506【城ノウハウ】天守をよく見てみよう。天守ごとに特徴のある型と構成

百名城/続・百名城(Castle)
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現在の日本の各地で見ることができるお城の天守
現存する天守もありますが、一度天守がなくなってしまったものの史料の通り忠実に再建された復元天守もあります。
また、外観のみ忠実に再建した外観復元天守もあります。
元々あった天守に忠実ではないものの、天守が存在した城内に新たに天守を再建したものが復興天守
そして、歴史的に天守のなかった城に天守を作ったものや、史実と全く異なる天守である模擬天守などがあります。

そんな様々なタイプの天守ですが、その構造もよくみるといろいろな特徴があるのです。
今回は天守がもつそれぞれの特徴について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 建てられる場所には意味がある。戦いのための城から、権威の象徴の城まで。城の持つ意味を考えながら城巡りをさらに深めよう。

天守のしくみ

お城に行ってみて天守を見てみると、単純に同じ形の物ばかりではないことに気づくでしょう。
何層にもなった巨大な天守もある一方で、こじんまりした天守もたくさんあります。
巨大な天守から小さな天守につながったような天守もあれば、天守から櫓につながるような形のものもあります。
それぞれにその天守の立地や目的に応じて造られたものであり、おのおの特徴を持っているのです。

そんな天守の造りですが、どのような構造があるのかいくつかの分類に分けて書いていきたいと思います。

天守の型

まずは、天守の型です。
天守は一般的に何層にも積み上げられて造られているのですが、その構造には大きく分けて2つのタイプがあります。
そのタイプとは、望楼型層塔型です。

望楼型

丸岡城(福井県)
犬山城(愛知県)
彦根城(滋賀県)

望楼型天守は、安土城から始まる天守初期の型です。
一重もしくは二重の入母屋(いりもや)造の建物が基礎になります。
入母屋造とは、 屋根の上部の切妻になっていて、その四方に庇屋根を付けた形状の建物です。
そのため、天守の最上階以外の途中部分に入母屋破風があることが特徴です。
この入母屋造の建物の上に、さらに二重や三重にもなる別の建物を乗せた形状のものとなります。
非常に頑丈な構造となっており、丸岡城や犬山城、彦根城といった望楼型の天守が今もなお現存天守として残っています。

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層塔型

名古屋城(愛知県)
伊予松山城(愛媛県)
丸亀城(香川県)

層塔型天守は望楼型より30年ほど後に登場した天守の型です。
法隆寺の五重塔のように、同じ形の建物を積み重ねていく形であり、最上階以外には入母屋破風はもっていない造りとなっています。
築城の名手だった藤堂高虎が発案し、愛媛県の今治城天守で初めて使用された型であるといわれており、これ以降は天守の主流の型になります。

層塔型の特徴は、同じ形の建物を積み上げていくことで、従来の望楼型の天守に比べるとコスト面や後期面でのメリットが大きかったため、多くの天守築造で採用されました。
現存天守では、伊予松山城や松本城、丸亀城などで採用されています。

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天守の構成

天守の分類には、天守の構成によってもわけられています。
天守の構成は4つの朱里に分けられており、やはり時代の流れとともに天守の構成も移り変わりがあったのです。

複合式

松江城(島根県)
備中松山城(岡山県)

天守の構成で、初期のころは複合式の天守が主流でした。
複合式天守とは、中心となる天守の全面などに小さな櫓である付櫓(つけやぐら)がくっついている構成の天守です。
上の写真の松江城や犬山城、彦根城や備中松山城といった城が複合型の構成の天守です。

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連結型

名古屋城(愛知県)

天守そのものに実践に備えた装備が必要になってくると、天守の構成もだんだんと複雑化していきます。
複合式では直接天守にくっついていた建物を、渡櫓などで連結させたものが連結式です。
片側だけがつながれたものがほとんどですが、左右両側につながれた形のものも稀にあったりします。
上の写真のように、中心となる天守と小天守とが渡櫓(わたりやぐら)や土塀などでつながれた構成となっています。
この構成の場合、複合式同様に小天守などを通らないと中心の天守に入ることができないように造ることができます。
連結式には、名古屋城のほかには大須城は熊本城などがあります。

連立式

姫路城(兵庫県)
伊予松山城(愛媛県)
和歌山城(和歌山県)

連結式がさらに複雑化したものが連立式です。
中心となる天守と、2基以上の複数の小天守や櫓を渡櫓でつなぎ、上空から見るとロの字型になっています。

ロの字形なので、内側に中庭のような空間ができます。
この造り自体が工芸に特化したものであり、侵入してきた敵をこの中庭に誘い込むことによって、周囲の建物から一斉攻撃を仕掛けることができたりします。
連立式の天守としては、姫路城や和歌山城、伊予松山城などがこれにあたります。

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独立式

丸岡城(福井県)
大阪城(大阪府)

最後は独立式の天守です。
その名の通り、附属する建物がなく天守のみの構成となっています。
天守が単独で立つ構成の物ですが、戦乱の時代が終わり、江戸時代になると、シンボリックであり、延焼対策など実用的なことも考えたシンプルな造りである独立式が造られるようになります。
入る場合は、中心となる天守に直接入ることができることからも、時代の様相を反映している造りです。
独立式としては、丸岡城や大阪城などがあります。

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いかがだったでしょうか。
今回は『天守の型』と『天守の構成』にフォーカスして紹介してきました。
天守の形や構成そのものにも、それぞれの時代の様相が反映されているのですね。
実際に天守を見上げながら、それが建てられた時代に思いをはせてみるのもよいかもしれませんね。