スリランカは北に位置するインド同様に永くイギリスによる統治時代がありました。
イギリスだけではなく、西洋諸国によって400年以上も植民地だった歴史があります。
一番最初は1505年。
このときにやってきたのはポルトガルでした。
ポルトガルによる統治が始まって約150年後、ポルトガルに代わってスリランカを統治したのはオランダでした。
オランダによる統治が約150年続いたのち、次にやってきたのはイギリスでした。
社会でも聞いたことがあるイギリス東インド会社による選挙でした。
イギリスによる統治も約150年続き、1948年になって晴れてイギリス連邦の自治領として独立。
その後は1970年代に共和制、大統領制への移行が行われ、今日に至ります。
1980年代にはスリランカ内戦が始まり、2009年までの26年にわたってスリランカは内戦状態であり、そのこともあってか長い間危険な国ではないのかというイメージが先行してしまう国でもありました。
このような歴史的な経緯を持つスリランカですが、そんな同国の中心都市コロンボにはイギリスからの独立にあたって、独立の公式行事が行われた場所に現在も残るのが今回紹介している独立記念ホールであり、その周囲に広がる独立広場なのです。
実際に独立にあたっての式典が行われたホールではないのですが、式典が行わた翌年に、スリランカ(当時はセイロン)の独立を象徴する場所として建てられたのでした。
というわけで、今回のわきみちは、
スリランカのコロンボに関する記事です。





独立記念ホールと独立広場
1948年2月4日、スリランカ、当時のセイロンが、1796年から約150年にも及ぶイギリスの統治から独立しました。
この時からスリランカはイギリス連邦の自治領ではあるものの独立国としての歩みを進めていくこととなります。
その独立の際に、公式行事が行われた場所がこの独立広場(インディペンデンス・スクエア)であり、そこに現在建てられているのが独立記念ホールです。
ここでは毎年独立記念日である2月4日に独立記念式典が行われています
ホールのデザインは、スリランカの著名な建築家8人のグループによって設計されました。
デザインのベースは、1815年に当時存在したキャンディ王国とイギリスとの間で条約が調印したとされたキャンディ会議で使われた王立聴衆ホールがもとになっています。
イギリス統治が始まっていったことを象徴するホールをもとにして、イギリスから独立した場所に独立記念ホールを建てる。
そこには、イギリス統治から解放されたスリランカの人々の深い意図が隠されているようにも感じます。
現在の独立記念ホール及び独立広場はスリランカの人々の憩いの場となっており、植民地時代の建築物を使ったコロニアル調なアーケード・インディペンデンス・スクエアがすぐ南にあるために、合わせて訪れることができます。
このアーケード・インディペンデンス・スクエアはかなりの広さであり、独立広場と同じくらいの広さがあります。
中には様々な店舗や映画館などがあるため、現地の人から観光者まで楽しめるスポットとなっています。
アクセス
コロンボフォート地区から南に6kmほどのところにあります。
独立記念ホールと独立広場へ行ってみた
それでは独立記念ホールと独立記念広場へ行ってみましょう。

北側から独立広場にやってきました。
上の写真に見えるのは、スリランカ(セイロン)国初代首相であり、国民の父と呼ばれているドン・スティーブン・セナナヤケの像です。

そして、像の奥に見えるのが独立記念ホールです。


こちらが独立記念ホールです。
内部は柱で屋根を支えており、特に外部と内部には遮蔽物がない構造になっています。

ここは、1948年の独立記念式典が行われた場所に、翌年から4年の歳月をかけて造られた建物です。




独立記念ホール内部です。

このホールでは、現在は独立記念日の式典や、宗教行事等が行われているそうです。

遠くに見えるのがアーケード・インディペンデンス・スクエアです。
徒歩数分で訪れることができます。

いかがだったでしょうか。
コロンボを訪れると、まずは訪れることになる場所の一つでしょう。
今回は軽く紹介したのみであったアーケード・インディペンデンス・スクエアは、かなり広大なショッピングモールです。
コロニアルな建物の中には様々なブランド店だけではなく、飲食店や映画館など、非常に充実しているため、半日は使うことができる場所です。
コロンボを訪れたときには、この独立記念ホールと合わせて楽しんでいただきたい場所です。