カンボジアと聞くと、1970年の内戦のイメージが非常に大きいかと思います。
そういった時代を乗り越え、カンボジアは近年経済発展目覚ましい状況になっています。
ところが、カンボジアという国がここまでに力を取り戻すためには、数々の乗り越えなければいけないことがあったのです。
その中でも、国の中全域で人々を苦しめ続けてきたのが、無数に地中に埋められた地雷ではないでしょうか。
戦いが終わった後も、国土のあらゆるところに埋められた地雷によって、なかなか安心して暮らせることができる状況ではなかったのは確かでしょう。
地雷を除去するためにも、世界のあらゆる国々が手を差し伸べ、地雷の除去活動は進められてきました。
そして、カンボジアの国の中にも、地雷を除去するために地道に活動を続ける人々がいるのです。
今回紹介しているカンボジアはシェムリアップにあるアキ・ラー地雷博物館を創設したアキ・ラー氏もそんな中の一人なのです。
アキ・ラー氏はもともとはカンボジアを内乱に導いたクメール・ルージュの戦闘員でした。
しかし、現在は、シェムリアップを中心に地雷除去のボランティア活動を行い、カンボジアが抱えるさまざまな問題に対して挑み続けているのです。
というわけで、今回のわきみちは、
カンボジアの世界遺産に関する記事です。









アキ・ラー地雷博物館
カンボジアはシェムリアップにあるアキ・ラー地雷博物館は、シェムリアップで地雷除去のボランティア活動を続けているアキ・ラー氏によって作られ運営されている博物館です。
もともとは異なる場所にあった博物館なのですが、2007年にカンボジア政府によって閉鎖されたのち、2008年にアンコール・ワットから北東30km現在の場所に移設しました。
現在のカンボジアは平和が訪れているといえ、1970年代の長い内戦による傷跡がまだまだ国中に見られます。
そんな中でも、国中に埋められた地雷の問題は非常に深刻な物でした。
内戦の最中に無数に埋められた地雷は、内戦が終わって何十年が経ってもカンボジアの人々を苦しめ続けてきたのです。
そして、国連を中心とした国々がそういった地雷除去活動に取り組んだりしてきました。
カンボジア人であるアキ・ラー氏も地雷除去のボランティア活動に一人取り組んできたのでした。
そんなアキ・ラー氏は、カンボジアを長い内戦状態にした、クメール・ルージュに所属した元戦闘員でした。
そして、カンボジアとタイの国境で地雷を配置する活動を行っていました。
しかし、クメール・ルージュが壊滅した後は、カンボジアの平和のために地雷除去活動をはじめ、数々の取り組みを行ってきたのです。
アキ・ラー氏は1992年以来、5万もの地雷を個人的に除去してきました。
そしてカンボジアの地雷除去活動を広く多くの人に伝えるために、安全処理をした約5000にも及ぶ地雷や武器を展示した地雷博物館を創設し運営してきました。
現在もアキ・ラー氏は地雷除去作業を行い続けており、同博物館には不在のことも多いのですが、アキ・ラー氏がいるときには、地雷除去問題や、今も残るカンボジアの様々な課題について日本語で説明をしてもらえます。
また、アキ・ラー氏は地雷の被害などで被害を受けた子どもたちを保護しており、20数名の子どもたちがここで暮らしています。
アキ・ラー氏は、地雷博物館のチケット販売、寄せられた寄付金、同博物館内で営業している小さな店での販売収入によって得た収益で、博物館の運営と子どもたちの救済を行っています。
アクセス
現在のアキ・ラー地雷博物館は、アンコールワットから北東に向かって30kmほどいったところにあります。
アキ・ラー地雷博物館へ行ってみた
それでは、アキ・ラー地雷博物館へ行ってみましょう。

ただし、今回紹介している地雷博物館は旧地雷博物館であり、現在の移設した博物館とは異なります。

こちらが当時のアキ・ラー地雷博物館です。
現在のようなしっかりとした建物ではなく、簡易な建物だけが立ち並ぶ場所でした。

こちらは地雷除去に関する様々な資料がありました。
床に転がったり積み上げたりされているものが、安全処理の施された地雷です。

クメール・ルージュ下の人々の生活を描いた絵が展示してありました。
数々の虐殺が行われたクメール・ルージュ下での生活でしたが、この絵の中にはワニ園に人が放り込まれている様子が描かれていました。

博物館内にはこのように、実際のジャングルの中にどのように地雷が仕掛けられているのか展示されていました。
何も知らずに森の中に入っていくとこれは気づかないですよね。

地雷は必ずしも地面にあるだけではありません。
頭上にも設置されていることがあり、仕掛けられたトラップによって頭上で爆発することもあるのです。


こちらにも地雷があります。わかりますか?
写真の奥にサッカーボールがありますが、平和の中に残る地雷の恐ろしさを端的に表した場所だと思いました。

これはもはやどこに地雷があるのかわかりません。

当時、アキ・ラー地雷博物館で保護されていた少年です。
彼も地雷の被害者であり、右腕を地雷によって失っています。
訪問時には、彼が園内を案内し、カンボジアが抱える地雷の問題について教えてくれました。
園内には地雷博物館の物販店があったため、何点かを購入しました。
ここで購入したお金の一部は、博物館の運営や、子どもたちの救済にあてられるのだそうです。
いかがだったでしょうか。
旧地雷博物館の様子でしたが、博物館とここでの取り組みの様子は伝わったのではないかと思います。
現在は移転となり、新たな建物の中で地道な取り組みが続けられています。
いずれ、新しくなった地雷博物館にも訪れ、今回の記事もアップデートしたいと思います。