今回はウズベキスタンのブハラに残る霊廟です。
ブハラには、メドレセやハナカ、人工的に造られた池や、ブハラ・ハン国の王が住んでいた白まで様々な建造物が残っています。
そして、サマルカンドなどではよく見られる霊廟ですが、ブハラにももちろんあります。
ブハラの中心部から北西にあるアルク城をさらに西に行ったところに今回紹介する霊廟であるイスマイール・サーマーニ廟はあります。
これまでにブハラの建造物をたくさん紹介してきましたが、そのほとんどが13世紀のモンゴル軍の来襲によって破壊しつくされてしまっています。
しかし、そのような中で今回紹介しているイスマイール・サーマーニ廟は破壊されることを免れたため、今も9世紀ごろに造られたままの姿で残る、中央アジアで最古のイスラム建築なのです。
では、なぜこのイスマイール・サーマーニ廟は、激動の歴史の中で破壊されることを免れて今日まで生き残り続けることができたのでしょうか。
というわけで、今回のわきみちは、
ウズベキスタンのブハラに関する記事です。









イスマイール・サーマーニ廟
ウズベキスタンのブハラにあるイスマイール・サーマーニ廟は、中央アジア最古のイスラム建築として世界中から注目を集めている霊廟です。
9m四方の大きさのある霊廟は、レンガを重ね、ドーム型の屋根を持つ一見すると単純な構造をした霊廟ですが、レンガの積み方を工夫することだけで、外壁や内側壁面に様々な模様を作り出している芸術的価値の高い建造物になっています。
そんなイスマイール・サーマーニ廟ですが、創建は892年から943年であると考えられています。
8世紀初頭頃にはブハラにはイスラム勢力によって征服されていました、
しかし、その後の9世紀後半になると、イラン系のサーマーン朝が成立し、ブハラを首都として発展をつづけました。
イスマイール・サーマーニ廟は、サーマーン朝時に二代目君主であったイスマイール・サーマーニがその父親であるアフマド・イブン・アサドのために建造した霊廟です。
そして、イスマイール・サーマーニ自身、そしてその孫たちもこの霊廟に葬られました。
サーマーン朝が滅亡した後は、テュルク系民族の王朝化に入りますが、13世紀に入ると東からチンギス・ハン率いるモンゴル帝国が襲い掛かってきます。
その際にブハラの町はそのほとんどが破壊されてしまいます。
今も残っていればと悔やまれるような建物の多数が破壊されてしまったことは残念でなりません、
しかし、そのモンゴル来襲の際にこのイスマイール・サーマーニ廟は、破壊されずに残ったのでした。
それは、なぜか?
ブハラには、同様にモンゴル来襲から守られた建造物がありましたよね。
以前紹介したマゴキ・アッタリ・モスクがそうです。
マゴキ・アッタリ・モスクは、モンゴルの来襲を予見した人々が、建物を守るために砂の中にモスクを埋めてしまったために、無事に建ての喪を残すことができたわけです。
それと同様に、イスマイール・サーマーニ廟も地中に埋められ、さらにその周りに墓地が広がっていたこともあって、モンゴル軍がその存在に気付かづ、地中で静かに時が流れていたのでした。
そんなイスマイール・サーマーニ廟が再び発見されたのが1925年でした。
9世紀という現在から1000年以上にもなる歴史を持つこの建物が発掘されたとき、発掘した人々の驚きはどれほどのものだったのでしょうか。
アクセス
ブハラ中心部の池であるラビハウズから北西に1.5kmほど行ったところにあります。
イスマイール・サーマーニ廟へ行ってみた
それでは、イスマイール・サーマーニ廟へ行ってみましょう。

アルク上からさらに西に向かって歩いていくと、広く整備された広場に出ます。
ここはイスチロハット公園というらしく、イスマイール・サーマーニ廟はこの公園内にあります。

15m四方ぐらいの大きさの池の前に、

イスマイール・サーマーニ廟がありました。
9m四方の霊廟なので、とてもこじんまりとした建物です。
しかし、この周辺が20世紀初頭までが地中に埋まっていたということを考えると、モンゴル軍の脅威がそれほどすさまじいものだったのだという、当時の人々が霊廟を守ろうとした執念を感じました。

イスマイール・サーマーニ廟です。
壁面を見ると、非常に個性的かつ美しい模様が描かれていますが、これらはレンガの積み方によってさまざまな模様を表現しているのです。
建築家の芸術的センスを感じます。

訪れたときには残念ながら内部に入ることはできませんでした。
扉から内部を眺めることができたのですが、内部のレンガでの装飾も見事な物でした。
写真に収められなかったのが残念です。
いかがだったのでしょうか。
非常にシンプルな建物なのですが、そのシンプルな中に建造した人々の工夫がキラリと光る建物ではないでしょうか。
今も霊廟の中で眠る御霊も、長いときの中を静かにブハラの町を見守り続けているのではないでしょうか。