589【ウズベキスタン紀行】16世紀から続き、ソビエト時代にまで神学校として使われ続けた『ミル・アラブ・メドレセ』

世界の世界遺産(World Heritage)
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ウズベキスタンの世界遺産都市ブハラ
これまでも何度も紹介してきた町ですが、まだまだ見どころの多い町です。

以前紹介したブハラで最も大きなモスクであるカラーン・モスク、そしてそれに付随するカラーン・ミナレットですが、このあたりにはこれら以外にも巨大な建造物が残されているのです。
その一つが、今回紹介しているムスリムの神学校、メドレセです。
このメドレセは、ミル・アラブ・メドレセという巨大な建造物であり、ブハラで重要な役割を担った学びの場でした。

ブハラに数多く存在するメドレセですが、その多くは本来の役割を終え、古い建物を利用して観光客に向けた施設へと変貌を遂げています。
しかしそのような中で、現在もなお、難関な試験を突破した神学生たちが学び続ける現役のメドレセなのです。
そのため、内部の見学はできないのですが、建造から500年近く経つ、伝統ある建物をぜひ見に行ってみましょう。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 建造から500年近くが経ち、苦難の時代を乗り越えてきてもなお現役の神学校であり続けるミル・アラブ・メドレセを見に行ってみよう。

ウズベキスタンに関する記事です。

723【ウズベキスタン紀行】怪しい夜のライトアップで、昼間とは異なる遺跡の姿が見れる、夜のブハラ散策
ブハラはブハラでも、昼間のにぎやかな様子ではなく、夜の静かな街中を歩いてみたときのことを書いていきたいと思います。世界遺産都市として、数多くの建造物が残るブハラ。そんな建物群ですが、夜になると様々な色にライトアップされます。ライトアップされた建物は、昼間に見えていた様子とはまた一味違います。
567【ウズベキスタン紀行】ブハラの中心にあって、どこに行くにもここを行きかうことになる交差点バザール『タキ』
ウズベキスタンのブハラの町の中央には、いつも人の集まるとある建物があります。東西に延びるブハラの町の中心にある交差点に建てられたこの建物は、店の集まるバザールなのです。タキというこの交差点バザールは、その抜群の立地を生かして絶えることのない人の流れがあり、いつもそれぞれの店がにぎわっているのです。
505【ウズベキスタン紀行】ブハラにたつ巨大なミナレットであるカラーン・ミナレットはここのためにあるのです『カラーン・モスク』
今回は、以前紹介したブハラにあるカラーン・ミナレットの紹介記事の続きになります。ブハラでも最古と言ってもいいほどの約900年ほどもの歴史を持つカラーン・ミナレットでしたが、このミナレットは、ブハラでも重要な金曜モスクであるカラーン・モスクのための施設として造られた建物でした。
498【ウズベキスタン紀行】泉が湧き出た伝説が残り、今もなお水が湧き出続けている『チャシュマ・アイユブ』
様々な建造物の残るブハラの町の北西端には、丸い屋根のドームや円錐形のドーム、それが一つの建物の上に立ち並ぶアンバランスな建物が見えてきます。ここは、チャシュマ・アイユブという建物であり、預言者ヨブの伝説が残る場所なのです。
492【ウズベキスタン紀行】モンゴル来襲で破壊されず、9世紀建造のまま残るサーマーン朝の霊廟『イスマイール・サーマーニ廟』
これまでにブハラの建造物をたくさん紹介してきましたが、そのほとんどが13世紀のモンゴル軍の来襲によって破壊しつくされてしまっています。しかし、そのような中で今回紹介しているイスマイール・サーマーニ廟は破壊を免れ、今も9世紀ごろに造られたままの姿で残る、中央アジアで最古のイスラム建築なのです。
477【ウズベキスタン紀行】ブハラにて、20世紀前半に発掘されるまで深い砂の中に埋もれていた『マゴキ・アッタリ・モスク』
これまでブハラにある建造物では、メドレセ(神学校)や、それに付随する建物を中心に紹介してきましたが、イスラム教国家であるウズベキスタン。もちろんモスクも多数存在します。そんなモスクの中で今回紹介するのが、マゴキ・アッタリ・モスクです。
470【ウズベキスタン紀行】力ずくで造られたとの伝説もある、メドレセやハナカに囲まれた街中のオアシス『ラビハウズとその周辺』
ブハラ観光でホテルを出発して最初の起点になるのが、この巨大な人工池であるラビハウズではないでしょうか。まずこの周囲には有名なメドレセやハナカなどが建ち並んでいます。ここから西のタキやさらに北に行ったところにあるカラーン・モスクやアルク城のあたりへと進んでいくことになるでしょう。
458【ウズベキスタン紀行】サマルカンドにあるティムールとその家族の霊廟『アムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)』
今回紹介しているアムール・ティムール廟(グーリ・アミール廟)は、その名の通りティムールを葬っている廟です。ティムールはモンゴル軍によって破壊しつくされたサマルカンドを復興させよみがえらせたのが英雄でした。現在のサマルカンドに残る建造物のほとんどは、このティムール以降の物なのです。
082【ウズベキスタン紀行】旅に慣れてきたころが注意時 だまされるだろうなと思ったら案の定だったブハラの町
ウズベキスタンのブハラは、乾燥地帯の中のオアシスに作られた都市です。歴史ある建物も多く、ヒヴァやサマルカンドとはまた違った趣のある街です。観光するにも比較的安全な地域ではありますが、やはり旅人としては最低限気を付けなければいけなことはあるのです。

ミル・アラブ・メドレセ

ブハラ中心部から、交差点バザールであるタキをこえて、北にあるカラーン・ミナレットに面した巨大な建物がミル・アラブ・メドレセという神学校です。
神学校とは、ムスリムのための学校であり、7年の教育年限の中で、経典であるコーランやイスラム法、アラビア語を住み込みで学ぶための教育施設です。
このブハラにはメドレセと呼ばれる建物がかつては多数あり、現在でも残っているところも多いのですが、このミル・アラブ・メドレセは数少ない現在でも神学校として運営が続けられている学校の一つです。
また、20世紀前半からは、図書館としても利用されている施設でもあります。

もともとは1536年という今から約500年ほど前に建てられた建物であり、当時のウバイドゥッラー・ハンという王の資金で建てられたのだそうです。
その際に資金を調達するために、ハンが抱えていた3000人以上のペルシャ人奴隷を売却してできた資金でつくられたのだそうです。

その建築様式は素晴らしく、美しい装飾も際立つ建物です。
中央の巨大なアーチを持つ入り口の両サイドには、まぶしいほどの青色をしたドームを2つもっています。
また、その装飾は、青と白のモザイクタイルを組み合わせて作られた装飾になっており、末期のティムール様式になっています。
過去には若干損壊したこともあるそうなのですが修復も行われ、現在はほぼ創建のころと違わぬ完全な姿を見ることができています。

建物は、1階が講義が行われる教室や図書館、食堂などの学校生活を行うための場となっています。
そして、2階には神学生たちが寝食を行うための寄宿舎になっています。

ミル・アラブ・メドレセが経てきた数奇な運命として外せないのが、旧ソビエト連邦時代のここの存在です。
社会主義であったソビエト連邦は、宗教を否定する立場の国家運営を行います。
しかし、そのようなソビエト連邦下においても、ムスリムの神学校として開校を認められていた数少ない場所でした。
一説によると、ティムールによる呪いを恐れたスターリンによって、神学校としての存続が続けられたという話もありますが、真偽は定かではありません。

アクセス

ブハラの中心にある池、ラビハウズから北西に600mほどの場所にあります。
カラーン・モスクの真正面にあります。

ミル・アラブ・メドレセへ行ってみた

それでは、ミル・アラブ・メドレセへ行ってみましょう。
内部には入ることができないので残念ながら写真は2枚だけです。

こちらがミル・アラブ・メドレセの正面です。
写真に写っている人々と比べてみると、正面にあるアーチの大きさがどれほどのものか写真からでも伝わるのではないでしょうか。
そして、それを挟むように建てられている青いドームが際立っていますね。
現役で使われている神学校であるため、古くから伝わる荘厳さがありつつも、今もなお生き続けている感を受ける建物です。

横から見てみたところです。
内部には入れなにのでなんとか見えるところはないのか、と思いましたが、残念でした。
しかし、これだけ歴史と伝統ある場所で学ぶことができるということは、かなりのステータスなのではないかと思いました。

いかがだったでしょうか。
今回はブハラに数多く残るメドレセの中でも、現役で残る神学校を紹介してきました。
中には入ることができないのが残念ではあるのですが、外観を見るだけでも価値のある場所なのです、カラーン・モスク、カラーン・ミナレットに行くときに合わせて見てはいかがでしょうか。