前回はマチュピチュの山麓に広がるマチュピチュ駅までの行程について紹介してきました。
今回は、マチュピチュ観光の拠点になる山麓の町、マチュピチュ村について紹介していきたいと思います。
大半の人は、マチュピチュ村に到着後、食事などをしてからそのまま山頂のマチュピチュまで行ってしまうことでしょう。
そのため村そのものに注目する人はそこまでいないのではないでしょうか。
しかし、この山麓の村を活用することで、マチュピチュのさらに別の表情を見ることができてしまうのです。
また、この村そのものにもいろいろな見どころがあったりもするのです。
では、山奥にあるこの小さな村、どのような場所なのでしょうか。
マチュピチュの紹介直前である今回は、この村に注目してみましょう。
というわけで、今回のわきみちは、
ペルーに関する記事です。








マチュピチュ
誰もが知っているほど超有名な世界遺産マチュピチュ。
山頂の天空に造られたこの古代遺跡は、世界中の人々を魅了し続けています。
ところがこのマチュピチュ、たどり着くまでが非常にハードルが高いです。
日本から地球の裏側ほどのところにあるペルーまで訪れ、そこから高山都市であるクスコまで移動。
さらには、ゆったりとした電車に揺られながら4時間。
ようやく到着かと思いきや、まだまだマチュピチュのある山頂まで登らなければいけないという長い長い道のりです。
そのような長い道のりなので、マチュピチュまでの最後の一息、山麓にあるマチュピチュ村でゆっくりしましょう。
このマチュピチュ村ですが、マチュピチュに訪れた人が必ず通過する人口3000人ほどの小さな村です。
ここから遺跡に向かって入山するとあって、訪れる人々をもてなすためのレストランや土産物店、宿泊施設などがあります。
ペルーの伝統的な民芸品や、アルパカの毛を使った製品などもたくさんあります。
そして、温泉地でもあるため体を癒すこともできるのです。
ただし日本とは違って水着着用が必須です。
そんなマチュピチュ村ですが、地図ではもともとの名前であるアグアスカリエンテスという名前で表示されることもあります。
この名前そのものが温泉地を表しており、メキシコにも同じ名前の町があります。(圧倒的にメキシコの方が有名です。)
実はこのマチュピチュ村ですが、日本ともつながりがあるのです。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本からペルーへの移民が多数いました。
そんな中にいた一人である野内与吉氏は、マチュピチュまで敷かれた鉄道建設を行ったことを機にしてマチュピチュ地域に移住し、マチュピチュが村になったときに初代尊重となりました。
自身が興したホテルを中心に村づくりを行っていったため、マチュピチュ村にはどこか日本と同じような雰囲気を感じます。
早朝観光にはマチュピチュ村
そして、マチュピチュの早朝観光をしたい人は、このマチュピチュ村で宿泊するのが必須です。
5:30からシャトルバスは出ているので、それに乗り早朝のマチュピチュに入ります。
また、マチュピチュには、さらにその先にあるワイナピチュという山があります。
ここに登ると、マチュピチュを上から眺め下すことができるというとんでもない体験ができます。
ただし、このワイナピチュには一日400人の入山制限があり、そのチケットを入手することはかなり難易度が高くなっています。
マチュピチュ村からマチュピチュまではシャトルバスで登ることになります。
ジグザグとなった道を約30分かけて登っていきます。
次回はいよいよマチュピチュ遺跡に入っていきたいと思います。
アクセス
マチュピチュ村は、クスコから鉄道で約4時間で到着します。
マチュピチュへ行ってみた
それでは、マチュピチュ村へ行ってみましょう。

こちらがマチュピチュ村です。
どこか日本の温泉街の雰囲気を感じませんか??

しかし、見上げてみると周囲は山々がそびえたっています。
マチュピチュ村自体も2000mほどの高さにある村ですが、そこからさらに上があるのです。

世界的な観光地なので、小さな村ではありながら必要なものはほぼそろっています。
買い物にもぴったりな村です。

村の広場にあるクスコ王国の9代皇帝パチャクテクの像です。

レストランも多数あります。

ペルー料理が食べられます。
村の中にはアルパカ肉を提供しているレストランもあるそうです。

それではシャトルバスに乗ってマチュピチュに向かいます。

どんどん標高が高くなりますね。

とうとうマチュピチュの入り口ゲートに到着です。
次回はいよいよマチュピチュ遺跡に入っていきます。
いかがだったでしょうか。
自分が訪れたときは、マチュピチュ村に宿泊ではなかったのですが、次に行く機会があれば、この村で宿泊して、早朝のマチュピチュ、早朝のワイナピチュに挑戦してみたいなと思います。