四方を海に囲まれた国、日本。
海沿いの町には決まって港があるわけです。
そんな日本の中には、日本を代表する港町もたくさんあるわけですね。
港は古くから様々な国々との貿易に使われてきた場所でした。
そのため、貿易でやり取りする品々を保管しておくための倉庫が大切になってくるわけです。
現代の港にある倉庫では、最新鋭の冷凍設備などが完備されたものや、耐震性や素材からこだわって造られたものが多いのではないかと思います。
しかし、日本が国交を開いた明治期には、同じく活発になる諸外国との貿易のために、たくさんの倉庫設備が必要だったのです。
しかし、当時倉庫を作る素材となったものはレンガでした。
そのため、当時建てられたレンガ造の倉庫はその役目を終え、新たな近代的な倉庫にその役割を映してきました。
では、その残されたレンガ造の倉庫はどうなるのか?
それを新たな観光に活用しようとする動きが日本各地であるのです。
有名なのが横浜の赤レンガ倉庫ですね。
あそこは、完全にもう横浜の主要な観光地としての地位を確立していますね。
そして、横浜と双璧を成す神戸の港にも神戸煉瓦倉庫と呼ばれる場所もありますし、その近くの大阪にも赤レンガ倉庫があって、若手によって新たに活用されてきています。
そして今回紹介しているのは、日本の北にある函館の赤レンガ倉庫、金森(かねもり)赤レンガ倉庫を紹介したいと思います。
明治期に建てられたこちらの倉庫ですが、もちろんその本来の倉庫としての役割は終えています。
その代わりに多数の店が中に入り、ショッピングモールとして地元の人々や観光客に愛され続けているのです。
というわけで、今回のわきみちは、
北海道絡みの記事です。




















金森赤レンガ倉庫
金森(かねもり)赤レンガ倉庫は、北海道の函館市にある明治期から残る赤レンガ倉庫群です。
もともとは函館の港で盛んにおこなわれていた海運業で使われていた倉庫群でしたが、現在は、ショッピングモールやレストランが入居する一大観光名所となっています。
金森赤レンガ倉庫のあるこの場所は、幕末に埋め立てられた土地にあります。
そしてここに倉庫群が建てられたのが明治中期ごろであり、大分県からこの地に渡ってきていた渡辺熊四郎が事業を拡大するために、このあたりの倉庫などを買い取り営業倉庫業を始めたのが始まりです。
当時は徐々に海運業が栄えていき、それに伴って倉庫の数が足りず、たくさんの倉庫が増築されていました。
その当時の倉庫の建材には壁面にはレンガが、屋根には瓦が使用された和洋折衷のような装いの倉庫でした。
ところが、明治40年にこの地を襲った大火災によって、金森倉庫群も大きな被害を受け、約1/3が消失してしまいます。
その後は、燃焼しにくい素材を用いるなどして倉庫は再建され、大正・昭和に至るまで函館の倉庫業の中心的役割を担ってきました。
ところが、昭和後期になると、輸送形態が大きく変化していったこともあり、倉庫業としてこれらの倉庫群を維持管理し続けることが難しくなっていました。
しかし、明治期から建つ倉庫群そのもにも伝統的価値が見られたことから、これらの倉庫を使って、様々な業態の店舗が出店するようになります。
運河を囲むように配置され、商業施設が入る、BAYはこだて。
金森洋品店に由来する名前を持ち、カフェや生活雑貨を取り扱う店が集まる、金森洋物店。
開放的な空間を利用した函館ビヤホールで有名な、函館ヒストリープラザ。
また、コンサート会場などに使われる金森ホールなど、市民の人々が気軽に利用することができるエリアとして今日までにぎわい続けています。
もちろん、倉庫業もまだ引き続き行われています。
アクセス
函館市電の十字街停留場から徒歩2分で到着します。
金森赤レンガ倉庫に行ってみた
それでは、金森赤レンガ倉庫へ行ってみましょう。

こちらが金森赤レンガ倉庫です。

港に沿って立ち並ぶ光景が、港町函館を象徴しています。
上の写真のすぐ左に見えるのがBAYはこだてです。

運河を囲むように配置されたBAYはこだては、夜になるとライトアップされ、また一段と良い雰囲気になるようです。

倉庫の前面に見えるのが金森のマークであり、曲尺の形を”かね”+森と呼ぶので、金森(かねもり)と呼野が正解なのだそうです。


倉庫群の前の道も石畳のようになっていて雰囲気が抜群ですね。




近隣には函館西波止場という、複合商業施設もあります。
こちらは、最近建てられた建物のようです。

いかがだったでしょうか。
港町函館を象徴する観光地ですが、かなりたくさんのお店などの見どころが多く、夜になるとそのライトアップされた姿も見どころになります。
年間200万人近くも訪れる場所であり、函館観光ではまず外すことができない場所でしょう。