512【人物あれこれ】街に名前にもなった近代ベトナム建国の父『ホーチミン』

人物あれこれ(Person)
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ベトナムといえば、南北に分かれて、長い戦いを繰り広げたことが思い浮かぶのではないでしょうか。
しかし、そういった苦難を乗り越えてきて今現在の活気あふれるベトナムがあります。
どこの国にも、今現在ある国をつくり上げてきた人々がいるわけで、ベトナムでいうとおそらくホーチミン氏の名前が一番にあがるのではないでしょうか。

今では町の名前になっていることから、なじみ深くなったこの名前。
しかし、どういった人物なのかは知っているでしょうか?
社会主義国家を作ったことから、いろいろな他の社会主義国家の指導者を思い浮かべてはしまいませんでしょうか。
しかし、ベトナムにはそういった歴史は聞かないですよね。
では、ベトナム建国の父と呼ばれているホーチミン氏とはどのような人物で、どういった功績を残したのでしょうか。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • ベトナム建国の父。共産主義革命かであったけれど何かイメージの違うホーおじさんのことを調べてみよう。

ホーチミン

生誕

ホーチミン(1890ー1969)はベトナムの革命家であり、初代のベトナム民主共和国主席であったベトナム建国の父と呼ばれている人物です。
その名前は、ベトナム南部にある旧サイゴンの街が、現在はホーチミンシティとなっていることからも、影響力が大きかった人物であることが分かります。

フランスの植民地時代、ベトナムの地はフランス領インドシナと呼ばれていました。
そんなフランスの統治下にあったベトナム中部でホーチミンは生まれました。
その後フランスに渡ったホーチミンは、フランス本国の現状を知ったり、船員としてアメリカやイギリスなどをまわったりと、世界に対する見聞を広げていきます。

共産党への入党

そしてホーチミンはフランス社会党、その後はフランス共産党に入党したことから共産主義者と活動を行っていきます
第二次世界大戦中は、中国国民党などによって投獄されたりなどもしていましたが、日本軍の撤退後に、ホーチミンは政権を得るために活動を始めていきます。
同年8月末にはベトナム帝国・院朝が滅亡し、ハノイにおいてベトナム民主共和国を樹立し、初代の国家主席兼首相に就任し、共産国家の建設を進めていきました。
しかし、ホーチミン自身は、共産主義による革命を進める中で、民族自決そしてベトナムの独立を目ざしていました。

独立に向けて

その後、ベトナム側と、かつての統治国であったフランスとの間にインドシナ戦争が勃発。
結果として、フランス軍をインドシナ半島から追い出すことに成功します。
それからのホーチミンは国家主席として同じく共産主義国家との交渉や、西側諸国との外交などを担当していきました。

しかし、ベトナム南部にアメリカの支援によるベトナム共和国ができたことで、ベトナムは激しい南北の争いであるベトナム戦争に入ります。
この戦いの際にはインドシナ戦争の時のようにホーチミンが前面に出ることがなかったものの、国家元首としてベトナム人民たちのよりどころでありました。

そんなホーチミンでしたが、ベトナム戦争中の1969年に心臓発作で死去します。
知っての通り、その後は南ベトナムからアメリカ軍が撤退し、北ベトナムによる南北統一が実現して、現在のベトナム社会主義共和国が誕生します。
その際に、南ベトナムの首都であったサイゴンは、1975年にホーチミンにちなんで、ホーチミンシティと街の名前が変えられました。

死後の影響

ホーチミン氏は自らの死後は個人崇拝の対象となることを望んでいなかったため、霊廟などを設けることは可案が得ていなかったということですが、共産党政治局によって、ロシアのレーニンのようにホーチミンの遺体が安置される霊廟が建築されました。

共産主義国家の指導者が、どれも強大な権力のもとに独裁的な国家運営を進めていった中で、ホーチミンはそういった手法はとらない国家運営を進めていきました。
無私で、自分だけが富を得られるような国家運営を嫌い、前述したように個人崇拝の対象になるようなことも嫌っていた人物でした。
そのため、南北ベトナムどちらの国民からもホーおじさんと呼ばれていることからもわかるような、一般の人々によって親しみのある人物でした。

ホーチミン縁の場所

ホーチミン廟

ホーチミン廟は、ベトナム建国の父であったホーチミンが今もなお眠り続ける廟です。
1975年の建国記念日である9月2日に完成したこの総大理石造りの立派な廟には、その内部にベトナム建国の父として親しまれているホーチミンの遺体が、ガラスケース内に安置され続けています。
ホーチミン廟一帯がホーチミンにゆかりのある場所であり、ホーチミン廟の前にあるバーディン広場では、1945年にホーチミンによってベトナム民主峡谷の独立宣言が読み上げられた場所なのです。
廟には連日のように参拝者が訪れ、長い行列ができています。
早朝6:00には国旗掲揚の儀式、21:00からは国旗効能の儀式が毎日衛兵たちによって行われている様子を見学することもできます。

このホーチミン廟には今もなおホーチミン氏のエンバーミング処理が施された遺体が安置されていることから、かなり厳重な警備となっています。
入館時にはX線を用いた入念な荷物検査が行われます。
また、その後にバッグやカメラなどはラゲージルームに預けることになります。
服装も規定されており、半ズボンやノースリーブ、短すぎるスカートやサングラスの着用は禁止となっています。
また、館内での写真撮影は一切できず、一列になって常に進みながら見学をすることになるため、立ち止まったり私語をしたりすることも禁止されています。
ホーチミン市が安置されている部屋では、両サイドを警備の人間が物々しい様子で常に警備してじます。

廟は常に入館待ちの行列ができており、1~2時間待ちになることもザラなのだそうです。
かなり時間に余裕をもって訪れたほうがよいでしょう。

同敷地内には、ホーチミンの家や、ホーチミン博物館もあるため、これらをセットで見学する場合が多いようです。

ホーチミンの家(ホーおじさんの家)

ホーチミン廟と同じ敷地内の北側には、ホーチミンの家があります。
ここは、ホーチミン市が実際に1969年まで住んでいた家が残されています。
廊下から寝室や書斎などの様子を見学することができます。
ホーチミンが実際に生活していた時の様子がそのまま残されており、生前ここで暮らしていた同氏の生活が浮かんでくるようです。

ホーチミン博物館

ホーチミン廟の西側には白く立派な建物があります。
これはホーチミン博物館であり、1990年にホーチミンの生誕100周年を記念して建てられました。
内部は旧ソ連などの支援で造られた内装となっており、ホーチミン市にゆかりのあるものの展示や、ベトナム建国までの革命への歴史がわかりやすく展示されています。

いかがだったでしょうか。
ベトナムというと社会主義国家の中の一つなのですが、どうもそういう雰囲気を感じないところがありますよね。
それはこのホーチミン氏が、ベトナムを独立させ、民族が自分たちのことは自分で決める強い意志を持った革命を行ってきた結果なのではないでしょうか。
ホーチミンゆかりの場所は、ハノイに集まっています。
名前からはホーチミンシティにありそうな感じがしますが、その点は注意して訪れましょう。