アジア最後のフロンティアとも呼ばれている国、ミャンマー。
ここ数年は、先進国による企業進出が頻繁になっていました。
世界遺産登録なども相次ぎ、国際社会に進出を始めたところでした。
ところが2021年に入り大きな出来事が起こります。
1960年代ころから長く軍部による軍事政権が行われていたミャンマー。
このミャンマーという国名も軍政側によってビルマから変えられた名前です。
2010年ころには民主主義勢力によって民主化が進みます。
しかし2021年、軍部のクーデターによって軍事政権に逆戻りしてしまいました。
それからは国内で民主化のデモ活動が頻発し、多くの犠牲者も出ています。
これらの状況はまだまだ改善の見通しがたっておらず、内戦として激化していくことが懸念されています。

日本からも訪れる人々が増加していっていた近年ですが、コロナ禍とも相まって以前のように訪れることができるかど見通しは立っていません。
では、そんなアジア最後のフロンティアであり、長く政変に翻弄されるミャンマーとはどのような国なのでしょうか。
というわけで、今回のわきみちは、
ミャンマー
ミャンマーの基本情報

ミャンマーは東南アジアの最西端に位置する国であり、正式にはミャンマー連邦共和国といいます。
首都はネーピードーです。
ヤンゴンか?とも思われているのですが、ミャンマー最大の都市がヤンゴンであることは確かなのですが、首都機能については2006年にネーピードーに遷都されました。。
ネーピードーはそういった経緯を持った首都機能を持った計画都市なのですが、近年は都市としての機能が高まりつつあります。
人口や約5400万人であり、その70%がビルマ族であり、その他にもシャン族やカレン族、ラカイン族、華人やインド人なども含めて135民族が1つの国の中に暮らしています。
言語はビルマ語ですが、民族ごとの言語も存在しています。
観光客相手のところでは英語も不通に通じます。
ミャンマーは国民の85%が上座部仏教徒であり、キリスト教徒やイスラム教徒も小数存在しています。
通貨はチャット(Kyat)が用いられており、1円≒16Kです。
買い物の時などは、ざっくりと15で割ると日本円に近くなるでしょう。
気候帯は北部が温帯に位置しており、それ以南は熱帯に属しています。

ミャンマーの歴史

現在のミャンマーのある場所には、8世紀頃ピュー国家という国がありました。
ミャンマーは2014年にピュー古代都市群が世界遺産登録されていますが、この時代の遺構となります。
その後ビルマ族が南下してきたとともに、ピュー国家が滅亡してビルマ族の勢力が拡大していきます。
9世紀に入るとビルマ族によるバガン王朝が力と付けていき、11世紀に入るとバガン王朝が全盛期を迎えます。
このころの遺構が現在のバガンに多数残されており、2019年に世界遺産に登録されました。
巨大な勢力を誇ったバガン王朝でしたが、13世紀に入るとモンゴル軍の侵入によって王朝は滅びます。
その後はシャン族やモン族などの勢力も拡大していったり、隣国タイとの衝突もあったりするなどしながらも、王朝時代が続きます。
19世紀に入るとイギリスが進出し、インドと当時のビルマとの間に戦いが勃発します。
戦いの結果として、ビルマはイギリスの支配下に入ります。
第二次世界大戦がはじまると、日本軍が進出してきますが、戦後になって日本軍が撤退後、ビルマ連邦共和国として独立します。
20世紀後半の1960年代に入ると、軍事クーデターが勃発し、ビルマの社会主義化が始まります。
軍政は続き、1989年には国名がミャンマーに変えられます。
その後は民主主義勢力と軍政との争いが続いていきますが、2010年代に入って民主化の動きが活発になっていきますが、2021年に入り、再び軍部によるクーデターにより軍政に戻った動きがみられています。
近年はこれら以外にも、ミャンマー隣国のバングラデシュとの国境付近に住むロヒンギャ難民の問題なども表面化しており、まだまだ解決すべき大きな課題も抱えています。

ミャンマーの魅力ある街
バガン

バガンは、ミャンマー中部のエーヤワディー川沿いにある都市です。
乾燥した平原地帯であるため、ここには多数の仏塔や寺院が建ち並んでおり、それらが保存状態慾残っています。
ミャンマーを旅する場合は、絶対に外せない都市です。














マンダレー

ミャンマー第二の都市であるマンダレーは北部を代表する都市です。
イギリス植民地時代より前の、ミャンマー最後の王朝であったコンバウン朝の都が置かれていたのがこのマンダレーでした。
今もマンダレーにはこの時代の巨大な王宮跡に、第二次世界大戦後に再建された王宮が残されています。



ヤンゴン

ミャンマーの中南部、海に面したエーヤワディー川の三角州地帯にできたミャンマー最大の都市がヤンゴンです。
2006年まではミャンマーの首都でした。
民主化したミャンマー時代には、経済開放政策で多くの国が進出した都市です。
たくさんの高層建築が立ち並び、人々でにぎわう街です。
ミャンマーの玄関口となる都市です。



インレー湖

ミャンマーの中東部。
シャン高原にあるインレー湖とその周辺もまたミャンマーを代表する観光地です。
そこには湖と共に暮らす人々の生活を見ることができたり、周辺の山岳少数民族の生活も見ることができます。


いかがだったでしょうか。
今回はミャンマーの国情報と、同国を代表する都市や地域を紹介してきました。
当ブログでも、数多くのミャンマーの見どころを紹介しています。
今思うと、非常に限られた外に開放された時期に、運よく同国を訪れることができたのだな、と改めて思います。
まだまだ訪れていないところがあったところで、次はいつになるのかと心配になるところですが、遠くない未来に再びミャンマーを訪れたいと願っています。