482【ウズベキスタン紀行】古代サマルカンドの中心地アフラシャブの丘に建つ霊廟群『シャーヒズィンダ廟群』

世界の世界遺産(World Heritage)
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ウズベキスタンのサマルカンドには、数々の要人たちの廟がたくさん残っています。
サマルカンドを再建に導いた英雄ティムールはもちろん、歴代ティムール朝の君主の廟もあるわけなのですが、君主だけではなく、ティムールに縁のある人々の廟も多数残されているのです。

今回紹介しているシャーヒズィンダ廟群はそんなティムールに縁のある人々が多数葬られている場所なのです。
ティムールの親族の人々だけではなく、部下であった将軍とその関係の者、ティムール朝で重要だった学者などの廟もここには集められているのです。

シャーヒズィンダ=”生ける王”に守られたこの丘の上の廟群は、どのような構成になっているのでしょうか。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 廟群なので参拝の心を忘れず、美しく彩られた廟の数々を見に行ってみよう。

ウズベキスタンに関する記事です。

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シャーヒズィンダ廟群

シャーヒズィンダ廟群はサマルカンド中心部から北東のエリア、アフラシャブの丘の南の麓にある、霊廟群です。
シャーヒズィンダ廟群は9~14世紀頃に建造された霊廟と、19世紀に建設された儀式に用いられる建築物などが20以上集まった廟群です。
サマルカンドを再建した英雄ティムールに縁のある人々が葬られている霊廟が、一本の道の両脇に立ち並ぶ通りであり、巡礼に訪れる人々が絶えない場所です。
高貴な人々の霊廟ということもあり、サマルカンドブルーをはじめ、その装飾の美しさから、サマルカンドでも外すことのできない名所となっています。

シャーヒズィンダは”生ける王”という意味を持っており、7世紀にアラブ人がイスラム教布教のためにサマルカンドに侵攻が行われた際の伝説がもとになっています。
サマルカンドに布教にやってきた預言者ムハンマドのいとこであるクサム・イブン・アッバースが、この場所で礼拝中に異教徒からの襲撃にあい、斬首されてしまいます。
しかし、クサム・イブン・アッバースは自分の首を抱えて地中深い井戸へ入っていき、永遠の命を得た氏は、イスラームの危機の際に救いの手を差し伸べるといわれています。

シャーヒズィンダ廟群の建造物群は、最も北側にある入り口から遠いところの建造物から徐々に南に向かって立てられていったと考えられています。
最も古い建造物と考えれられているのは11世紀に建てられたクサム・イブン・アッバース廟であり、その後に14世紀中ごろにフッジャ・アフマッド廟を中心とした3つの向かい合う霊廟が建てられました。

シャーヒズィンダ廟群の中位置に建つ建物群は14世紀後半から15世紀に建造さえたものであり、ティムールゆかりの人物たちや、軍事面や宗教面での要人などの霊廟があります。

シャーヒズィンダ廟群入り口の門であるダルヴァザハナから続く天国の階段周辺は、15世紀頃に建造された建物群です。

このようなことからシャーヒズィンダ廟群を観光する際は、入り口から奥に入るにしたがって歴史をさかのぼって見ていくことができるような構成になっています。

アクセス

サマルカンドの中心部であるレギスタン広場から、北東に2kmほどの場所にあります。

シャーヒズィンダ廟群へ行ってみた

それでは、シャーヒズィンダ廟群へ行ってみましょう。

レギスタン広場から、北東につながるイスラム・カリモフ通りを北東に歩いていきます。
すると眼前に、ハズラティ・ヒズル・モスクアフラシャブの丘が見えてきます。
アフラシャブの丘には、旧サマルカンドの町が築かれていました。
何世紀もの間、この丘の上にサマルカンドの町が築かれ続けていったため、発掘調査の結果、11層も文化の痕跡が積み重なっていたことがわかっています。
しかし、この旧サマルカンドの町は、モンゴル軍来襲の後に独自の給水システムなどが破壊されたため、再建されることなく打ち捨てられることになりました。

このモスクの前の道を右に曲がり、更に500mほど進みます。

シャーヒズィンダ廟群が見えてきました。
かなり大きな規模の霊廟群です。

東側から見たらこのような感じです。

内部構成はこのようになっています。
それでは入っていきましょう。
(※この案内タイルは、内部の第二チャルタクにあります。)

ダルヴァザハナ(1434年~1435年)/ 第一チャルタク

ダルヴァザハナは、ティムール朝の第4代君主であった、ウルグベグの命によって建てられたとされている入り口の門です。
門を入ったところすぐに、アーチ状のドーム屋根を持つ第一チャルタクがあります。

モスク(1434~1435)

入り口から入ってすぐ左側にあるモスクです。

ダルバット・クシュベギ廟(1812年~1813年)

ダルバット・クシュベギ廟は、入り口のすぐ左側にある比較的新しい霊廟です。

天国への階段から見下ろしてみました。

コシュ・グンバズ廟(1434年~1435年)

コシュ・グンバズ廟は、天国への階段の途中にある2つのドーム状の屋根であるクーポラをもつ霊廟です。
ここには、数学者でもあり天文学者であったカズィ・ザデ・アッ・ルミを祀っているのだそうですが、墓室からはティムールの乳母ではないかと思われる若い女性の骨も発見されています。
この廟も、ダルヴァザハナと同様に、ウルグベクによって建造されました。

アミールゾダ廟 (1386年)(左側)/トゥグル・テキン廟(1386年)(右側)

アミールゾダ廟は、ティムールの部下であった将軍の息子が眠る廟です。
また、トゥグル・テキン廟は、ティムールの部下の将軍であったフセインの母親の名がつけられています。

天国への階段(18~19世紀)/第二チャルタク

入り口から続く天国への階段ですが、この階段を数えながら上り下りをし、行きも帰りも同じ段数であったならば天国へ行けるそうです。

階段を上がった先にあるこの場所はチャルタクと呼ばれるアーチ状をしたドーム型の通路となっています。
シャーヒズィンダ廟群にはこのチャルタクと呼ばれる建造物が4つ存在しているそうです。

シャーディムルク・アカ廟(1372)(左側)/シリンベク・アカ廟(1385~1386)(右側)

シャーディムルク・アカ廟は、ティムールの姪にあたるシャーディムルク・アカの霊廟であり、シャーヒズィンダ廟群でも最も美しいといわれている廟です。
ここに祀られているティムールの美しい姪であったシャーディムルク・アカをティムールは溺愛していたらしく、亡くなってしまったことに対する無念の言葉が残されています。

シリンベク・アカ廟は、ティムールの妹であるシリンベク・アカの霊廟です。

サッキズ・キラリ廟(八角形の廟)(15世紀)

別名オクタヘドロンとも呼ばれるサッキズ・キラリ廟ですが、誰の廟なのかはわかっていない建物です。
15世紀前半の地下室があります。

名もなき霊廟(14世紀)

サッキズ・キラリ廟(八角形の廟)の対面にある廟です。

ここからさらに廟群の奥に進んでいきますが、右側一帯に11~12世紀ごろの建物の装飾の残骸が残っています。

ウスト・アリ・ネセフィ廟(14世紀)

ウスト・アリ・ネセフィによって建てられたとされたいる廟です。
誰が祀られているかはわかっていない模様です。

名もなき霊廟(14世紀)

ウスト・アリ・ネセフィ廟の右隣にある廟です。
こちらも誰が祀られているかわかっていません。

アミール・ブルンドゥク廟(15世紀)

アミール・ブルンドゥク廟は、ティムールの部下の将軍を祀った廟です。
実のところ完成はしておらず、未感染のままで現在まで残っている廟なのだそうです。

ここまで見てきた廟群は、上の写真のように一本の通りの両側に廟が並んでいます。
この先に第三チャルタクがあり、その右側にはシャーヒズィンダ廟群で最も古い廟であるクサム・イブン・アッバース廟があります。

クサム・イブン・アッバース廟(11世紀)/モスク

クサム・イブン・アッバース廟は、シャーヒズィンダ廟群で最も古い建造物です。
なぜかというと、サマルカンドがチンギス・ハン率いるモンゴルの来襲を受けた際にも、ここだけは破壊されずに残ったのだそうです。

タイル張りのドームのある部屋は、巡礼者の部屋です。

こちらは内部にある礼拝所のホールです。

ハナカ・トゥマン・アカ(15世紀)(右奥)/トゥマン・アカ廟(1404年)(※右手前)

右側にある建物はハナカ・トゥマン・アカであり、ムスリム巡礼者の宿坊であるハナカであり、その手前に、ティムールが最もお気に入りだった妻、トゥマン・アカを祀った廟があります。

ミナレット(11世紀)

ここは11世紀に建てられたミナレットです。

フッジャ・アフマッド廟(1350年)

フッジャ・アフマッド廟は、入り口から続く通りの突き当りにある廟です。
シャーヒズィンダ廟群の中では、クサム・イブン・アッバース廟に続いて2番目に古い廟です。
これより後に造られた廟は、ここを参考にしてつくられたのではないかといわれています。

ティムールの妻クトゥルグ・アカのものではないかといわれいる霊廟(1361年)

はっきりとはわかっていないようなのですが、ティムールの妻であったクトゥルグ・アカの廟ではないかといわれています。

ハマム(浴室)跡(15世紀)

入り口の門のすぐ外には、浴室であるハマムの跡が残されています。

いかがだったでしょうか。
これだけたくさんの廟が一か所に集められているということであり、かなりの見どころのある場所ではないでしょうか。
長い年月をかけて築き上げられてきた廟群であり、長く人々によって守り受けつがれてきた廟群は、サマルカンドの中でも時間をかけてみてまわりたい場所の一つです。