ウズベキスタンの世界遺産がある町シャフリサブス。
ここには以前紹介したようにティムールの父が眠るドルッティロヴァット建築群があります。
自らの親族を丁重に葬っていたティムールでしたが、その本人も自らの死後はこのシャフリサブスにて永遠の眠りにつくつもりでいたようなのです。
実際にはティムールの亡骸は現在はサマルカンドにあるのですが、本人は自分自身のためにこのシャフリサブスに霊廟を用意していたようなのです。
それが今回紹介しているドルッサオダット建築群なのです。
ティムール自身はここに眠ってはいないものの、用意していた墓室や石棺が今もなお残されているのです。
建物群は現在は残ってはいないのですが、かつては建物群が建っていたところが、整然とした基礎からも想像することができるのです。
というわけで、今回のわきみちは、
ウズベキスタンのシャフリサブスに関する記事です。



ドルッサオダット建築群
英雄ティムールの生まれ故郷として名高いウズベキスタンの町シャフリサブス。
町の中央には英雄ティムールの像があり、ここを中心とした南北の地域に歴史的に価値の高い建造物が多数残されています。
そして、ティムールの像から1.2km南下し、すぐ東側に見えてくる建築群がドルッサオダット建築群です。
ここは英雄ティムールが自らを葬るためにこの場所に建てた廟が残っているのです。
しかし、ここに自らが眠ることを希望していたにもかかわらず、ティムールの死後、亡骸がここに葬られることはありませんでした。
亡くなったティムールは現在のサマルカンドにあるアムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)に眠っています。

ドルッサオダット建築群は現在は基礎だけが残る場所となっていますが、すぐそばには、今でも町の多くの人の信仰を集めるハズラティ・イマーム・モスクがあります。
また、ティムールが22歳という若さで戦死した長男の建てた独特な形が印象的な霊廟であるジャハンギール廟が残されています。
現在は基礎の部分だけが残る広大なドルッサオダット建築群があった場所ですが、ここにはかつては数々の建築群がありました。
南西には墓石のみ残る廟があります。
ここはティムールの次男が葬られているウマル・シェイヒ廟です。
また、東側には、ティムールが自分自身のために用意した地価の墓室が残っています。
アクセス
シャフリサブスの中心であるティムール像から1.2kmほど南下したところから東に行ったところにあります。
また、西に行くと以前紹介したドルッティロヴァット建築群があります。
ドルッサオダット建築群へ行ってみた
それでは、ドルッサオダット建築群へ行ってみましょう。

ティムール像から1.2kmほど南下し、東の方を見ると、モスクらしき建物と、独特の形をした霊廟があります。

左側がハズラティ・イマーム・モスクであり、右側がジャハンギール廟です。
この右側の写真外のところに、ドルッサオダット建築群が広がります。
ジャハンギール廟

こちらがジャハンギール廟です。
ティムールが若くして戦死してしまった長男のために建てて霊廟です。
かなり崩壊していたそうなのですが、修復が施されています。


内部には、純白の墓石が残されています。
ハズラティ・イマーム・モスク

その隣には、ハズラティ・イマーム・モスクがあります。。
周囲にはお祈り用の敷物が敷かれており、多くの参拝者がいました。


ドルッサオダット建築群
それでは、ドルッサオダット建築群に移動します。

このように、ドルッサオダット建築群はそのほとんどがむき出しの基礎だけになっています。

内部には墓石らしきものも見えます。

ドルッサオダット建築群の全体像はこのような感じです。
建て物は残っていないため、はるか向こうに、ドルッティロヴァット建築群がみえますね。

ドルッサオダット建築群敷地内には、上の写真のような墓室が残っています。
こちらがティムールの廟になるはずだった墓室です。

地下の部屋に降りてみましょう。

こちらがティムールが葬られる予定だった石棺です。

周辺には土産物屋もたくさん。

いかがだったでしょうか。
シャフリサブスにはこういった、歴史的な価値の高い建物が数多く残されています。
それもこれも、ティムールがサマルカンドの町を整備することと同様に、生まれ故郷であるこのシャフリサブスも整備したためでした。
ウズベキスタンの世界遺産の中では最もアクセスがしにくい場所ではありますが、見どころが比較的集まっているこのシャフリサブスはぜひとも訪れておきたいところです。