621【石川紀行】北陸の名城。兼六園はここのため造られた『金沢城』

百名城/続・百名城(Castle)
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金沢、と聞いてぱっと思いつくことは何ですか?
おそらくほとんどの方からは『兼六園』と出てくることが多いのではないかと思います。

確かに日本3大名園である兼六園は非常に有名であり、毎年毎年数多くの人々が訪れる名所です。
しかし、その兼六園は、この地域の中心ではありませんでした。
むしろ、兼六園を防御のための障害として活用していた場所があったのです。
それこそが今回紹介している金沢城であり、この城の東を守るために整備されたのが兼六園です。
ところが、現代では兼六園の名前が先に出てくるものの、なかなか金沢城の名前は出てきません。
では、そんなに影の薄い城だったのか??
全くそんなことはないのです。
金沢百万石を治めるにふさわしい近世城郭が金沢城なのです。

それでは今回は、この北陸の名城 金沢城について紹介していきたいと思います。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • 前田利家の居城として100万石を治めた大名の城、金沢城を見に行ってみよう。決して、兼六園のついでなどではなく・・・。

石川の過去の記事です。

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金沢城

金沢城は石川県金沢市にある城です。
かつて、加賀百万石の前田利家の城であったことで有名ですね。
日本三大名園である兼六園の西側にある、といえばなんとなく場所はわかると思うのですが、むしろ本来は兼六園が金沢城のためにあったのです。

もともと金沢城のある場所には、戦国時代末期まで城はありませんでした。
そのころには、大坂の石山本願寺と並ぶほどの加賀一向宗の本拠、尾山御坊という浄土真宗寺院がありました。
一向宗と聞いて浮かぶのが、織田信長との敵対関係であると思います。

大坂にあった石山本願寺と長年敵対していた織田信長は、1980年に加賀の一向一揆勢力を家臣の柴田勝家に銘じて制圧することに成功しました。
尾山御坊亡き後のこの地には、柴田勝家の甥であった佐久間盛政が築いた城が金沢城の始まりでした。

金沢城を中心としてこの地域を統治していた盛政でしたが、後の柴田勝家と豊臣秀吉が信長の跡目を争って起こした賤ケ岳の戦いによってその後の命運が決まります。
柴田勝家方についていてた盛政でしたが、戦の結果は勝家の敗北。
それにともなって、盛政も斬首となってしまいます。

その後に金沢城に入ったのが前田利家なのでした。
キリシタンであるということから追放されていた高山右近を呼び寄せた後は、前田家永の時代に及ぶまで城の回収を行い、加賀百万石大名にふさわしい近世城郭として金沢城は整備されました。
天主も当初は護送の立派なものがあったのだそうですが、江戸時代初期に焼失したとされています。
金沢城の敷地内で現存しているものは、石川門と三十間櫓があります。

それ以外にも様々な見どころがあるといわれている金沢城ですが、石垣の博物館といわれるほど特徴ある石垣があります。
個性的な石垣の刻印や、積み方の違いなど、石垣好きにはたまらないところがある城なのだそうです。

以前紹介しましたが、兼六園は5代藩主の前田綱紀の時代から13代藩主の前田斉泰の時代にかけて造られました。
今でこそ日本3名園の一つに数えられる兼六園ですが、もともとは雅な庭園を楽しむために設けられたものではありませんでした。
金沢の城郭を整備するにあたって、東の台が兼六園と一体であった時代、あまりにも広さがあったために防御の観点からは手薄になる可能性がありました。
そのため、間に堀を掘ることで兼六園を分離して、なおかつ城の東を守るための障害として兼六園が設けられました。

アクセス

JR金沢駅から2.5kmほど南東に行ったところにあります。

金沢城に行ってみた

それでは、金沢城へ行ってみましょう。

こちらが兼六園の向かいにある石川門です。
現存する建造物であり、内部が堅固な桝形をしている、防御性の高いもんです。
なお、こちらは裏口に相当する門なのだそうです。

石川門のすぐそばには狭間が。
門の防御性の高さだけではなく、やってくる敵を狙い撃ちにできるように設けられたこの設備。
城の東側から攻めてくる可能性に対して、いろいろと考えられていることがわかります。

さらに奥に進むと見えてくるのが五十間櫓です。

右側にある櫓が菱櫓。
左にあるのが続き櫓と橋爪門。
これらを長い櫓でつないだものが五十間櫓です。
2001に再建された建造物です。

こちらは河北門二の門です。
再建されたものです。
石垣の上に渡り櫓の乗った櫓門になっており、石川門よりは大きくなっています。

いかがだったでしょうか。
加賀百万石を治めた城、金沢城はいかがでしたか?
兼六園を従えた北陸の名城。
なかなかの規模だったのではないでしょうか。
今回は紹介していませんが、この地域の城として冷害から城を守る設備なども備えられており、いろいろな見どころのある名城です。
ぜひ、金沢城と兼六園とを一体にみて、この地を治めた前田一族の思いにふけってみてください。