お城を見るときの醍醐味とは、大半の人が城郭内でひときわ目立つ天守でしょう。
これまでも数々の天守を取り上げてきたように、城のシンボルであることはもちろん、天守=城と思っている人も多いくらいでしょう。
しかし、天守だけではなく、櫓や門、御殿などの建物。
複雑な城を構成する曲輪。
そういったものをすべてひっくるめて”城“なのですね。
では、そんな城の中でもシンボリックな天守ではありますが、この天守は何をするための物だったのでしょう。
そんなときに、こういった回答が返ってくることでしょう。
『城主が住んでいた場所!!』
では天守とは何のための物か?
その役割はいくつかあるのですが、政務の場所であったり、防御施設であったり、自らの力を誇示するためのシンボルとしての役割なのです。
あれ?
じゃあ城主はどこで暮らしているの??
それこそが、城の中にある御殿なのです。
現存十二天守のように天守はフィーチャーされがちですが、御殿もその歴史的価値がとても高い場所なのです。
というわけで、今回のわきみちは、
御殿とは
どこの城でもほとんどで城域内には御殿と呼ばれる建物が設けられていました。
ではこの御殿とはどういった建物なのでしょうか。
城で一番目立つのはなんといっても天守です。
ところが、この天守は生活の場ではないのです。
毎日毎日城主はこの天守にいるわけではありません。
本来は戦いの建物として造られている天守は、戦国の世であればまだしも、天下泰平の世の中になればそれほど必要ではない建物なのです。
城主の中には、天守に登ったこと自体が生涯で数えるほど、といったこともあったようです、
しかし、何事にも例外はあります。
誰も住まなかった天守。
住んでいた城主もいるのです!
城には天守が、というトレンドを作り出した織田信長です。
彼だけは天守で生活をした城主なのだそうです。
では、城主はどこで生活をするのか?
それが御殿なのです。
御殿は、主に天守などと同じ本丸内に設けられた本丸御殿や、二の丸、三の丸などそれぞれの郭に建てられた二の丸御殿や酸の丸御殿等々、それぞれ設けられた場所に応じた名前が付けられていることがほとんどです。
そして、天守とは異なり、生活することをその用途としているため平屋建てになっていることがほとんどです。
御殿では、城主が生活する場であったこと共に、城主が政務を行った場所でもありました。
御殿の表(表向)は城主が政務を行った場所であり、来客を迎える場所であった表御殿を中心に構成されています。
現代の応接間の役割を持っていたため、豪華な装飾が施されていました。
表に対応するのが奥(奥向)です。
ここは城主一族のプライベート空間です。
江戸城にあった大奥は有名ですよね。
そしてこの表と奥をつなぐところに中奥と呼ばれる公私を兼ねた場所があり、当時の人々が憩いのひと時を過ごすような施設も設けられていたのだそうです。
このように、御殿とは、城そのものをを運営するために欠かせない場所であったのです。
現存4御殿
現存十二天守のように、御殿にも現存している場所が4か所あります。
現存天守に比べると数は少ないですが、当時の人々の生活の姿が見られる場所として、天守同様に歴史的価値の高い場所です。
二条城 二の丸御殿

1つめが、徳川慶喜によって江戸時代が終焉を大政奉還が行われた場である京都府二条城の二の丸御殿です。
高知城 本丸御殿
2つめが高知県にある高知城の本丸御殿です。
掛川城 二の丸御殿
3つめが静岡県掛川城にある二の丸御殿です。
川越城 本丸御殿
最後4つ目が埼玉県川越城にある本丸御殿です。
これら以外にも、名古屋城のように御殿が復元されている場所もあったり、今後復元が計画されている場所も多々あったりします。
いかがだったでしょうか。
また城を見るときの見どころが一つ増えたのではないでしょうか。
多くの人は天守を見たときに、「ここで生活をするのは大変だっただろうなあ・・・」
と思ってしまうかもしれません。
それは当時の人々にとっても同じなのです。
それを知ったうえで、天守や御殿を見てみると、それぞれの建物がそれぞれの役割を担っていたのだなあということを感じながら、見ていくことができるのではないでしょうか。