ウズベキスタンの世界遺産都市ブハラ。
これまでも何度も紹介してきた町ですが、まだまだ見どころの多い町です。
以前紹介したブハラで最も大きなモスクであるカラーン・モスク、そしてそれに付随するカラーン・ミナレットですが、このあたりにはこれら以外にも巨大な建造物が残されているのです。
その一つが、今回紹介しているムスリムの神学校、メドレセです。
このメドレセは、ミル・アラブ・メドレセという巨大な建造物であり、ブハラで重要な役割を担った学びの場でした。
ブハラに数多く存在するメドレセですが、その多くは本来の役割を終え、古い建物を利用して観光客に向けた施設へと変貌を遂げています。
しかしそのような中で、現在もなお、難関な試験を突破した神学生たちが学び続ける現役のメドレセなのです。
そのため、内部の見学はできないのですが、建造から500年近く経つ、伝統ある建物をぜひ見に行ってみましょう。
というわけで、今回のわきみちは、
ウズベキスタンに関する記事です。









ミル・アラブ・メドレセ
ブハラ中心部から、交差点バザールであるタキをこえて、北にあるカラーン・ミナレットに面した巨大な建物がミル・アラブ・メドレセという神学校です。
神学校とは、ムスリムのための学校であり、7年の教育年限の中で、経典であるコーランやイスラム法、アラビア語を住み込みで学ぶための教育施設です。
このブハラにはメドレセと呼ばれる建物がかつては多数あり、現在でも残っているところも多いのですが、このミル・アラブ・メドレセは数少ない現在でも神学校として運営が続けられている学校の一つです。
また、20世紀前半からは、図書館としても利用されている施設でもあります。
もともとは1536年という今から約500年ほど前に建てられた建物であり、当時のウバイドゥッラー・ハンという王の資金で建てられたのだそうです。
その際に資金を調達するために、ハンが抱えていた3000人以上のペルシャ人奴隷を売却してできた資金でつくられたのだそうです。
その建築様式は素晴らしく、美しい装飾も際立つ建物です。
中央の巨大なアーチを持つ入り口の両サイドには、まぶしいほどの青色をしたドームを2つもっています。
また、その装飾は、青と白のモザイクタイルを組み合わせて作られた装飾になっており、末期のティムール様式になっています。
過去には若干損壊したこともあるそうなのですが修復も行われ、現在はほぼ創建のころと違わぬ完全な姿を見ることができています。
建物は、1階が講義が行われる教室や図書館、食堂などの学校生活を行うための場となっています。
そして、2階には神学生たちが寝食を行うための寄宿舎になっています。
ミル・アラブ・メドレセが経てきた数奇な運命として外せないのが、旧ソビエト連邦時代のここの存在です。
社会主義であったソビエト連邦は、宗教を否定する立場の国家運営を行います。
しかし、そのようなソビエト連邦下においても、ムスリムの神学校として開校を認められていた数少ない場所でした。
一説によると、ティムールによる呪いを恐れたスターリンによって、神学校としての存続が続けられたという話もありますが、真偽は定かではありません。
アクセス
ブハラの中心にある池、ラビハウズから北西に600mほどの場所にあります。
カラーン・モスクの真正面にあります。
ミル・アラブ・メドレセへ行ってみた
それでは、ミル・アラブ・メドレセへ行ってみましょう。
内部には入ることができないので残念ながら写真は2枚だけです。

こちらがミル・アラブ・メドレセの正面です。
写真に写っている人々と比べてみると、正面にあるアーチの大きさがどれほどのものか写真からでも伝わるのではないでしょうか。
そして、それを挟むように建てられている青いドームが際立っていますね。
現役で使われている神学校であるため、古くから伝わる荘厳さがありつつも、今もなお生き続けている感を受ける建物です。

横から見てみたところです。
内部には入れなにのでなんとか見えるところはないのか、と思いましたが、残念でした。
しかし、これだけ歴史と伝統ある場所で学ぶことができるということは、かなりのステータスなのではないかと思いました。
いかがだったでしょうか。
今回はブハラに数多く残るメドレセの中でも、現役で残る神学校を紹介してきました。
中には入ることができないのが残念ではあるのですが、外観を見るだけでも価値のある場所なのです、カラーン・モスク、カラーン・ミナレットに行くときに合わせて見てはいかがでしょうか。