606【ペルー紀行】さあ、いよいよ世界遺産人気ナンバーワンの聖地へ。この壮大な光景は訪れた人しか味わえない『マチュピチュ』

世界の世界遺産(World Heritage)
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クスコから鉄道に乗り、長い時間をかけてマチュピチュ村へ到着。
そしてマチュピチュ村からつづら折りになっている山道をバスで登り、ようやくマチュピチュ遺跡に到着しました。
ここまでの長い道程を経てまで『来てよかった~』と思えるのが、世界ナンバーワン人気の世界遺産マチュピチュです。
一回の記事では紹介しきれなかったマチュピチュですが、いよいよ今回、遺跡そのものを紹介することで最終回を迎えます。

よくもまあ、こんな人の足で踏み入れることが難しいところに、これほどの町を造ったものだなあ、と人の力の限界のなさに、まさに脱帽です。
そのあまりにもの人気のために、遺跡保全の面からも入場制限がかかるマチュピチュなのですが、今後はさらに厳しくなるかも。
そんなマチュピチュ遺跡の様子を今回は紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 世界遺産の中でも人気ナンバーワンを誇るマチュピチュ。さあ、いよいよその内部に足を踏み入れてみよう。

ペルーに関する記事です。

549【ペルー紀行】世界遺産人気ナンバーワンの南米の聖地マチュピチュの山麓に広がる村。早朝から訪問したい人はここへ泊まろう『マチュピチュ村』
今回は、マチュピチュ観光の拠点になる山麓の町、マチュピチュ村について紹介していきたいと思います。大半の人は、マチュピチュ村に到着後、食事などをしてからそのまま山頂のマチュピチュまで行ってしまうことでしょう。しかし、この山麓の村を活用することで、マチュピチュのさらに別の表情を見ることができてしまうのです。
532【ペルー紀行】日本でもCMで一躍有名になったこともあるアルパカ。ペルーではそこらじゅうで見かけます
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523【ペルー紀行】世界遺産人気でも第一位のマチュピチュ。そこまで行くためには鉄道での長ーい旅が必要なわけで
いよいよ世界遺産で最も大人気なペルーにあるマチュピチュを紹介する記事を書いていこうと思うのですが、なかなか、一回だけでは書ききれません。今回は、クスコからマチュピチュへ向かった鉄道について書いていきたいと思います。
364【ペルー紀行】これぞインカ帝国の技術力。その技術によって造られた建造物は今もなお健在『12角の石(Twelve Angled Stone)』
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325【ペルー紀行】インカ時代の沐浴場。「聖なる泉」として知られる遺跡『タンボマチャイ』
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318【ペルー紀行】インカの建造物の強固さを際立たせる『アルマス広場とカテドラル』
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279【ペルー紀行】インカ文明の巨石建築の最高傑作ともいわれる『サクサイワマン遺跡』
インカ時代の建造物は、その堅牢さが際立っており、スペイン人の侵攻によって破壊されたもの以外では、自然災害などではびくともしないような堅牢さを誇ります。そんなクスコの北西にあるサクサイワマン遺跡は、現在もなおその素晴らしい姿を残し続けている遺跡なのです。

マチュピチュ

マチュピチュは南米ペルーの南部、クスコの町からウルバンバ川に沿って80kmほど南下した場所。
うっそうとしたジャングルに覆われた険しいウルバンバ谷に沿った山の尾根に、石造りの堅牢な都市遺跡です。
クスコの町よりかは標高が低いところにはなりますが、それでも海抜2400mの高さにあり、長く人目に触れられなかった謎の空中都市、それがマチュピチュなのです。

古くはインカの時代、だれが何のためにこのような人の入りを阻むような場所にこのような壮大な都市を造ったのかまだ解明されてはいませんが、 その建造は1450年ごろといわれています。
帝国第9代皇帝であったパチャクティの時代に造られ始めたといわれるこの都市は、王の離宮としての造られたのではないかと考えられています。
そのため、通常時はそれほど多くの人が暮らしていた都市ではなく、最大でも750人余りの住民しかいなかったのではないかと考えられています。

マチュピチュの造りは雨の多いこの地域のことをよく計算しつくされた構造となっており、都市の中に張り巡らされた100本を超える水路を設けることや、計算し整地されている土壌によって効率的に雨水が流れていくようになっています。
また、遺跡の背後に見える山はワイナピチュという山なのですが、ここにも神官の住居跡や、月の神殿といった遺跡が残されています。
また、ここに登ると、マチュピチュをはるか上から見下ろすことができるというとんでもない体験ができます。
ただし、このワイナピチュには一日400人の入山制限があり、そのチケットを入手することはかなり難易度が高くなっています。

しかし、建造にはとてつもない労力がかかったと想像できるマチュピチュですが、100年もたたないうちにその人口は減少し、16世紀中ごろまでには人々はマチュピチュを放棄して去っていきます
そして、マチュピチュという伝説の空中都市があったという言い伝えが残ったのです。
インカ帝国を滅ぼしたスペインの侵出後ででさえその存在は誰にも見つからない状態のままだったのでした。

そんなマチュピチュが歴史の表舞台に再び出てきたのは1911年のこと。
アメリカの探検家である、ハイラム・ビンガム3世によって発見されました。
ちなみにハイラムがマチュピチュを発見した来た時に登ってきたところは、現在は段々畑になっている断崖絶壁のところなのだそうです。(後程写真にも記載します。)
長く人々から忘れられていたこの都市遺跡。
しかし、発見時にはインカの高い技術力があってか、驚くほどの保存状態を保っていたのでした。

アクセス

マチュピチュ村までは、クスコから鉄道で約4時間で到着します。
マチュピチュ村からはバスで尾根にあるマチュピチュまで約25分かけて標高400mを一気に駆け上がります。

マチュピチュへ行ってみた

それでは、マチュピチュ村へ行ってみましょう。

バスに揺られること約25分。
つづら折りの道を超えると、マチュピチュ遺跡の入り口に到着です。

こちらが入り口のゲートです。
ここまでの道程が大変だったため、安堵感がすごいです。

入り口を抜けると、目の前には貯蔵庫が立ち並んでいます。

そして、山林を抜けて少し小高い見張り小屋のところに到着すると・・・

これです!
これを待っていたんです。

念願のマチュピチュに到着しました。

アルパカ(かな?)もお出迎えです。

段々畑(アンデネス)

段々畑(アンデネス)が見えます。
尾根の両サイドに広がる傾斜を巧みに利用しています。
このような場所にあるものの、こういった段々畑を利用してインカ帝国を支える食料が生産されていました。
マチュピチュの段々畑は、水はけや保水のために土壌が4層になるようになっており、そのために豊富な雨水を農作物の生産に効率的に利用できたのだそうです。

段々畑のすぐ下は断崖絶壁。
ここが探検家ハイラム・ビンガム3世が登ってきたところなのだそうです。
なぜにまたこんなところから・・・。

いろいろなところでアルパカが放牧?されています。

見張り小屋

マチュピチュの中では南の一段高い場所にある見張り小屋が見えてきました。
このあたりはマチュピチュを一望できるスポットです。

マチュピチュの市街地に向かって歩いていきます。
要塞のような石垣が見えてきます。

カリャンカ

カリャンカという、訪問者が休憩所として使っていたとされるエリアです。


市街地エリアに向けても段状に建物が建築されています。

市街地全貌です。

すぐ目の前の色がるのが石の加工などが行われていた作業小屋です。

市街地への門

市街地の入り口になります。
ここが正門であり、もともとは木の扉などが設置されていたと考えられる出っ張りやくぼみなどが見られます。

市街地に入っていきましょう。

石材加工作業小屋

斜面に立ち並んでいるのは石材の作業小屋といわれていますが、その内部の大きさ的には実際に何だったかは不明なのだそうです。

石切場

作業小屋のそばには石切場があります。
マチュピチュの建築に使われた石が切り出されていた場所です。
実際にマチュピチュ発見当時には、ここで採石が行われていたと考えられる道具類などの痕跡が残されていたのだそうです。
このような花崗岩がゴロゴロとした場所だったことも、マチュピチュがつくられた要因の一つでしょう。

壁と壁の間はこれだけ狭いところも。
マチュピチュは段々畑、市街地、居住区、王族の施設など、建物ごとの間が明確に区切られています。
それは、大雨による被害が広がらないように考えられたものだったそうです。

太陽の神殿

太陽の神殿と呼ばれているところです。
マチュピチュに残る建物の中で唯一弓型を描いています。

この写真から見るとそれほど大きくないような太陽の神殿ですが、反対側から見ると神殿の下に自然石の陵墓があって、その上に神殿が建っているようになっています。
陵墓は自然の洞窟を利用しているのですが、実際にここからはミイラなどは見つかっておらず、儀式に用いられた祭壇だったのではないかとも考えられています。

インカ王の別荘など

太陽の神殿の周囲には、王の別荘や王女の宮殿といった高貴な人々のための建造物が集まっています。

石切場方面に戻り、北の高台を目指します。

神聖な広場

北に歩いていくと神聖な広場という場所に出ます。
様々な神事が行われたのではないかと考えられています。

主神殿

主神殿というマチュピチュで最も大きな巨石を使っている建物です。
そのため、マチュピチュに数ある建物の中でも重要な意味のある場所だったのではないかと考えっれています。
三方向の壁には17の飾り棚が設けられており、かなり巨大な石が使われていることがわかります。

神官の館

こちらは神官の館であり、神官たちの待機場所であったのではないかと考えられています。

主神殿のエリアから居住区エリアを眺めたところです。

インティワタナ(日時計)

それではインティワタナ(日時計)を見に行ってみましょう。

こちらがマチュピチュの中でも最も高い場所にあるインティワタナ(日時計)です。
巨大な岩から掘り出されて造られたこの日時計の4つの角は、それぞれ東西南北を正確に向いています。
インティワタナという言葉は、太陽をつなぎとめる石という意味があります。
太陽暦を使っていたインカの人々にとって重要な場所でした。

高台にあるインティワタナ(日時計)のあるところからマチュピチュを見下ろします。
ここは360度マチュピチュを眺めることができる絶景スポットです。

ここからは西側の段々畑(アンデネス)が非常にきれいに見えます。

それでは居住区の方に向かっていきます。

メイン広場

このあたりはメイン広場であり、高貴な人々の建物が並ぶエリアと居住区の間に広がっています。

ワイラナ

奥に見えるのがワイラナという、ワイナピチュに向かう入り口の手前にある準備室です。
ここでは見張りがいたとされると建物と、管理棟として使われたとされる建物が向かい合っています。

聖なる石

聖なる石という巨石を加工して作った石です。
上の写真でも遠くに見えているヤナンティン山の形を模していると考えられています。
マチュピチュに住む人々にとって、山の神に祈りをささげることは大切なことだったのです。

ワイナピチュ入り口

その奥にはワイナピチュの入り口があります。
ここからさきは、さらに入れる人が限られており、運が良ければそのチャンスは巡ってくるかもしれません。

技術者たちの居住区エリアを歩いていきます。

3つの入り口の家

3つの入り口の家といわれているところです。
入り口が3つあり、同じ他造りの建物が並んでいます。
ここでは手工業や数々の学問の専門家などがそれを若い人などに教えていた場所ではないかと考えられています。

天体観測の石

天体観測の石といわれており、ここに水をはって月や星の軌道を観察したのだそうです。
しかし、長らくは、石臼の跡だと思われていたようです。

2階建ての家

2階建ての家という建物です。
斜面に沿って作られているため、1階だけではなく、2階からも出入りができたのだそうです。

コンドルの神殿

コンドルの神殿という場所であり、自然石と後から石を組み合わせて作った建物です。
床にある意思がコンドルの顔とくちばしになっており、背後にある石積みがコンドルが羽を広げたイメージになっているそうです。

上の写真の床にある石の先端がコンドルの頭になっていて、生贄のリャマをここにささげたのだそうです。

そうこうしているうちにマチュピチュを一周してきました。
入り口付近にあった貯蔵庫が見えてきました。

入り口いゲートに到着です。
ここからバスに乗ってマチュピチュ村に戻ります。

帰りのバスのお楽しみ。
頂上でバスに乗っていた少年が、バスを降りたかと思いきやマチュピチュ村直前で再びバスに乗車してきます。
どうも、マチュピチュ遺跡から村まで直線に降りることができる道があるのだとか。
最後まで楽しませてくれる遺跡でした。

いかがだったでしょうか。
誰もが期待を胸に訪れる素晴らしい遺跡ですが、その期待を全く裏切らない遺跡でした。
実際に遺跡内に入ってみると、どれも石造りのために同じように見えてしまうこともあるので、ぜひ事前に当ブログやいろいろな書籍なども参考にして前情報を得てから訪れることをお勧めします。
自分もまた機会があれば、次はワイナピチュを目指してみたいなと思います。