Blog更新550回達成しました。
今後ともよろしくお願いいたします。
今回は50回ごとに行っているアクセス数調査です。
No476~No.525の50記事のアクセス数で調べました。
最近は日本の名所に関して書いた記事へのアクセスが良く見られます。
この頃は日本の記事の量も増えてきていますので、これからもお気軽に見ていただければと思います。
というわけで、今回のわきみちは、
お伊勢参りの時にはかかせない『おかげ横丁』
最初の記事はおかげ横丁についての記事です。
三重県伊勢市にあるおかげ横丁は、伊勢神宮内宮から続く800mもの長さがある門前町であるおはらい町の中ほどにある、赤福本店に正面にある 江戸時代から明治初期ごろの街並みが再現され た49店舗のお店が軒を連ねる横丁です。
そのため、お伊勢参りが終わった後には、おはらい町とおかげ横丁でほっと一息、というのが大人気の観光スポットとなっています。
そんなおかげ横丁は、それほど古いものではなく当時は下火になっていたお伊勢参りを再び活性化させるべく、平成5年(1993)に伊勢名物の株式会社赤福の子会社である伊勢福によって運営が開始されました。

アイヌの暮らしがわかる『阿寒湖アイヌコタン』
次は、阿寒湖アイヌコタンの記事です。
北海道は釧路市の阿寒湖南に、阿寒湖アイヌコタンという集落があります。
ここは、アイヌに伝わる文化を今もなお伝え続けている集落であり、現在もまだ36戸120名にのアイヌ民族が暮らしています。
北海道の大自然の中で暮らしていたアイヌ民族の人々は、森や川で野生の生き物を狩り、土地から得られる豊かな自然を採集しながらこの地で生きてきました。
しかし、明治政府によってアイヌ民族はと日本人と強制的に同化させられる同化政策がとられたため、伝統的な生活や習慣や文化は段々と薄れていってしまいました。
ところが、そんな薄れかけていっていたアイヌの文化や伝統を今もなお受け継いでいこうとする人々がまだまだ多くいるのです。
阿寒湖アイヌコタンは、もともとはここには大きなコタン(集落)があったのではなく、阿寒湖周辺に点在していた中小コタンをこの場所にあつめて阿寒湖アイヌコタンとして形成されました。

日本を代表する城郭であったものの儚い夢と消えた『大阪城』
次は、大阪城です。
大阪城は現在の大阪市にある城です。
その昔、織田信長の時代には、石山本願寺という寺がこの場所にはありました。
織田信長との長い対立ののち明け渡されたこの地には、豊臣秀吉によって大坂城が建てられました。
初代天守は現在の物とは外観は全く異なり、一回り小さく黒漆が塗られていた黒い外観でした。
大阪は太閤秀吉によって造られた町だ、というイメージがあるのですが、この秀吉時代の城郭や町並みは大坂冬の陣、大坂夏の陣によって消失してしまいました。
わずか31年間だけ存在して秀吉の大阪なのですが、いまだに大阪の人々の中には大阪は太閤さんの街という意識が強いのです。
その後、江戸幕府2代将軍である徳川秀忠によって豊臣秀吉時代の石垣や郭などは埋められ、その上に新たな二代目大坂城天守が建造されました。
その際に、大坂の陣によって荒廃してた城下町も再建されていきます。
そんな二代目天守も築城から40年後に落雷によって焼失。
現在の天守は三代目天守であり、1931年の昭和時代に二代目徳川時代の大坂城が建っていた天守台の上に建てられた鉄筋コンクリート製のものです。
近年は、豊臣秀吉時代の石垣が発掘され一般の人々が見ることができるような施設などを設けることが計画されています。

人々の生活を支えるタイの伝統『水上マーケット』
次は、タイの水上マーケットについての記事です。
タイでは、古くから庶民の生活の場として水運が整備され、様々な物流が行われてきました。
そういった地域ではその水運を生かした水上マーケットが形成され、現在では観光客向けに営業が行われています。
陸運でやり取りを行うよりも、川の支流などを生かした運河網を利用することで、農産物や水産物などを効率よく水運によってやり取りすることができたため、独特な水場市場文化が発達しました。
その中でもタイの水上マーケットですが、代表的な3つの水上マーケットが現在もなお賑わいを見せており、その中からバンコクから南西に向けて約80kmにところにダムヌーン・サドゥアク水上マーケットについて取り上げてみました。

アジア最後のフロンティア『ミャンマー』
最後は、アジア最後のフロンティア国ともいわれている、ミャンマーです。
ミャンマーはここ数年は、先進国による企業進出が頻繁でした。
世界遺産登録なども相次ぎ、国際社会に進出を始めたところでした。
ところが2021年に入り軍部のクーデターによって軍事政権に逆戻りしてしまいました。
1960年代ころから長く軍部による軍事政権が行われていたミャンマー。
このミャンマーという国名も軍政側によってビルマから変えられた名前です。
現在の同国内では民主化のデモ活動が頻発し、多くの犠牲者も出ています。
これらの状況はまだまだ改善の見通しがたっておらず、内戦として激化していくことが懸念されています。
しかし、そんなミャンマーという国はとても魅力あふれる国です。
いつかまた自由に往来ができることを信じて。

最近は城関係の記事が減ってきているのでアクセスランキングでも減ってきましたね。
城そのものよりも、城ノウハウに関する記事が最近は多いので、そういった方向でも今後は充実させていきたいと思います。
今後も継続して更新を続けていきますので、よろしくお願いいたします。