617【人物あれこれ】日本人はほとんど知らない。実はブルネイと日本を強固に結び付けた人物『木村強』

人物あれこれ(Person)
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当ブログでもたびたび取り上げている国なのですが、今回はブルネイの記事です。
東南アジアにあり、世界的にも裕福な国のブルネイですが、日本からあまり訪れる人はいません。
それ以上に、あまり知らないという人の方がほとんどではないかと思います。
しかし、実はブルネイと日本は長年にわたって非常に良好な関係を築いている国なのです。
実際に訪れてみると、そのような雰囲気をよく感じる国だなあというのがわかるかと思います。

では、なぜこのブルネイという国は日本と良好な関係を築いているのでしょうか?
もちろんそれには理由があります。
このブルネイのある場所も、長く欧州の植民地化政策によって苦しい生活を強いられてきた国です。
そんな東南アジアの状況を良くも悪くも変えたのが日本軍の進軍と、それによる新たな統治体制でした。
その時にとある日本人がこのブルネイの地を任されることになります。
その人物こそがブルネイ県初代知事の木村強氏でした。

果たしてこの人物はどのような人物で、今日に至るまでの両国の友好関係をどのようにして築いていったのでしょうか。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 現在のブルネイの基礎を確立させた木村強氏とはどのような人物で、氏の残した功績とはどのようなものだったのでしょうか。

ブルネイに関する記事です。

298【ブルネイ紀行】コンパクトな町に見どころの詰まった『バンダル・スリ・ブガワン』
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ブルネイと木村強

東南アジアはボルネオ島。
世界的にもここでしか見られない、3つの国の領土が一つの島の中に存在する場所です。
インドネシア、マレーシア、そしてブルネイの3か国がそうです。
この中でも東南アジアの小国ブルネイは、小国ながらも原油や天然ガス資源によって世界トップクラスに経済水準が高く裕福な国としても有名ですよね。
このブルネイという国なのですが、日本国内ではあまり訪れたことがあるという人も少なく、どちらかというとマイナーな印象を受ける国なのですが、非常に親日な国の一つなのです。
それは、昨日今日始まったことではなく、やはり歴史的な経緯があって今現在の両国の関係につながっているのです。

木村強氏

東南アジアの国々は、20世紀前半までその多くがヨーロッパの国々の統治下にある植民地でした。
もちろん今回書いているブルネイも例外ではなく、イギリスの植民地として非常に貧しい暮らしを強いられていた地域でした。
ところが、太平洋戦争がはじまり、当時の日本軍が東南アジアに進出し、この地域の統治権を得ていきます。
ブルネイも日本統治下には日本国ブルネイ県が置かれることになりました。
1942年にそのブルネイ県の初代知事として就任したのが日本人の木村強氏です。
木村氏はそれまでは行政の仕事をしていた人物ではなく、宮城県庁で要職を務めていた人物でした。

木村氏はブルネイの国王はじめ王族からブルネイの国内事情をくまなくリサーチし、様々な政策を進めていきます。
その際に木村氏はブルネイ人の秘書をつけてもらうことを希望し、一人のブルネイ人の青年オマル・アリ・サイフディンが秘書としてつくこととなります。
イギリス統治下のブルネイでは油田の開発が最優先事項。
そして、そこで得られた富は国民にはいきわたらない状態が恒常化しており、国民は貧しい生活を強いられていました。
ところが戦時中であったにもかかわらず木村氏は、ブルネイの国の基盤となる食糧生産や、教育制度、学校や病院などのライフラインとなる建造物などの開発を積極的に行っていきます。
また、天然ゴムの生産と活用を推進しました。
それによって現地には雇用が生まれ、そこから得られた利益は公共事業や教育に還元されていったのです。
このような取り組みを通して、木村氏はブルネイの人々から信頼を得ていったのでした。
また、ブルネイの中でも忌み嫌われていたイバン族も説得し、民族の違いにかかわらず、協力してブルネイという国を発展させるために尽力しました。
それは木村氏が、後々の国際社会を見通して国と国との信頼感を築くことが大切という信念に基づいた行動だったのでした。
木村氏がブルネイ知事として辣腕を振るったのは1年足らずでしたが、ブルネイ国民の生活は一変したのでした。
このように木村氏の残した功績は、その後のブルネイの行く末を決定づけていったのでした。

後年

後年、1963年に木村氏はブルネイの国王から招待を受け、ブルネイに再び訪れています。
招待をした国王は、木村氏が知事時代に秘書をしていたオマル・アリ・サイフディン3世でした。
オマル・アリ・サイフディン3世は実は前国王の弟であり、現国王としてその座を継いでいました。
再会を喜ぶ両人。
木村氏はブルネイで多くの歓迎を受け、自分が基盤を築いたブルネイの各所を見て回ります。
戦中とは異なり比べ物にならな程豊かな国となったブルネイ。
経済的な豊かさだけではなく、国の利益がしっかりと社会福祉に反映されており、木村氏の思いが受け継がれていました。

このような経緯があり、ブルネイという国は今日まで強固な親日国として、日本との友好関係を築いてきたのです。
現在ブルネイからの天然ガスの輸出の9割は日本向けであるのだそうです。
その裏には、お互いの国が互いに助け合い発展していってほしいという木村強という人物の功績があったのでした。

いかがだったでしょうか。
世界を広く見渡してみると、親日国というのは数多くあります。
ただ、何事もなく親日国になったというものではありません。
そこには、過去の偉大な人物たちの尽力があり、現在のような国際情勢となっているのです。
私たちはそのことをしっかりと認識し、これまでつないでこられた国と国との関係を、次の世代へと受け継いでいくことが大切なのです。