東南アジア諸国のほとんどは、長い期間欧米列強の植民地時代を経て、独立を果たし、今現在のそれぞれの国々につながっている国がほとんどです。
欧米列強からの支配を受けなかったのは、緩衝地帯としてうまく立ち振る舞ったタイだけであり、それ以外は植民地となりました。
フランスやオランダ、ポルトガルやイギリス、そしてアメリカなどの国々が次々と東南アジアの地域には侵出してきました。
そして、タイ(当時はシャム)の支配下にあったカンボジアも、70年ほどフランスからの支配を受けていました。
苦難の時代を経て、ようやく1953年に独立を果たしたカンボジアは、カンボジア王国、その後クメール共和国となります。
そして、クメール・ルージュによる支配の民主カンプチア時代を経て、現代のカンボジア王国となります。
そんなカンボジアがフランスから独立したことを記念してつくられたのが、首都プノンペンにある独立記念塔です。
ノロドム大通りとシハヌーク大通りという二つの主要道路の交差点に立つこの独立記念塔は、フランスからの独立後にそのことを記念して建てられ、60年ほどプノンペンの移り変わりを眺め続けているのです。
というわけで、今回のわきみちは、
カンボジアのプノンペンに関する記事です。





独立記念塔
独立記念塔は、カンボジアの首都プノンペンにある市のシンボル的な建造物です。
ノロドム大通りとシハヌーク大通りという、プノンペンを代表する2本の大通りが交わる交差点に建てられています。
これは1953年にカンボジアがフランスから独立したことを記念に1958年から4年の歳月をかけて建造されました。
また、カンボジアの戦争による犠牲者を弔うための碑としての役割も持っています。
独立記念塔の東側には東西に大きな公園があり、地元の人々がおもいおもいに運動を楽しんでいる憩いの広場となっています。
有名なカンボジア人の建築家ヴァン・モリヴァン氏によってデザインされたその外観は、クメール様式の寺院でよくみられるスタイルです。
37mの高さがある塔は赤褐色の石造りとなっており、塔蓮の形をした仏舎利塔の形をしており、5段になっているそれぞれを蛇の神ナーガが取り囲むデザインとなっており、アンコール遺跡にある中央祠堂の尖塔などで見られるデザインです。
プノンペンで行われるカンボジア全国的な祝賀会はこの独立記念塔で行われています。
塔の内部には儀式用の台座などが用意されており、儀式の際には儀式用の炎が照らされて、多くの花々で彩られます。
普段は一般の観光客や地元の人々など見学やジョギングの途中などに多く訪れる場所です。
夜になると投光器によってライトアップされます。
独立記念塔の後ろにはノロドムシハヌーク記念碑が2013年に建てられました。
アクセス
プノンペンの王宮から南西に1.5kmほどの場所にあります。
独立記念塔 行ってみた
それでは 独立記念塔 へ行ってみましょう。

王宮から南にあるワットボトムパークを南下します。
公園内には、プノンペンの一般市民の人々や、観光客などがおもいおもいのことをして過ごしています。
王宮周辺はプノンペンの中でも中心となるスポットであるため、リバーサイドも併せて非常ににぎわっています。
しばらく進むと、東独立記念碑公園にたどりつきます。
東独立記念碑公園を次は西に向かって真っすぐ進んでいくと、独立記念塔が見えてきます。

こちらが独立記念塔です。
ノロドム大通りとシハヌーク大通りの交わる環状交差点の中央に建てられています。
この時は遠景から写真だけですが、周囲を走る車やバイクなどと比較してみるとかなりの大きさがある塔であることがわかるでしょうか。
カンボジア国旗が掲げられているように、国の大きな行事の式典などがこの場所で行われているほど、プノンペンを代表する場所となっています。
夜間にはライトアップされますが、残念ながら写真が残っていませんでした。
いかがだったでしょうか。
カンボジアといえばどうしてもシェムリアップに注目がいきがちですが、プノンペンには近代の歴史を物語っている建造物がたくさん残されています。
カンボジアという国がどのような歴史をたどって、数々の苦難を乗り越えて今日を迎えているのか。
アンコール時代とは違ったカンボジアの表情を見ることができる街なのです。
カンボジアを訪れる際には、近代の歴史と現代の発展し続けるカンボジアを感じることができる街として、プノンペンをまずは訪れてみてから、さらにシェムリアップなどのアンコール時代を感じられる街へ移動するといったプランで訪れてみてはいかがでしょうか。