623【ソマリア紀行】事実上の無政府状態が続き、国土は分断され、実際どのような実情かわからない『ソマリア』

世界のわきみち(World)
この記事は約6分で読めます。

ソマリアはアフリカ大陸の東の端、アラビア半島と向かい合う角にある国です。
なかなか日本にいると情報が入ってこない国なのですが、それもそのはず、このソマリアはコロナ禍に関係なくその国土の全土が危険レベル4の全員退避、渡航禁止レベルなのです。
では、なぜソマリアはそのような状態なのか?

ソマリアではかつて内戦が勃発し、無政府状態の非常に不安定な状態が続いていました。
そのような中で、1つの国の中でありながら、独立国を名乗りだすような地域が出てきたりするなど、依然として国の中が乱れ、その影響で国内の経済は荒廃し、さらにそれが治安の悪化を引き起こし・・・、といった形で、気軽に足を運ぶことができるような状態ではないのです。

それでは、このソマリアとはどのような歴史があって、今のこのような状態につながってきてしまったのか、調べてみることにしました。

というわけで、今回のわきみちは、

【今回のわきみち】
  • とにかく不安定な状態が長年続くソマリア。この国はこれから先は、どのような歴史を築いていくのでしょうか。

ソマリア

ソマリアはアフリカ大陸の東の端、アフリカの角(つの)と呼ばれる部分にある国です。

ソマリアの成り立ち

この地域の歴史はかなり古くからあったと記録が残されており、紀元前頃からはエジプトや古代オリエント地域といった周辺諸国との交流があったと知られています。
そして、現在この国に住むソマリ族がやってきたのは10~14世紀と考えられています。

19世紀の植民地時代には、北部がイギリス、南部がイタリアの統治下にありました。
世界地図を見るとわかるのですが、1869年に地中海から紅海へとつながるスエズ運河ができたことによって、このソマリアのあるアフリカの角が俄然その重要性を増していきます。
一時期全土がイタリア領になったことがあるものの再び北部をイギリスが、南部をイタリアが保護領として統治する状態に落ち着きますが、1960年にアフリカの各国が独立していく中でソマリア共和国として独立します。

しかし独立後のソマリアは周辺諸国、特にエチオピアとは非常に関係性が悪い状態となります。
ソマリアの特徴はソマリ族による氏族制社会であったため、主に6つの氏族による国の支配がありました。
これらの氏族がそれぞれに政党をつくり、それぞれ自分たちの氏族が優遇されるような政策がすすめられていきます。

暴君バーレの時代

そのような中で、ソマリアだけでなく世界史の中でも最悪な暴君であるモハメド・シアド・バーレ政権が誕生します。

ソマリアを近代的な独立国家としようとした同氏でしたが、思ったように統治が進まないことによって、徐々に暴君となっていき、自分に縁のある人だけを徴用したり優遇したりし、自分に反対する人々を処刑にしていくようになります。
また、ソ連との関係を強めていき、その援助によって国家を運営しようとし、共産主義国家であるソマリア民主共和国と国名も変えてしまいます。

そのような中、隣国エチオピアでソマリ族が住む地域の分離独立運動がおこり、バーレはソマリ族のゲリラたちを支援しました。
しかし、この戦いの際にソマリアを支援していたはずのソ連は、エチオピアに対して支援を差し伸べるようになります。
自分たちを裏切ったソ連を見限ったバーレは、今度は支援金目当てにアメリカにすり寄っていきます。
このように、自らの氏族のみを優遇する同氏に対して反発は多かったものの、アメリカから手に入れた膨大な支援金を武力の増強に費やし、力で国内を押さえつけていました。
しかし、内側に力を向け続けてしまったことから、エチオピアでの戦いには負けてしまい撤退します。

そして、時代は冷戦の終結を迎えます。
バーレにとってそれはとても都合が悪く、アメリカやソ連といった大国から支援金を得ることが難しくなります。
アメリカからの経済援助が得られなくなったことで、バーレその力を失い、国外追放となってしまいます。

冷戦後のソマリア

暴君がいなくなったことで新たな国づくりが始まるかと思われたソマリアでしたが、バーレが統治していた時代、数多くの反発を国内に産んでしまっていたため、ソマリアの国の中には反政府組織が膨大に出来上がってしまっていたのでした。
そういった反政府組織と氏族たちが結びついて、ソマリアは内戦状態となってしまいます。

その中でもソマリ国民運動という反政府組織と、北部を牛耳っていた氏族イサック氏族とが手を結び、ソマリアの北西エリアをソマリランド共和国として1991年に独立を宣言します。
また、南部はバーレを最終的に追い出した統一ソマリ会議が政権を握っており、国の運営の実権を軍部が握る状態でした。

そのような混乱した状態になってしまったことから、1992年に国連はアメリカを中心とした多国籍軍をソマリアに派遣しますが、統一ソマリ会議を率いるアイディード将軍はそんな国連に対して宣戦布告をします。
しかし、アメリカ国内の世論の高まりによってアメリカや国連はソマリアから軍を撤退させます。
共通の敵を失ったソマリアは、再び自国内で争い始めます。

今度は北東部にいたダロット氏族がプントランド共和国の独立を宣言します。
また、南部の端には、後にイスラム急進派であるアル・シャバブが実効支配するジュバランド・ソマリア国も独立を宣言。
もはや一つの国家として収拾がつかなくなったソマリアからは90万人もの大量の難民が周辺国にあふれだしていきます。

その仲裁として開かれたのが隣国ジブチで行われたジブチ会議でした。
ジブチ会議ではアブディカシム・サラ・ハッサンという人物を暫定の大統領をソマリアに立てることを決めます。
しかし、もちろんのころながらソマリアの全勢力はこれに反発
混乱は収まらず、今度は南部ソマリアの南西地域の一部に、土地の有力な氏族たちによって南西ソマリアの建国が宣言されます。

群雄割拠となるソマリア

このように一つの国の中で次々といろいろな地域が独立を宣言し、ソマリアは事実上の無政府状態となってしまいます。

そのため、国としてコントロールが効かなくなったソマリアには、多くのテロリストたちが移り住んでくるようになります。
さらには、イスラム法廷会議による首都の占拠に伴い、テロ撲滅を誓うアメリカの支援を受けた隣国エリオピアからの侵攻。
その後も大統領が入れ替わり建てられますが、各氏族地域やイスラム勢力との折り合いがうまくいかず、国内ではテロがいたるところで勃発するようになります。

2017年からはモハメド・アブドゥライ・モハメドが大統領となりますが、国内の汚職があまりにも横行しているために、変わらずに収拾がつかない状態が続いています。
そういった状態が延々と続いているため、国民の生活は一向に向上せず、全人口の半分以上が緊急人道支援を必要としています。
日本でもニュースになったこともありますが、ソマリア沖の海賊問題も、こういった国内事情から人々が生きていくためにやらざる絵を得ない事情もあるのです。

これからのソマリア

現在もソマリアではソマリア連邦共和国として正式な政府が成立しているにもかかわらず、このような国内にある独立国家と称する国々による混乱した状態が続いています。

人類歴史上でこれまであった事例のように、共産主義や資本主義といった主義主張の違いや、宗教・民族対立、といったような単純に何かしらの違いを軸にした対立構造ではなく、あらゆる要素が複雑に絡み合った状態のため、ソマリアの現状を解決していく有効な解決策は見いだせていないのだそうです

いかがだったでしょうか。
これまでいろいろな国々を調べてきました、ここまで様々な要素が絡み合って解決の糸口が見えない国は初めてではないかと思います。
実際に、この国を訪問するしないのレベルではない国であることはよくわかりました。
日本の戦国時代を実際に見ているかのようなソマリアの現状。
この国のこれからの行く末はどのようなものなのでしょうか。