱のみが残されています。

仏塔

敷地内の中央には、ピラミッド型の仏塔跡が残されています。
周囲をよく見てみると、スコータイ時代の仏像が点々と見られます。

中央にある仏塔には、かつてその周囲を回廊が囲っていたようでした。
その背後には、2つの仏堂が見られます。

仏堂跡と遊行仏像

さらにその東側にはかなりの高さのある仏堂の跡が辛うじて残されています。

レンガがむき出しになっていますが、かつてはこの上から漆喰が施されていたのでしょう。

仏堂を裏側から眺めてみると、壁面にはスコータイらしい歩く仏である巨大な遊行仏像が確認できました。

仏堂の柱も崩れ落ちています。
よくこの状態であったとしても残っていたものだと思います。

仏堂跡と座仏像

遊行仏のすぐ北側には、これまたレンガでできた建造物が確認できます。
よくみるとこれは、巨大な座仏像でした。
ここにもかつては仏堂があったのでしょう。

周囲にはタマリンドの木がたくさん植えられていました。

いかがだったでしょうか。
かなり荒廃した遺跡ではあるものの、かつてここにあったと考えられる仏像跡などを見ると、ここに王朝が存在し、人々の生活があったことが伝わってくるのではないでしょうか。
人類の歴史の栄枯盛衰を感じることができる場所ではありますが、そういった歴史が紡がれていくことで、今につながっていることを考えると、感慨深いものがあったりするものです。